第15話 激闘
訓練場の石畳。
ユティナの放った魔法で立ちこめていた霧が、ゆっくりと薄れはじめる。
白い帳が剥がれ落ちるように晴れてゆくたび、隠されていた光景が少しずつ姿を現した。
次の瞬間――。
露わになったその場の様子に、生徒たちの間へ一斉にどよめきが走る。
「……っ、あれって……!」
「嘘でしょ……?」
ざわめきが広がり、訓練場の空気が一変する。
カトリット先生もまた、その光景を目にした瞬間、息を飲んだ。
(……まさか……ハーリットさんが、ここまでやってのけるなんて……)
驚愕と信じられないという感情が、胸の内で静かに渦巻いていた。
一方で、観覧席のアルマの瞳が驚きと歓喜に輝いた。
(うそ…… !? ユティが……マリアベルさんを? 本当に!?)
「はぁ、はぁ……あ、貴女……なぜ倒れていないのですか!?」
よろめきながら立ち上がるマリアベルの声は震えていた。
「それに、いつ……その場所に!?」
ユティナは息を整えながら、穏やかに答える。
「あー、それはね。貴女が私だと思って魔法を放った相手――あれはデコイだよ」
「デ、デコイ…… !?」
マリアベルは慌てて視線を魔法の着弾点へ向けた。
そこには、崩れ落ちた土塊――その上に、ユティナの制服の上着が焼け焦げて被さっていた。
まるで人影のように見えたそれは、巧妙に作られた《土人形クレイドール》だった。
「そ、そんな……土魔法で作ったの……!?」
驚愕に目を見開くマリアベル。
改めてユティナを見ると、彼女の上着はなく、シャツ姿のままだ。
代わりに、両の手にはまだ魔力の残光が淡く揺らめいていた。
「信じられませんわ……! もう殆ど魔力なんて残っていないはず!貴女の魔力量はFランクのはずでしょう!?こんな立て続けに魔法を使えるわけが――!」
マリアベルの声が震える。
動揺と焦りが隠せない。
「そうだよねぇ」ユティナは肩をすくめ、口元をゆるめる。
「だから貴女は油断した。私の魔力が尽きたって、勝手に決めつけた。――私はずっと待ってたんだよ。貴女が“そう思ってくれる瞬間”を」
その声音は、どこか静かで、確信に満ちていた。
「おかげで貴女に攻撃を入れるチャンスをもらえたんだから」
「ま、まさか……! あの苦しそうな姿は――演技!? 最初から、計って……!?」
「うーん、まあ……そうとも言えるかな?」
とぼけたように笑うユティナ。
だがその瞳は、燃えるように真剣だった。
「くっ……! なんて卑怯な真似を……!」
マリアベルが悔しげに奥歯を噛みしめる。
「卑怯?」ユティナは一歩踏み出し、まっすぐにマリアベルを見据えた。
「違うよ。それを“作戦”って言うの」
ユティナは勝ち誇るでもなく、どこか挑戦的に笑った。
「というわけで――あの賭けの勝負、私の勝ちね。
アマゾネス……いや、マリアベル!」
マリアベルの顔がこわばる。
唇が震え、屈辱と焦りがないまぜになった感情が滲み出る。
「……私が、負けた……? この私が、Fランクの貴女なんかに……?」
その言葉を吐き出した瞬間、彼女の瞳の奥に再び炎が灯った。
「いいでしょう。賭けについては貴女の勝ちを認めますわ……。でも、この模擬戦――勝つのは私ですわ!」
ユティナも負けじと構えを取る。
「最初はね、賭けだけ勝てばいいって思ってた。
でも、ここまで来たら……勝たなきゃ意味ないよね!」
「ふ……ふふ……はははっ!」
マリアベルの口元が歪み、凍りつくような笑い声が広場に響いた。
「勝つ? 貴女が? この私に……?」
ゆっくりと顔を上げるその瞳は、怒りと侮蔑で燃えている。
「どこまでふざけているのかしら……! そういうところが――本当に腹が立つのよ!」
一歩、マリアベルが踏み出すたび、足元の石畳が薄氷を纏っていく。
「落ちこぼれのFランクのくせに、いつも前を向いて……何度打ちのめされても立ち上がって……! そんな貴女を見るたび、イライラするのよ!」
吐き捨てるような声に、怒りと嫉妬が入り混じっていた。
「いい加減、思い知りなさいよッ! “才能”がない者は、努力したって無駄なのよ!」
叫ぶと同時に、マリアベルの魔力が爆発するように溢れ出した。
その瞬間――ユティナの足元から、再び氷の槍が突き上がった。
「っ――!」
反射的に身をひねり、ユティナは駆け出す。
足元を掠める氷槍を軽やかに跳び越え、地を蹴り、滑るように次々と躱していく。
石畳を穿つ氷の音が連続して響き、白い霜が彼女の足跡を追うように広がった。
(近づければ――!)
