第14話 ユティナ対マリアベル
模擬戦。
ついに、ユティナの名前が呼ばれた。
自分の番が来たと理解した瞬間、胸の奥で小さく心臓が跳ねる。
わずかな緊張が指先まで伝わり、ユティナの手はかすかに震えていた。
一方、対面に立つマリアベルの表情には迷いの影すらない。
「ふん、すぐに終わらせて差し上げますわ」
マリアベルは余裕の笑みを浮かべ、取り巻きたちも当然の勝利を疑っていない。
それは彼女たちだけではない。
アルマを除くほとんどの一年生が、勝敗は決まったものだと信じていた。
石畳の中央へ、二人はゆっくりと歩みを進める。
「ユティ……頑張って」
背中に届くのは、アルマの小さな声。
心からの祈りだった。
青空の下、訓練場の石畳に二人の少女が向かい合う。
それを周囲を取り囲むように生徒たちが息を呑んで見守っていた。
「ほんとにやるのね……」
「あの子って自分の立場わかってるの?」
「マリアベル様に挑むなんて無謀にもほどがあるわ」
囁き声が、風に乗って広がる。
だが、当のユティナは気にする様子もなく、ただ相手を真っすぐに見つめていた。
「覚悟はよろしくて?」
金髪を揺らし、マリアベルが微笑む。
その笑みには余裕と侮蔑が混ざっている。
「それは、私のセリフだね」
ユティナの唇が小さく釣り上がった。
(大丈夫。この為に今まで頑張って来たんだから……絶対に勝てる)
そして、カトリット先生の声が響く。
「これより、マリアベル・ランカスター対ユティナ・ハーリットの模擬戦を開始します! ――準備はいいですね?」
二人は無言で頷いた。
(頑張れ、ユティ……!)
観覧席のアルマが、拳を胸に当てて祈る。
「――始め!」
その合図と同時に、マリアベルが詠唱を始めた。
「我が氷の意志を纏うものよ――」
だがユティナは詠唱を待たず、駆け出した。
(まずは先手必勝! 詠唱が終わる前に懐へ!)
けれど、マリアベルの唇はもう最後の言葉を紡いでいた。
「――《アイシクル・ランサー》!」
空気が凍り、十数本の氷柱がユティナめがけて突き出す。
ユティナは身を翻して滑り込むように避け、氷柱の間を駆け抜けた。
右手に炎を灯し、勢いのまま踏み込む。
「ファイヤーボ――」
その瞬間、足元が輝き、氷の槍が地面から突き上がった。
「くっ!」
ユティナは後ろに跳び、辛うじて回避。
火球は宙に消える。
(しまった、不発……! ただでさえ魔力量が少ないのに!)
マリアベルが笑う。
「驚きましたわ。まさかあなたが“無詠唱”で魔法を放てるなんて。……でも、それは貴女だけの専売特許ではありませんのよ?」
彼女が指を鳴らすと、足元から再び氷の槍が突き上がる。
「《アイス・スピア》!」
「うわっ!」
ユティナは横へ転がり、再び距離を取った。
(やっぱり……初級魔法は無詠唱で使えるのね。このまま、近距離に踏み込ませないつもりだ)
「どうしたの? もう来ないのかしら?」
マリアベルの声が挑発的に響く。
次々と氷の槍が地面から突き出しユティナを襲う。
さらに――
「氷の息吹よ、かの敵を包み永遠に閉じ込めよ――《ブリザード・ブレス》!」
吹雪のような氷の風が襲いかかる。
ユティナは髪を凍らせながら、地面を蹴って辛うじて避ける。
「ファイヤーボール!」
反撃の火球を放つが、マリアベルは涼しい顔で躱す。
「そんな当てずっぽうで、私に当たるとでも?」
(やりにくいわね……。距離を取れば遠距離魔法で一方的に攻められ、近づけば発動の速い無詠唱魔法で牽制される。――この年でここまで完成してるなんて)
ユティナは歯を食いしばりながら、目の前の相手を睨みつけた。
マリアベル・ランカスター。
学園でも屈指の才媛であり、初等部から総合評価はAランクを取り続け、学年ニ位の実力者。
ちなみに一位はアルマ。
マリアベルは魔力量も高く、氷属性魔法を自在に操るその腕前は一年生の中でも群を抜いている。
彼女は状況に応じて、近距離から遠距離まで魔法を使い分ける“万能型”の戦闘スタイルを得意としていた。
――そんな彼女に勝つために、ユティナが立てた作戦はひとつ。
"近接戦に持ち込むこと"
実習では魔法の使用が前提。必然的に遠距離での撃ち合いになる。だが、ユティナは魔力量が少なく、撃てる魔法の数も限られている。
だからこそ、遠距離戦では不利――ならば懐に飛び込み、直接魔法を叩き込むしかない。
もちろん、そこに至るまでには相手の魔法を掻い潜らなければならない。
だがそれは、魔王としての記憶を取り戻した今のユティナにとって、決して不可能ではなかった。
……ただし。
マリアベルもまた、近接戦をも得意とする相手。
その距離まで詰めること自体が、最大の難関だった。
(キャラとしてはちょっとアレだけど……やっぱり、実力者よね)
「いつまで逃げるのかしら? 落ちこぼれさん」
(どのみちこのまま距離を取っても不利になるだけ。やっぱり、前に出ないと――!)
