第10話 二人の皇子
ユティナが夜な夜な草原で魔力の修行を始めてから、数日が経ったころ。
聖王国レディアの名門――レディア聖院女学園の正門前に、一台の豪奢な馬車が静かに停まった。
純白の外装に王家の紋章が刻まれ、御者の制服も完璧に整っている。
馬車の扉が開き、二人の青年と少年が降り立った。
一人は金髪に透き通る蒼眼を持つ、美貌の青年。
もう一人は黒髪に琥珀の瞳を宿した、まだ幼さの残る少年。
「――お待ちしておりました、リシャール殿下。そしてレイモンド殿下」
深く一礼したのは、副学園長のアナベル・ランヤード。
中年の修道女でありながら、凛とした気品を漂わせる女性だった。
「わざわざ出迎えてもらってすまないね、アナベル殿」
リシャールは穏やかな笑みを浮かべつつも、その立ち姿からは王族としての威厳が自然と滲み出ていた。
「いえ、とんでもございません。ようこそお越しくださいました」
「今日は視察で来たんだ」
リシャールは手を後ろに組み、学園の荘厳な門を見上げた。
「ここは未来の聖女が集う場所だ。彼女たちの成長を見守ることも、王家に生まれた者の務めだからね」
「はい、存じております」
アナベルが恭しく頷く。
隣を歩くレイモンドは、背筋を伸ばしながらも、どこか緊張を隠せない表情をしていた。
十四歳――少年ではあるが、すでに次代の王族として公式の場に立つことも求められる年齢だ。
今回が、その初めての正式訪問だった。
「レイモンド、ここを訪れるのは初めてだったな?」
前を歩く兄が問いかけると、レイモンドは一拍置いてから、落ち着いた声で答える。
「はい、兄上。実際に足を運ぶのは、これが初めてです」
「この学園には多くの聖女候補がいる。聖女とは、我が国にとって“信仰と奇跡”の象徴だ。将来、この中から王宮に仕える者も現れるだろう。我々王家は、彼女たちを守る義務がある」
「……はい」
リシャールは少し表情を和らげた。
だが次の言葉には、わずかに棘が含まれていた。
「それに――もしかしたら、この中に未来の妃となる者がいるかもしれんぞ?」
「えっ……!」
驚いたように目を見開くレイモンド。
兄は口元に笑みを浮かべたまま続ける。
「我が母も、もとは王宮に仕えた優秀な聖女であった。……レイモンド、お前ももう少しで15歳だ。これを機に、自らにふさわしい婚約者を見つけてみてはどうだ?」
「お戯れを……」
レイモンドは苦笑を浮かべ、静かに視線を伏せた。
「ふっ、照れるな。私はお前のためを思って言っているのだ」
そう言いながら、リシャールの瞳が一瞬だけ冷たく光る。
「妾の子――しかも昔、給仕として働いていた。そんな母を持つお前は、王宮では何かと冷たい扱いを受けてきただろう? だが、優秀な聖女を娶れば、王家としての“格”も上がる。悪い話ではないはずだ」
その声音には、同情よりも優越の響きがあった。
レイモンドは視線を落とし、唇を噛みしめる。
「……ありがとうございます。兄上の仰る通りにいたします」
しかし、その表情に喜びはなかった。
「――あ、あの、そろそろ学園長室へご案内してもよろしいでしょうか?」
アナベルの声が、張り詰めた空気をそっと和らげる。
リシャールは軽く頷き、微笑みを取り戻した。
「ああ、すまなかったね。案内を頼む」
三人はゆっくりと門をくぐり、静謐な学園の中へと歩を進めた。
⸻
「……で、あるからして、聖女にとって祈りと信仰は切り離せぬもの……」
授業中、ユティナは机に突っ伏したまま、声も出さずにうとうとしていた。
夜ごとの秘密特訓で体力を使い果たし、魔力の疲労も残っている。
(あぁ……パンケーキがぁ……私のパンケーキィィ……)
「……さん……ハーリットさん……」
(だれ……か……呼んで……る……?)
