『平和な朝食』
――誰かのために生きるのが嫌だった。
……自身が、誰かのためにしか生きられないと知った。
何者にも砕かれない強い心が必要だと思った。
そんなものは無いと、思い知らされた。
〝心の書架〟に詰められた本の群れは、余りにも後悔ばかりを綴っていた。
自分のために生きたいと、そう吼えるには少女は余りにも世界を知らなさ過ぎた。
――自分を知らな過ぎた。
「ん……」
ステラは伸びをしながら、壁に掛けた時計をぼんやりと見つめた。
時計の針は午前の五時半を指してあった。
「起きないと……」
這う這うで布団から抜け出す。
寝間着を脱ぎ捨てる。ミュー程ではないが、美麗かつ豊満な裸体が晒される。
「――――」
まだぼーっとする。
寝間着を適当に放っておく。
服を着て、前で髪を結わえた。
「……」
眠気眼を擦りながら、少女は自室を出る。
「あ、おはよーっス」
「おはよう。ミュー。早いね」
「なんか起きちゃったっス。警戒する対象がいるせいっス!」
「あの人もわざわざ、警戒されるようなことはしないと思うけど」
「わかってないっスね、男ってやつを」
「ミューだって知らないじゃない」
自室を出て、回廊を歩いていると偶然にもミューとあった。
朝の挨拶を交わしつつ、二人は厨房に向かった。
今日の料理当番は、二人なのだ。
「でも実際、チビ共はやっぱり警戒しているみたいっスね」
「まあ、男の人なんて私達も殆ど接しないし」
「そうっスね……」
〝妖精兵器〟は秘匿されていない。当然、フェスト軍国の軍人に知らぬものは阿呆位である。
だが――その使用法は秘匿されている。
彼女たちの存在は知らされているが、彼女たちと接触する者は極力限られているのだ。
「――ミューはあの人が嫌い?」
「……、あー」
ミューは猫耳をピコピコ動かす。
「――好きか、嫌いかで物事を語るのは嫌いっス。その判別と分別だと、突き詰めたら敵と味方しか残らないから」
「――――」
儚い笑みを浮かべる。
綺麗だな。
ステラは彼女が愛らしくて、抱きしめた。
「ぎゃーっス!」
「もう、可愛いな! 好きだな!」
確かに、全てを好きか嫌いかの主観で進めたせいで、世界はこんな形になってしまったのかもしれない。だけど、素直に「好き」ということは、大切だと思った。
彼女に抱き着いて、いちゃいちゃしていると、橙色の髪をした五、六歳ほどの少女がとことこ歩いてきた。
「ネネ早いね! どうかしたの?」
「離すっス! ネネおはよーっス」
「おはよーっ!」
元気よく挨拶するネネ。
「えっとねー、キッチンでね! あの人が料理してる!」
「りょう――」
「――り?」
二人して見つめ合うのだった。
厨房では、エプロンを付けたリーベスが忙しなく料理を作っていた。
その手際は贔屓目抜きで、プロレベルであった。
凄まじい量の朝食をてきぱき作っていく。
「あんなこと出来たんっスね」
「意外だね」
自分をぞんざいに扱う彼が、生活力があるとは思えなかった。意外な一面と言うやつだった。
「意外といえば――」
「うん……」
彼の脇で、朝食作りを手伝うフロイだった。
フロイは普段、読書ぐらいしか意欲的に動かない。
彼女が能動的に、何かをするのは珍しい。
「……スープこれでいい?」
「どれどれ」
フロイがお玉を差し出してくる。
小皿に移して、味わう。
「イイ感じだ」
「……そう。よかった」
微笑む。
「うそ、今笑った……⁉」
「初めて見たっス!」
何時も無表情なフロイが微笑むなど、彼女らにとって青天の霹靂だった。
「……」
「お前ら見てるくらいなら、手伝えよ!」
卵を溶きながら、叫ぶリーベス。
軽はずみに、朝食でも作ろうと思ったのが間違いだった。
「何なんだ⁉ この殺人的作業量は!」
「……大変」
「仕方ないね」
「まあ、もともと私らの仕事っスからね」
