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その仮面を外してみてはいかがですか?

作者: にゃみ3


 今晩は、bar マスカレイドへようこそ。


 当店でお楽しみいただくためには、二つのルールがございます。


 一つ、ここでは仮面を被り、身分を明かさないこと。

 二つ、恋仲にある人間が居る場合は、赤の薔薇を。


 …それでは今宵も、アナタに素敵な出会いがありますように。





∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴





「どうして私がこんな思いをしなければならないの…?」



 私はいつもの座席で止まり、マスターが出したカクテルを手に取った。

 わずかに曲げた指先でグラスをなでるように輝きを磨り、その小さな気泡を確かめると、はあ、と深いため息をついた。


 お気に入りのカクテルを一気に飲み下す。



「どうぞ、こちらピンクレディでございます」


「……なに? 私、こんなもの頼んでいないわよ」



 丁度飲み終えたと同時に、正面からぼんやりとピンク色に光るカクテルが出される。私は辺りに目をやりながら、懐疑の眼を向けた。



「あちらのお客様からでございます。」



 仮面を被ったマスターは淡々と手を私の横へ向けた。

 マスターの手の先には、一人の男が座っていた。



「……ああ、そういうこと?」



 私は”ワケ”があって、赤の薔薇ではなく白の薔薇を胸に指していた。


 赤には相手がいます

 白には相手がいません


 簡単に言えば、この薔薇にはそんな意味が込められている。bar マスカレイドが身分を隠して気取らずに楽しめる場所だとはいえ、ここの店は料金的にも客層は裕福な人達だ。

 そのため婚約者や結婚相手の居る人間たちが多い。そのため、トラブルを防ぐためにもこのようなシステムとなっていた。



「今晩は、ピンク色の髪がお美しいですね。良ければ、私と一緒に飲みませんか?」



 暗がりの中で、男の低く滑らかな声が響く。仮面の下から覗く口元は、品のある微笑を湛えていた。目元は隠されているが、それでも整った容姿であることが分かる。



「…いいですよ」



 普段の私ならきっと断っていた。彼がいるから、と。

 だけど、私にはもう関係ないわ。


 男は静かに「ありがとうございます」というと、私の隣の席に腰を掛けた。



「マスター、私にも彼女と同じものを」


「かしこまりました」



 軽く指を上げ、マスターに合図を送る。その仕草すら洗練されていて、紳士的な雰囲気が漂っていた。



「どうして私にこのお酒を?」


「美しい貴女にピッタリだと思いまして」


「……そりゃあ、どうも。」



 私はグラスを持ち上げ、遠慮なくピンク・レディを飲み干した。口の中に広がる甘酸っぱさが、妙に胸に染みる。



「貴方、ここにはよく来るの?」


「ええ。レディがいつも隅で一人寂しそうに飲んでいることも知っています。」


「あら怖い。ずっと私を見ていたの?」


「さぁ、どうでしょうか」



 男は意味深に笑いながら、手元のグラスを軽く揺らした。ピンク色の液体がゆるやかに波打つ。



「ところで、どうして今日は赤ではなく白の薔薇を付けているのですか?」



 男の問いに、私は一瞬動きを止める。そして、静かにグラスを置いた。



「私の婚約者が、婚約破棄を言い渡してきたのよ」



 ぽつりと零れた言葉は、驚くほど淡々としていた。

 


「ほう、それはまた一体どうして?」


「…ははっ、真実の愛を見つけたんだって」


「これはまたロマンチックな話ですね」


「なぁにが、ロマンチックよ…!」





∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴





 それは今日の昼のこと。



「俺は、真実の愛を見つけたんだ。申し訳ないと思っている、しかし君なら分かってくれるだろう?」


「ぐす、ぐす、申し訳ございません公女様……」



 目の前に立つのは、私の婚約者ヘンリー・ブレイク侯爵令息。彼の隣には、淡い金髪を揺らしながら涙を滲ませる伯爵令嬢、レリアン・ロンズデールの姿があった。


 ヘンリーはレリアンを庇うように肩を抱き、まるで私が彼女を傷つけるような存在であるかのように立っていた。

 