「ユ、ユティ!? ねえ、ユティってば!」
アルマの声に、ようやく意識が戻るユティナ。
目の前の世界がぐらりと揺れ、頭がぼんやりする。
「はえ……?」
その瞬間、教室内に鋭い声が響いた。
「ハーリットさん!」
「は、はいぃぃぃ! もうパンケーキは食べられません!」
勢い余って立ち上がったユティナの意味不明な言葉に、クラス中が一瞬凍った後、あちこちで笑いが起こる。
アルマは思わず顔を覆い、頭を抱えた。
「もう、ユティ、何やってるのよ……!」
「最近、どうしたのですか、ハーリットさん? 勉強に身が入っていないようですが……」
カトリット先生の声に、ユティナはうつむきながら答える。
「は、はい…すみません…」
「中等部ともなると学ぶことは増えます。しっかりしていないと、周りから置いていかれますよ?」
「は、はい……」
「分かったなら、座りなさい。では授業を続けます」
ユティナは小さく頷き、再び机に頭を伏せる。
⸻
授業が終わり、休憩時間。アルマがユティナに駆け寄った。
「ねぇ!? どうしちゃったの、ユティ!?」
「え、いや……最近よく眠れなくて……」
(朝の事や夜の特訓のことは、アルマには絶対言えない。きっと止められるに決まってる。心配もかけたくないし……)
アルマは目を細め、疑いのまなざしを向ける。
「本当にそれだけ?」
「う、うん! ほんと、ほんと!」
「……そう。ユティがそう言うなら、信じるよ。でもね、体だけはちゃんと大事にして」
その言葉に、ユティナの胸の奥が少しだけ温かくなる。
「うん……ありがとう」
「そうだ! ユティ、今日学園に殿下達が来てるって知ってた?」
「え? 殿下? なにそれ?」
「ええ!? 知らないの!? リシャール殿下にレイモンド殿下! この国の皇子様だよ!」
「皇子様……」
「二人とも、めっちゃイケメンなんだよ! いいなぁ、皇子様…。 私もいつか聖女になって、王宮に入って、見初められて、お妃様になっちゃったりして〜」
「アルマ、ソディナ様みたいになるんじゃなかったの?」
「それはそれ、これはこれ! 夢くらい見たっていいじゃない!」
「そうですか…」
「もうー、本当にそういうのユティって興味ないんだから!」
ふと、昔のユティナの姿を思い出す。
魔王としての記憶を取り戻す前の彼女は、聖女を目指して一心不乱に努力していた。
他のことには目もくれず、ただ一心に。ユティナがそこまで頑張っていた理由――それは、幼い頃からお世話になった孤児院に恩返しをするためだった。
聖女になれば、あの場所をもっと豊かにできると信じていたのだ。
だが、今は…。
(今までのユティナには悪いけど、今の目標は、のんびり隠居生活をすることなんだよね。まぁ、余裕があれば孤児院のこともなんとかすればいいか…)
「まぁ、私は皇子様とかはどうでもいいかな。絡むと面倒そうだし」
「面倒って……。皇子様にそんなに興味がないのは、ユティくらいだよ……」
「そうかな?」
二人がそんな話に花を咲かせる傍ら、クラスは騒がしくなっていた。
「ねえ! 今、外庭にリシャール殿下がいたよ!」
「本当に!?」
「み、見に行かなくちゃ!」
クラス中が浮き足立つ中、冷静な声が響き渡る。
「皆、子供ね。 殿下がいらしたくらいで騒ぐなんて。私達は聖女候補生ですわよ? 聖女に恥じない態度をとるべきですわ……」
その声の主はマリアベル。しかし、口では冷静を装っているものの、ソワソワと落ち着かない様子が透けて見えていた。
すると教室に、新たな情報が飛び込んできた。
「ねぇ!? 今、弟のレイモンド殿下も外庭にいらしてるって!」
その瞬間、マリアベルがぱっと立ち上がる。
「こうしてはおられませんわ! 貴方達、行きますわよ!!」
「え? マ、マリアベル様!?」
取り巻き達を引き連れ、マリアベルは勢いよく教室を飛び出した。
その様子に触発され、他の生徒達も次々と立ち上がる。
「わ、私も行こ!」
「あ、私も!」
「ユティ! 私達も行こう!?」
「えー! 私は別にいいよ。体も疲れてるし、休憩時間くらいゆっくり休みたいー」
ユティナは机に突っ伏したまま答える。
「えー!? もう、しょうがないな…。じゃあ、私行ってくるからね!?」
そう言うとアルマも元気よく教室を飛び出していった。
「いってら〜」
ユティナはフリフリと手を振りながら、アルマを見送った。