タイミングを見計らい、ユティナは手を前に突き出す。
「ファイヤーボ――」
「そんな安い魔法、通じないって言ったでしょう!?」
マリアベルの怒声が響く。
瞬間、頭上に巨大な氷塊が生まれた。
「《アイス・ロック》」
轟音と共に落下し、ユティナを飲み込むように叩きつけられる。
砕け散る氷片が鋭い刃のように宙を舞い、衝撃で石畳がひび割れ、白い砂煙が一面に広がった。
「ユティ!」
観戦していたアルマが悲鳴を上げる。
氷の破片と砂煙が舞う中、マリアベルは荒い息を吐きながらも勝利を確信したように微笑む。
「はぁ……はぁ……ふふ……これで、終わりですわね……」
息を切らせながらも、マリアベルは砂煙を前に警戒を解こうとする。
――その瞬間。
(今だっ!)
砂煙を切り裂き、ユティナの影が音もなく駆け抜けた。
マリアベルの懐へ滑り込み、右手にはすでに赤々と燃える火球が灯っている。
「くっ……貴女、まだ―― !?」
マリアベルの瞳が見開かれる。
ユティナの掌から放たれようとした炎――だが、その直前、
「――あ、あぁぁっ!?」
鋭い痛みが肩を裂いた。
右肩に何かが食い込む感触。視線を向けると、そこには氷で形作られた龍の顎――。
凍りついた牙が肉を貫き、ユティナの身体を宙へと持ち上げ、そのまま石畳へ叩きつけた。
鈍い衝撃と共に身体が転がり、息が漏れる。
「……舐めるんじゃありませんのッ!」
マリアベルの声が響く。
顔を上げたユティナは、その姿を見て息を呑んだ。
マリアベルの背から――氷の龍が、二体。
まるで主を守るように首をもたげ、冷気を吐き出している。
「サモナー・マジック、ブリザードドラゴン……」
マリアベルが氷の吐息を纏いながら、ゆっくりと歩み出る。
「私の――とっておきですわ」
(あれって……中級でも上位魔法……!? この歳で使えるなんて……やっぱり、実力は本物ね……)
ブリザードドラゴン――氷属性の中級魔法の一つ。
召喚されるのは、首と頭部だけの氷の龍。
使用者を守り、敵を反撃し、さらに離れた敵には氷塊や冷気のブレスで遠距離攻撃を行う。
熟練者ともなれば、最大で七頭の龍を顕現させることができるという。
(でも……今のは詠唱なし?)
ユティナが目を見開くと、マリアベルの鼻先から一筋の血が垂れた。
(無理して無詠唱で中級魔法を発動したせいで、身体への負担が大きいんだ……)
マリアベルは鼻血を拭い取り、口元に笑みを浮かべる。
「さあ――これで終わりよ、ユティナ・ハーリット!」
二頭の氷龍が同時に咆哮し、口腔に氷塊を形成。
轟音と共に放たれた氷塊が、弾丸のようにユティナへと迫る。
ユティナは紙一重で身を翻し、冷気の軌跡を背に駆け抜けた。
(やっぱり……距離を取られると不利! でも、アイス・スピアと違って射出口が見える分、軌道は読める。このまま懐に飛び込んで――残りの魔力、全部叩き込む!)