 ……ふざけないでよ。


 心臓が冷たく収縮していくのを感じる。

 けれど、私は感情を押し殺し、静かに息を吸った。



「そうでしたか。そうとは知らず、申し訳ございません」



 そう言うと、私は微笑んだ。


 咄嗟に作り上げた、完璧な笑顔。

 頬が痛くなるほどに、優雅で、何の曇りもない微笑み。


 ヘンリーの表情がわずかに曇った。

 なによ、その顔は。私は泣き崩れて許しを請うべきだった?


 レリアンの肩を抱く彼の腕に、力がこもる。



「…君は本当に、何を考えているのか分からないな」



 ヘンリーは私に向かって、そう告げた。



「ごめんなさい」



 私は深々と礼をし、その場を後にした。


 背筋を伸ばし、一歩も乱れず。

 誰にも弱さを悟られぬように。





∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴





「アドバイス?」



 酔いが回り、頭がぼんやりとし始めた頃。男は唐突にそんなことを言い出した。



「はい」



 男はグラスを軽く傾けながら、静かに微笑んだ。



「ふーん、言ってみてちょうだい」



 私と同じくらいの量のお酒を飲んでいるはずなのに、段々と意識も遠のき呂律の回らない私とは違い、彼の口調は驚くほど冷静だった。



「その仮面を外してみてはいかがですか?」


「……はあ?」



 アドバイスというものだから、てっきり婚約破棄までのアドバイスかと思えば、なんなの? それ。



「ここ、barマスカレイドのルールは仮面を外さないこと。貴方だって、分かっているでしょ?」


「はい、もちろん。」



 男は頷いた。


 分かっているなら、どうして……?