ユティナは氷の槍を掻い潜り、再び一気にマリアベルへ突進した。
「《アイス・インパクト》!」
地面が弾け、爆風のような氷の衝撃波がユティナを吹き飛ばす。
「うぁっ!」
背中を打ち、石畳の上を転がるユティナ。
「ユティ!」
アルマの叫びが響く。
息を荒げながら、ユティナは必死に体を起こす。
その頭上――冷気が凝結する気配。
「《アイス・ロック》」
巨大な氷塊が落ちてくる。
「っ……!」
転がるように回避し、地面に掌を叩きつけた。
「ファイヤーボール!」
火球がマリアベルに飛ぶが――
「《アイスウォール》」
氷の壁が即座に形成され、爆ぜる火は弾かれ
た。
「その程度の魔法、初級魔法で十分防げますわ」
マリアベルは冷ややかに笑う。
「はぁはぁ…」
ユティナの息は荒く、額からは汗が滝のように流れ落ちる。
手足もふらつき、膝はガクガクと震えていた。
「もう、諦めたらどうですの?」
「冗談じゃない…誰が諦めるもんですか…!」
口から出る声もかすれ、唇は乾ききっていた。
「その様子では、もはや魔力も限界に近いのでは? 無理をすれば、魔力欠乏症になりかねませんわよ?」
「それでも、諦めるつもりはないわ!」
「そうですか…。こちらも痛ぶる趣味はございませんので、さっさと決着をつけて差し上げましょう」
マリアベルが冷たく微笑む。
すると、再びその唇が動き、詠唱が始まった。
(ここだっ!)
ユティナは深呼吸し、魔力を集中する。
「ミストサークル!」
彼女を中心に濃い霧が立ち上り、戦場の石畳を覆い尽くす。
視界は完全に遮られ、周囲は白く濁った世界となった。
「く、目隠しですか…。しかし、せっかくの魔力をここで消耗して、その後どうするつもりですの?」
霧に包まれ、マリアベルの視界からユティナは消えた。
焦れた声の端には、わずかな苛立ちが混じる。
「決まってるでしょ! 貴女に勝つためよ!」
ユティナの声は力強く、震えながらも揺るがない。
「勝つ? 大きく出ますわね。私に、今だに傷一つつけられない落ちこぼれである貴女が、私に勝つと? その思い上がり、後悔させて差し上げますわ!」
(貴女の考えなんて丸見えですわ。大方、目眩ましで隙を作り、私に襲いかかるつもりなのでしょう? けれど、殆ど魔力が尽きかけている貴女に何ができるのかしら?それに、居場所は筒抜けですわ)
マリアベルの視線の先、霧の中で微かに揺れる炎と人影。
マリアベルは狙いを定め、詠唱を始める。
「我が氷の意志を纏うものよ、敵を穿つ刃と成りて敵を貫け!」
そして、氷の魔法を放つ。
(これで終わりですわ!)
「アイシクル・ランサー!」
無数の氷柱が叩きつけるように飛び出し、ドスドスと人影に当たる音が響く。
霧の中の人影は倒れ込む。
(これであの落ちこぼれともお別れですわ)
そう思った瞬間、左の横腹に激烈な衝撃と痛みが走る。
「ぐ、あがぁ…!」
唸り声と共にマリアベルは吹き飛ばされ、石畳の上を転がる。
霧が少しずつ晴れ、ユティナの姿がその場に現れる――全身汗と埃で汚れ、呼吸は荒く、それでも瞳は鋭く光っていた。
⸻
魔法実習場の中央――石畳の舞台は、今や濃い白い霧に覆われていた。
辺りは静まり返り、誰一人として状況を把握できない。
「い、一体どうなってるの?」
「これじゃ、勝負がついたのかどうかもわからないわ…!」
観戦していた生徒たちのざわめきが広がる。
その中で、ひときわ心配そうに霧の奥を見つめる少女がいた。
アルマだ。
(ユティ……無事よね? どうか――)
やがて、ゆっくりと霧が薄れはじめる。
陽の光が差し込み、蒸気が晴れていくにつれ、徐々に石畳の全貌が現れていく。
そして――その光景を見た瞬間、誰もが息を呑んだ。
「う、うそ…… !? マリアベルさんが……倒れてる!?」
「あり得ない! あのマリアベル様が!?」
「一体どういうことなの!?」
悲鳴にも似た驚きの声があちこちで上がる。
誰もが目を疑っていた。
中等部随一の実力者、マリアベル・ランカスターが、
石畳の端で倒れていたのだから。