氷塊を掠めながら、ユティナはマリアベルとの距離を一気に詰めた。
だが、二頭の氷龍が唸り声を上げ、主を守るように襲いかかる。
(くっ……動きが思ったより速い!)
鋭い牙を掠めるように身を捻り、ユティナはすべての攻撃を躱しきる。
そして、視界に一瞬の隙を捉えた――。
(今だっ!)
右手に魔力を集中。
炎が掌に集まり、空気が張り詰める。
次の瞬間、ユティナは渾身の一撃を放つべく踏み出した――!
「くらえっ――!」
だが、その魔法が放たれることはなかった。
瞬間、右肩に焼けつくような激痛が走る。
「――っ!?」
(な、なんで……!? ドラゴンの攻撃は全部避けたはず……!)
視線を向けると、肩に一本の氷の槍が深々と突き刺さっていた。
「私が、ブリザードドラゴンの発動中に他の魔法が使えないと――いつ言いましたか?」
マリアベルが冷笑を浮かべる。
その瞳には、勝利を確信した女の光が宿っていた。
「うっ……!」
ユティナは痛みをこらえ、距離を取ろうと身を翻す。
だが、その動きを見逃すマリアベルではない。
「逃がすと思って!?」
二頭の氷龍が同時に体当たりを仕掛ける。
轟音と共に、ユティナの身体は宙を舞い、石畳の上を激しく叩きつけられながら転がった。
石の上を滑るたび、ユティナの指にはめられたセーフティリングがひび割れ、乾いた音を立てた。
ピシリ――。
「……っ、あ……ぐ……」
痛みに顔を歪めながらも、ユティナは震える手で地を押さえ、なんとか立ち上がろうとする。
だが――。
「これで終わりですわ!」
マリアベルの指が冷たく弾かれる。
次の瞬間、二頭の氷龍が同時に咆哮を上げ、巨大な氷塊を吐き出した。
空気が凍りつき、視界が青白く染まる。
逃げ場など、どこにもない。
「逃げて、ユティィィィ――ッ!!」
アルマの絶叫が、訓練場に響き渡った。
「え……?」
ユティナがその声に気づいた時には、すでに遅かった。
二頭の氷龍が放った氷塊が、轟音と共に着弾する。
眩い閃光。
凍てつく衝撃。
石畳が砕け、白い砂煙と氷の破片が宙を舞った。
数秒後――。
静寂が訪れる。
煙がゆっくりと晴れていくと、そこにあったのは、
石畳に深々と突き刺さった二つの巨大な氷塊だった。
その下に、ユティナの姿は見えない。
「ユティ……!」
アルマが思わず一歩踏み出す。
安全を保証するはずのセーフティリングがあっても、
目の前の光景に胸が押しつぶされそうだった。
「……終わりですわね」
マリアベルが冷ややかに呟き、勝者の余裕を見せる。
その言葉に呼応するように、周囲の生徒たちもざわめき出した。
「マリアベル様が勝つのは当然ですわ!」
「そもそもFランクがAランクに勝てるはずがないのよ!」
「先程のだって、きっと卑怯な手でも使っていたんだわ!」
冷たい声があちこちから飛ぶ中、マリアベルはゆっくりと踵を返した。
――その時だった。
ピシッ――。
乾いた音が背後から響く。
マリアベルの足が止まる。
ゆっくりと振り返ると、突き刺さっていた二つの氷塊に、一本の亀裂が走り――次の瞬間、縦に真っ二つに裂けた。
氷の欠片が煌めきながら地に落ちる。
その奥、砕け散った氷の隙間から、一人の少女が姿を現した。
「う……そ……でしょ……?」
マリアベルの目が大きく見開かれる。
ざわついていた観客も息を呑み、静まり返った。
そこに立っていたのは――ユティナ。
綺麗だった銀色の髪は乱れ、制服はボロボロに。
それでも彼女はしっかりと地を踏みしめ、右手には真紅の炎を纏った剣を握っていた。
その刃は、まるで彼女の意志そのもののように燃え上がり、マリアベルの瞳に映り込む。