「ですがそれは、あくまでこのマスカレードというbarの中でのことの話です」



 男は、グラスに視線を落としながらそう言った。


 その時、不意に彼の仕草に誘われるように、私は視線を上げる。


 仮面の隙間から覗く目元――。


 そこには、青く澄んだ瞳。

 そして、そのすぐ下、右目元に小さなほくろが一つ。





∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴





 私には兄弟が多い。兄が二人、弟が一人。


 一人娘は可愛がられる…そんな話は迷信だと思う。

 貴族の人間は、男であることが全て。女は家の利益になる結婚をする。ただそれだけの存在だ。

 だから、女である私が愛されるなんてことはあるはずがない。


 両親は私に対しては放任主義だった。だから私が婚約破棄を申し出られたと言っても、両親は怒りを見せることもなく呆れたように溜息をついただけだった。



「エステル、ここにサインを頼む」



 低く、淡々とした声が部屋に響く。


 ヘンリーは無造作に一枚の書類を机の上に滑らせた。婚約破棄の示談書だ。


 私は視線を落とし、それをしばらく見つめた。

 そこには既に、ヘンリー・ブレイクの名がサインされていた。


 私のことを捨てたくせに、親しげに私を名前で呼ぶなんて。本当に無礼なひと。



「…かしこまりました。それで、世間にはどう説明するつもりですか?」



 昨日は飲みすぎてしまったからか、頭がまだ痛む。痛み止めを飲んでもこんなにも痛むなんて。


 そんなことを考えながら、私はヘンリーに話す。



「ああ、それなら俺がやっておくからお前は気にするな。」


「そうですか。……あぁいけない。お茶菓子が無くなっていますね、使用人を呼んできますので少しお待ちください」



 ソファーから立ち上がると、私はにっこりと微笑みを向け、部屋を出た。


 疲れた。疲れた、疲れた。


 全て終わらせたら、部屋に戻って直ぐに眠ろう。

 そうだわ、またマスカレードに行くのもいいわね。あそこでは、公爵令嬢エステル・フロンティアではなく、ただの一人の女でいられる唯一の場所だもの。



 使用人を呼びに行くと言ったものの、足が動かない。胸が締めつけられるような感覚に襲われ、私は扉の前でしばらく立ち尽くしていた。


 そのとき、扉の向こうから、ひそひそとした声が聞こえてきた。



「……でも、なんて言うつもりなのよ、ヘンリー?」



 甘ったるい、レリアンの声。



「安心しろレリアン。大丈夫だ、それには考えがある」


「へえ、どう言うの?」


「完璧淑女エステル・フロンティア公女様には、跡継ぎを産むことができないという、一番の欠点があった。そう、言いふらすつもりさ」



 一瞬、時間が止まったような気がした。


 ……今、なんて言ったの?



「そんなことをしたら、エステル公女は嫁の貰い手がなくなってしまいますよ」


「ははっ、そうだろうな」



 ぞわり、と背筋を駆け上がる悪寒。まるで冷たい刃を突きつけられたようだった。



「本当に酷いひと。でも、私はそんな貴方の傍に居てあげますよ」


「レリアン……」



 ――気持ち悪い。

 気持ち悪い、気持ち悪い……!


 バンッ!!


 勢いよく扉を押し開けた。

 重厚な扉が壁に打ちつけられ、普段よりもずっと大きな音を立てる。


 ヘンリーとレリアンが、凍りついたようにこちらを振り向いた。



「エ、エステル公女……?」



 突然現れた私の顔を見て、青ざめさせて驚くレリアン嬢に、流石にまずいと思ったのか慌てるヘンリー。


 愕然とした表情を浮かべる二人を睨みつけながら、私は強く奥歯を噛みしめた。



「エステル……俺は、お前の全てが不愉快なんだよ!!」



 突如、ヘンリーが叫んだ。


 私はまだ何も言っていないというのに。


 それは言い訳のつもりなの?


 私が不愉快だから、 私が子供を妊娠できないという嘘の噂を流そうとしていたの?


 それがどれほど貴族令嬢にとって致命的なことか、分からないとは言わせないわよ。

 結婚の道具として疲れる貴族の娘にとって、結婚市場で価値を失うということは、つまり――人間としての存在を否定されるも同じ。


 私の全て。

 貴方は、私の何を知っているというの?

 私は、貴方には仮面を被った姿しか見せていないわ。

 淑女として完璧な、エステル・フロンティア公爵令嬢の姿を。

 仮面の裏を覗いたことすらない貴方に、私のなにが分かるっていうの。


『その仮面を外してみてはいかがですか?』


 ――仮面を取る。


 私は、その瞬間すべてを理解した。

 あの男が、彼が言った言葉の意味を。



「……いい加減にしてくださいよ」


「はっ、?」


「不愉快ですって…? それはこっちのセリフよ!」



 普段は冷静で大人しい“完璧な淑女”が豹変した姿に、ヘンリーは驚きが隠せない様子だった。

 目を見開き、思わず一歩後ずさる。

 しかしその反応は、私をますます苛立たせた。


 アンタには少しも情が湧かない。


 両親から「お前の婚約者だよ」と紹介されたとき、私は貴方に何も思わなかった。

 ただ、私の、エステルの婚約者はこの人なのか――そう、思っただけだった。


 私は貴方に対して、情も無ければ愛だって無い。


 今、淑女エステル・フロンティアの仮面を外した時。

 私はアンタが、憎くて憎くてたまらない…!



「え、エステル…?」


「アンタみたいなクソ男、こっちからお断りよ!!」



 私はテーブルの上にあった紅茶のカップを手に取ると、それを迷いなく振りかぶった。


 ――バシャッ!!