笑いながら、二人は手伝う。
流石に四人となれば負担は激減する。三十分ほど経過するころには、全員分の朝食が出来上がるのだった。
大量の朝食は、食堂へと運ばれる。
「「「わあー‼」」」
豪勢な朝食が眼前に並び、黄色い声を上げる子供たち。
特に、橙色の髪をした少女――ネネが、リーベスに目を輝かせていた。
「お兄さんが作ったの⁉」
「俺だけじゃないがな」
「すごーい!」
スプーンを手にとって食べようとしたネネにステラが注意する。
「こーら! 精霊様に感謝を伝えてからだよ!」
「そうっスよ」
「はーい」
胸の前で手を組んで、祈りを口にする。
『いと気高き、精霊の皆さま。感謝を』
短く感謝を述べて、食事が始まる。
子供たちの喧騒で、食堂がにぎやかになる。
「美味しい」
「悔しいっス」
「……ん」
「まあ、上々」
ステラが朝食の出来に、驚き、ミューが悔しがる。
フロイが無表情で同意して、リーベスが料理の出来に満足する。
子供達も気に入ってくれたようで、リーベスに話しかけてくる。
「あのね、あのね! すっごくおいしい!」
「そうか、よかったな」
「うん!」
満天の笑みだ。つられてこっちも笑ってしまう。
「良かったね、クーフェ」
「うん!」
青髪の女の子――クーフェの頭をステラが撫でた。
そうして、平和な朝食が続いていく――。
リーベスの短い生の中で、初めて感じる平和な朝食。
矮小で、無意味で、無意義な自分の人生に、まるで意味が出来たような気がした。
未来を感じた気がした。
――……私は、貴方のコトが嫌いよ。
――後ろ向きなヒトは大嫌い。
――そんな悲しい顔はしないで。
遠くの果てで、懐かしい少女が吼える。
ああ、知っているさ。俺も俺が大嫌いだから。
――貴方は誰かのために死のうというの?
――……変なの。
――みんな誰かのために生きようとしてるのに。
戦場で、どうしてあんな風に笑えたのだろうか。
きっと彼女のおかげだ。
――どうだろう。
――私は……――。
――貴方のコトが――……。
「如何かしたっスか?」
「……いや」
どうして、今昔のコトを思い出す。
昔日の想いを再熱させる? 決まっている。今この場が――あまりに安らかだったから。
あの戦場と同等かそれ以上に――。
まだ住み込んで数日。
なのに、これ程安らいでいる。
どれ程自身が、荒野を歩いていたか分かる。
――俺は、ひとりが嫌だったのかな?
――……さあ。
――おまえな……。
――知らないよ。ただ、一人は寂しいよ。
一人は寂しい。
その通りだな。
可笑しくて笑ってしまう。
死にたがりのこの俺が、一人が寂しいなんて。
其れこそ何とさもしいことか。
本来ならば、侮蔑の言葉が湧いてきただろう。
だが不思議と――自己嫌悪は無かった。
「どうしたの、食べないの?」
ステラが首を傾げる。
翠の瞳と目が合った。
……数秒目を合わせていると、彼女が照れたように目を逸らした。
「何見つめ合ってるんっスか」
「見つめ合ってないけど⁉」
「おお……、そんなに激しく否定しなくても」
「見つめ合ってないから! ないからね⁉」
「わかったっス、わかったっス!」
汗をかきながら宥めるミュー。
おお、ここまで乱心するステラを見られるとは、汗をかきながら満足するミュー。
「いやー、可愛いっスね!」
「可愛くないけど⁉」
「なんにでも反応するんだな……」
「しないけど⁉」
「めんどくさ」
混乱して、総ての発言に突っかかる。
ステラ本人、自身が何を言っているか分かっていないだろう。
「まったく……賑やかだな」
珈琲を口に含んで。目を瞑り、其の喧騒に耳を傾ける。
悪くない。
そう思える自分が好ましかった。
変われるのかもしれない。
人は何時か――変われる。
もしも変われるのなら、俺は幸せになりたい。
「幸せか……一体どんな味なんだろうな」