ユティナは静かに息を吸い、燃える剣を構えた。
「――《ウェポンマジック・フレイムソード》。
自分の魔力を凝縮して、武器を創り出す魔法よ。」
「魔力で……武器を? そんな魔法、聞いたことないわ!」
(そりゃそうよね。使うのは、もともと膨大な魔力を持つ魔族くらい。発動中は常に魔力を消費し続ける――人間にとっては、あまりに効率が悪すぎる魔法だから……)
ユティナは内心で呟く。
「それに、魔力の凝縮ですって? 貴女みたいに魔力量の少ない人間が、どうしてそんなことができるのよ!?」
ユティナは短く息を吐き、まっすぐマリアベルを見据えた。
「――努力したから」
「……は?」
「貴女が言ったじゃない。“魔力量が上がらないのは努力が足りないから”って。だから、私は努力したの。魔力量を上げるために」
マリアベルの表情が凍りつく。
「上げた、ですって……? この短期間で? 今まで何年も伸びなかった貴女が? そんなの……嘘よ……!」
だが、目の前で次々と魔法を展開し続けるユティナの姿が、その“嘘”を容易く否定していた。
マリアベルは唇を噛みしめ、怒りと焦りを混ぜた声で叫ぶ。
「だから何だっていうの!? 次は剣で私と戦うつもり?冗談じゃないわ、貴女の剣術なんてFランクでしょう!?」
「そんなこと、分かってるわよ!」
ユティナが地を蹴った。
その足音と同時に、燃え盛る軌跡が石畳を走る。
(――そう、ユティナ・ハーリットの剣術はFランク。
でもそれは“記憶を取り戻す前”の話。魔王だった私の記憶と、ユティナとして積み上げた努力が――今、この手にある。)
握る手に、力がこもる。
炎がさらに強く燃え上がる。
(これはチートなんかじゃない。落ちこぼれと呼ばれながらも、諦めずに剣を振り続けたユティナの努力があったから、私はこの剣を振るえる。――昔の私と、今の私。どちらも偽りじゃない。だから、私は絶対に……貴女に勝つ!)
紅蓮の剣がうなりを上げ、熱気が空気を震わせた。
マリアベルの頬を汗が伝う。
ユティナは一気に距離を詰める。
「な、何なのよ……っ! さっさと諦めなさいよ!!」
マリアベルの絶叫と共に、二頭の《ブリザードドラゴン》が咆哮を上げた。
口腔から放たれる氷塊が、連弾のごとくユティナへと襲いかかる。
だが――その全てを、ユティナは炎の剣で切り裂いていった。
刃が走るたび、紅蓮の軌跡が空を描く。
まるで焔が踊り、氷の嵐の中で一人、舞を舞っているかのように。
「……綺麗……」
アルマが息を呑み、思わず呟く。
氷と炎が交錯し、砕けた破片が光を反射して宙を舞う――。
その中心に、燃えるような瞳で前を見据えるユティナの姿があった。
「くっ……だから言ってるでしょ! 私を舐めないでって!!」
マリアベルが両腕を振りかざすと、二体のドラゴンが咆哮とともに動く。
巨大な氷の槍が、左右から同時にユティナを貫かんと迫る。
だか――
ユティナの剣が、流麗な弧を描いた。
その一閃が風を裂き、氷の槍を粉砕し、ドラゴンの首を一瞬で断ち切る。
「な…… !?」
マリアベルの目が見開かれる。
その瞳に、ユティナの炎が映る。
「これで――終わりだよ、マリアベル!!」
紅蓮の光が閃いた。
炎の剣が縦に振り下ろされ、マリアベルの身体を光が走るように切り裂く
「が……はっ!!」
砕け散るセーフティリングの音が響き、マリアベルは力なく膝をついた。
そのまま前のめりに倒れ、意識を失う。
ユティナは静かに剣を構えたまま、息を整えた。
そして――その手の炎剣が、ふっと消える。
まるで、役目を終えたかのように。