 深紅の紅茶がヘンリーの顔面に勢いよくかかる。


 滴る液体が彼の整った顔を濡らし、シャツの襟元に染み込んでいく。



「…私はずっと、アンタのその間抜けな顔が嫌いだったわ」



  私は微笑んだ。心の奥底から軽やかに、愉快に。



「真実の愛? バカなこと言わないで。アンタはただ、私より扱いやすい女に逃げただけでしょ?」


「なっ、お前…!」



 ヘンリーの顔が怒りに歪む。しかし、それすらも私には滑稽でしかなかった。



「なんだよエステル、お前おかしいぞ…? この一瞬で、何があったって言うんだ」



 おかしい? 確かに、おかしいかもね。だけど、これが本当の私。

 私は今、この瞬間変わったの。





∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴





 私にあんなにも怒る両親を見るのは、初めてだった。

 どれだけ勉学に励もうとも、どれだけ私が努力しようとも、彼らが私に振り返ることはなかったのに。

 完璧な淑女でいれば、いつか両親は私を見てくれると思っていたが、そんなことはなかった。


 けれど、今日――私がその長年被り続けた仮面を取ったとき、初めて両親は私を振り返った。

 本当に、皮肉な話だわ。


 ギャーギャーと喚いているヘンリーとレリアンも、周囲の人からの声も、もうどうでもいい。

 後片付けはきっと大変だろう。だけど、我慢をやめた今、それすらも面白く思えてしまう。



「聞いたよ、エステル」



 低く響く声が、静かな書斎の空気を切り裂いた。


 振り向くと、そこに立っていたのは見慣れた人物――アルベール・フォン・ランカスター皇子殿下だった。


 薄い金色の髪を整え、彼の端整な顔立ちには余裕を漂わせた笑みが浮かんでいる。

 あなたが私の元を訪ねてくるなんて、珍しいこともあるものね。



「……ごきげんよう、アルベール皇子。あなたが私の元を訪ねてくるなんて珍しいですね」



 アルベールは静かに歩みを進め、執務机の向かいの椅子に腰を下ろした。まるでここが自分の居場所であるかのように、くつろいだ様子で足を組む。



「随分と世間を騒がしているようじゃないか」


「勝手に周囲が騒いでるだけでしょ?」



 私は心底つまらなそうに答えた。正直、誰が何を言おうと気にするつもりはない。



「…ははっ、本当に噂は本当だったようだ」



 アルベールは小さく笑い、興味深そうに私を見つめた。

 この男の目が「面白いものを見つけた」と言わんばかりに輝いているのが、少しだけ癪に障った。


 こんなことになったのは、“貴方”だって当事者なのよ?



「どうして突然いらっしゃられたの?」


「君の姿が近頃見られないから、元気にしているのか見に来てやったんだ。はっ、僕はなんて優しい友人だろうか」



 彼の気の抜けたような口調に、私は冷ややかに微笑んだ。



「それは、社交界での話ですか? ……それとも、barマスカレイドでですか?」



 アルベールの表情が一瞬止まる。驚いたように眉を上げるが、それもほんの刹那。すぐに笑みへと変わった。

 さすがはアルベール皇子。そう簡単に動揺するような男ではない。



「あなたにあんなにも紳士的な仮面があるだなんて知りませんでしたわ、アルベール皇子」



 私の言葉に、彼の微笑がわずかに深まる。

 その目が、獲物を見定めるように細められるのを見て、私は確信した。



 仮面はすべてを覆い隠せるわけではない。

 

 あの日の夜、bar マスカレイドで男がカクテルに視線を落としたとき、私は見た。

 青く澄んだ瞳。そして、右目元にある小さなほくろ。


 それはまるで、仮面の裏に隠された秘密のように、僅かに彼の素顔を垣間見せていた。

私、物語って初めと終わりが1番面白いと思うんです。


この物語は自分を演じ続けるエステルと、そんな彼女の仮面の裏に惚れ込んでいるアルベールのロマンス物語の、始まりです。


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