第13話 始まる模擬戦
午前中。
中等部一年二組の生徒たちは、学院から少し離れた訓練広場へと集められていた。
そこは模擬戦や魔法実技など、戦闘訓練や運動訓練を行うために設けられた実習専用の場所である。
広場の中央には長方形の石畳が敷かれており、その存在感はまるで小さな闘技場のようだった。
周囲に漂う緊張と高揚の空気が、「これから戦いが始まる」という予感を生徒たちに与えていた。
ざわざわとしたざわめきが、広場のあちこちから上がっていた。
緊張、不安、そして高揚。
誰もが胸の奥で、何かが始まる予感を感じている。
そんな中、
「皆さん――お静かに」
と、澄んだ声が響いた。
手を軽く二度叩いて場を静めたのは、担当教員のカトリット先生。
紺色の修道服に、銀の十字のペンダント。
整った顔立ちと柔らかな口調だが、生徒たちに
対する眼差しは鋭い。
「これより――中等部一年二組、魔法実習の模擬戦を始めます」
その一言に、広場の空気が一気に張り詰めた。
「皆さん、今朝配布した指輪を装着していますね?」
生徒たちは慌てて自分の手を確認し、一斉に頷く。
「よろしい。その指輪は、魔法実習専用のセーフティリングです。その指輪は、あなた達を重大な怪我から守る“セーフティ”の役割を持っています。戦闘中に受けたダメージを吸収し、一定以上の衝撃を受けると砕けて壊れます。ただし――」
そこで先生の声が少し低くなった。
「“痛み”までは消えません。忘れないように」
その言葉に、ざわ…と小さな緊張が走る。
誰かが小声で「ひぇっ」と呟いた。
「へぇ〜、こんな小さいのにそんな機能があるんだ」
ユティナは、自分の右手に嵌められた銀の指輪をじっと見つめる。
「これなら安心して戦えるね。でも……痛みは残るんでしょ? だったら意味なくない?」
隣でアルマが顎に手を当て、少し首を傾げながら呟く。
「確かに〜。痛みも一緒に吸い取ってくれたら完璧なのにね」
「ははっ、それ言えてる」
二人が笑い合っていると、カトリット先生が続ける。
「次に、模擬戦のルールを説明します」
その言葉に生徒たちは自然と背筋を伸ばした。
「武器の使用は禁止。魔法のみで相手にダメージを与えること。勝敗は、相手の指輪を壊した方、または相手が降参・戦闘不能になった時点で決します」
その時、前列にいた生徒が手を挙げた。
「先生! ダメージは吸収されるって言いましたけど、それでも気を失うって……どういうことですか?」
「いい質問ですね」
カトリット先生は微笑む。
「ダメージと痛みは別です。セーフティリングは“肉体への損傷”を肩代わりしますが、“痛覚”までは消し去りません。ですから――痛みに耐えられなければ、戦意を喪失することもあります」
「……っ」
生徒たちの喉が一斉に鳴った。
初めての実戦形式。
その現実味が、一気に重くのしかかる。
だが、すぐに先生は穏やかに続けた。
「とはいえ、皆さんを危険に晒すつもりはありません」
そう言って手を横に払うと、彼女の後ろから一人の女性が前へ進み出た。
長い青髪が風に揺れ、白金の法衣の裾が光を反射する。
その姿はまさに神聖そのものだった。
「もしもの時のために、保健教員のブレア先生が待機しています。皆さんも知っている通り、彼女は現役の聖女。万が一の怪我でも、彼女がいればすぐに治癒できます」
「皆さん――安心して、全力で挑んでくださいね」
ブレア先生の声は、春風のように柔らかく響いた。
その一言で、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
「それでは――他に質問はありますか?」
「……」
誰も手を挙げなかった。
「では、模擬戦実習――開始します!」
パン、と澄んだ音を立てて教師の手が打ち鳴らされた瞬間、広場の空気が一気に張りつめ、熱を帯びて震えだす。
ユティナは拳を握りしめ、胸の奥でそっと息を吐く。
(よし……ここからが本番。アマゾネス、覚悟してなさい――あれ? そういえば対戦相手ってどうやって決まるの? ていうか、アマゾネスと戦わないと賭けの意味ないじゃん!? ……ってことは、負けても学園を去らなくてもいい……?あ、でもそれじゃお金もらえないじゃん!)
一人で盛り上がったり混乱したりしているユティナをよそに、対戦相手の発表が始まろうとしていた。
「では、まず模擬戦を行う生徒は――」
カトリット先生が名簿を手にし、口を開きかけた、その時。
「先生!」
訓練広場に澄んだ高い声が響いた。
手を挙げたのは、金の巻き髪を揺らす少女――マリアベル・ランカスター。
帝国貴族の出であり、圧倒的な魔力量と共に、総合評価Aランクを誇る優等生だ。
「マリアベルさん、どうしましたか?」
「カトリット先生。この模擬戦……私とハーリットさんで行わせていただけませんか?」
その一言に、広場がざわめきたつ。
――ユティナ。
魔力量F、総合評価もFランク。学園一の落ちこぼれ聖女候補。
「……あなたとハーリットさん、ですか? しかし、それでは実力に大きな差が――」
(そっか! 自分から言えばいいんだ! だったら――)
「先生!」
今度はユティナが勢いよく手を挙げた。
真っすぐな視線がカトリット先生を捉える。
「私からもお願いします。私とアマ……マリアベルさんで模擬戦をさせてください!」
その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
教師として迷いを抱くカトリット。
しかし、ユティナの目はそれを許さないほど真剣で――対するマリアベルは勝つ自信に満ちた笑みを浮かべている。
短い沈黙ののち、カトリットは小さく息をつく。
「……分かりました。では、そのように調整します」
名簿に視線を戻し、告げる。
「最初の模擬戦を行う生徒を発表します。呼ばれた者は石畳の上へ――では……」
視線が交錯する。
ユティナとマリアベル。互いの胸に浮かぶ思いはただ一つ。
(この賭け――勝つのは)
(私だ!)
(私ですわ!)
⸻
柔らかな光が差し込む訓練場に、魔法の衝撃音がいくつも響き渡る。
今まさに、一年二組の初めての模擬戦が繰り広げられていた。
「大地の力よ――地を走り、我に仇なす敵を討て!《グレイブ》!」
セミロングの茶髪の少女が詠唱を終えると同時に、地面を走るように無数の岩槍がせり上がり、アルマへと殺到する。
しかし、アルマは一歩も退かず静かに右手を掲げた。
「《ウィンド・カッター》!」
風の刃が放たれ、迫る岩槍を次々と切り裂きながら相手へ向かう。
「くっ…! 大地よ、我を如何なる脅威から守れ――《ストーンウォール》!」
茶髪の少女の前に土壁がそびえ立ち、アルマの魔法を受け止めた。土煙が舞い、場の空気が震える。
だが、アルマは攻撃の手を止めない。
「《ウィンド・ストライク》!」
次の瞬間、圧縮された風の塊が土壁を粉砕し、衝撃波とともに少女を吹き飛ばした。
「きゃぁっ!」
悲鳴とともに地面に倒れ込む彼女。必死に立ち上がろうとするも、目の前には既にアルマが次の魔法を構えていた。
掌には荒れ狂う風の渦――一撃でも放たれれば、勝負は完全に決する。
それを見た少女は唇を噛み、かすれた声で言った。
「……降参します」
「そこまで。この模擬戦の勝者――アルマ・シェルフィード!」
カトリット先生の宣言が響き、アルマはゆっくりと魔力の制御を解いた。
「ふぅ……」
安堵の息を吐いたあと、アルマは静かに手を差し出した。
「大丈夫? 立てる?」
倒れていた少女は、一瞬驚いたように目を見開きながらも、その手を掴んで起き上がる。
「あ、ありがとうございます……」
「怪我はない? どこか痛むところとか」
「い、いえっ!大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます!」
二人は軽く会釈を交わし、石畳からゆっくりと降りていく。
――その姿を見ていた周囲の生徒たちは、感嘆混じりにざわめいた。
「やっぱりアルマさんだよね。あんな戦いの後でも相手への気遣いを忘れないなんて……」
「初等部で学年首席も頷けるよね!」
「私、一部の中級魔法は無詠唱で使えるって聞いたよ?」
称賛の声は途切れることなく続いていく。
アルマ・シェルフィード――
初等部では学年首席。総合評価はA。魔力量もCランクながらB目前と言われ、戦闘や判断力も優れており、”学年で唯一、Sランクに届くかもしれない”と噂される実力者。
気配りもでき、誰に対しても平等に接するその姿勢から、教師にも生徒にも信頼されている。
――それほどの少女が、なぜ総合評価Fの落ちこぼれと言われるユティナと親しくしているのか。
それは、クラスの間……いや、一学年全体でも小さな謎として囁かれていた。
「すごかったよ、アルマ! あんなに魔法を連発できるなんて!」
ユティナが駆け寄り、満面の笑みで声をかける。
「ふふっ、ありがとう、ユティ」
柔らかな笑みを返すアルマ。戦いの緊張は解け、二人の間には穏やかな空気が満ちていった。
だがその空気を、カトリット先生の声が鋭く断ち切った。
「次――ユティナ・ハーリット、マリアベル・ランカスター。両名、石畳へ」
張り詰めた空気が瞬時に戻る。周囲の生徒たちが、一斉に息を呑んだ。
中等部一年二組、初の模擬戦にして、帝国名門貴族の令嬢と、孤児院出身の落ちこぼれの対決。
(ついに来た……。この戦いで、私の未来が決まる)
ユティナの手がぎゅっと握られ、微かに震えていた。




