『星が瞬く、こんな夜に』
「……」
目を覚ませばそこは知らない、布の天井だった。
硬い地面。軋む身体。
――その総てが、起きた事が悪夢ではないと物語っている。
「……っ」
吐き気がした。
酷い嘔吐感。
総てを吞み込んだ。嗚咽も涙もすべて吞み込んだ。
だって泣く資格が何処にある? 果たして自身悲しむ資格は所在るのだろうか? 断じてあるワケが無い。
「起きたか?」
「――――っ」
突然声を掛けられた。
夢の中で最後見た顔だった。
「リーベス……」
「無事でよかった」
「無事……ここは?」
そうか無事なのか、おめおめと自分だけが無事に……。
「ここはベースキャンプだ。〝結界石〟一個分が残ってな、小さいが何とか態勢を立て直しつつあるよ」
クーフェの【妖精疾走】によって殆どの〝結界石〟は砕けた。
しかし、最後の一つは何とか残ってくれた。
その残った〝結界石〟を隠形に利用して、ステラを抱えてレインの下へ帰還した。
「閣下たちはあの蛇の〈モンスター〉に襲われてなかったよ、如何やら建造物内にのみに居るみたいだ」
「そう……」
無気力に応えを返す。
「奴らの生態は知れないが、襲ってこないというコトは存外日光がダメなのかも」
「……」
「若しくは、俺たちをより効率的に殺戮するためなのか」
前者であるならば、話は何とも簡単だ。
『トゥーゲント・ヘルト』を爆撃する。それだけで未知の〈モンスター〉は駆逐できるが……。
望み薄だろう。
あの戦闘力から言って、やつらが純種であるのは間違いない。
【未開拓領域】は紫外線が減退することなく降り注いでいる。
条件は当然なことだが、【生存権内】よりも厳しい。
「恐らくだが、俺たちを逃がさないためだ」
「……」
枝蛇が一斉に攻め立てれば、リーベス達はなりふり構わず逃げるだろう。
あの速度と巨体だ、殆どの将兵・士官は殺されるだろうが、あの〈モンスター〉には目が無く、リーベスたちが見た通りに、連携も不得手である。
恐らくだが、一割程度ならば生き残れるかもしれない。
「あの〈モンスター〉は俺たちを徹底的にぶち殺したいらしい」
「……そう」
「〈モンスター〉が巣くう最前線基地を放置できないからな、必死で戦うさ、あちらが攻めて出てこない限りは」
現状での枝蛇の総数と総力は測れない。
そう図れないのだ。故に、奴らが必死に攻め立てなければ此方も放置できない。だが、奴らが絶望的な戦力差を見せつければ、現状戦力での打開が困難だとこちらは判断する。
そうなれば九割を切り捨てて一割に望みを託すだろう。
……すくなくとも、レインという男はそれができるリアリストである。
「逆に俺たちも迂闊に動けないがな……」
俺たちが逃亡の動きを見せれば、それこそあの〈モンスター〉は重い腰を上げるだろう。
そうなれば、あとは前述の通りであろう。
「だが悲観ばかりでもない……逆に言えば、俺たちは攻め手に回れるというコトだ」
言うなれば枝蛇どもは受けの耐性である。
罠を備えて、獲物を待ち、殺し尽くす。
つまり相手は敢えて、後手に回っている。
先手を取られはしたが、今度は此方が攻める番だ。
「それで……?」
「……」
無気力な声音で、ステラが訊き返した。
「まだ私に戦えと?」
「――――」
「こんなに失って傷ついて、まだ足りなくて死ぬまで戦えって言うの……? 君達人間は凄く傲慢なんだね……」
無気力に、笑う。
自嘲を滲ませる。
あまりに哀れだった。
「……」
「どれだけ私たちに、血を流させれば気が済むの……? 自分達は安全地帯で悠々とお茶でも飲んでるんでしょ?」
それが八つ当たりであることは明白で、だけど、リーベスは反論しなかった。
「何とか言ってよ……! 私、今君に凄く理不尽なこと言ってるでしょ⁉ どうして何も言わないの――!」
金切り声を上げて、枕を投げつけた。
「君だって辛いでしょ⁉ 苦しいでしょ! なんでそんなに平然としていられるの……⁉」
彼が無痛症患者のように、痛みを理解できないヒトではないコトは理解している。
……彼が、痛みを感じるほどに〝妖精兵器〟のことを想っている事も知っている。
故に解せない。
彼が滔々と言葉を紡ぐことが。
「――俺が泣いたら、三人は返ってくるのか? 喚いて不満を漏らせば、理不尽に打ちひしがれれば、悔恨を言葉にすれば……きっと誰も顔を喜びで染めはしないだろ?」
とても不毛だ。
喜び悲しみも、今は不要だ。
今は割り切ることが肝要だ。
そう自分をが任す術を――リーベスは持っている。
ただそれだけの――。
「……経験の差だ。俺は多くを見捨てて、自分を誤魔化してきた。きっと是からもそうする――」
だが、と彼はつづけた。
「だけれどお前はきっと向き合ってきたのだろう? だから苦しんでいる、麻痺せずに今を苦しめる、お前は俺たちよりもよっぽど人間的だよ」
そう言って彼は微笑んだ。
「ふざけないで……」
震える声音が、響く。
「〝妖精兵器〟が人間らしい? そう作っただけでしょう? 全部そう造られただけだよ!」
「違う、君の潜在的要素は確かに、開発者に依るものかもしれない。だがお前が誰を想うのは、お前が獲得した尊厳故だ」
「……!」
「卑下するな、聞いていて、気分のいいものじゃない」
彼女は顔を伏せた。
膝にかかった毛布を握りしめた。
「私のせいなんだよ?」
「――――」
「私があの時恐れたから! 死にたくないって、そう思ったから……!」
「――――」
あの時ステラが、死を惜しまず、枝蛇を殺していれば、ネネもクーフェもレオニダスも死ななかっただろう。
「……ずっと、嫌だったの。知らない誰かのために戦うのが嫌だった。戦うならせめて自分の理由が欲しかったの」
「そうか……」
「だから、あの子たちのためなら戦えた――」
それが唯一、彼女が戦場で刃を振るうための理由。
「だけど……それさえ私は――!」
しかしその理由迄手放した。
「あの子たちのためなら、死ねると思ってたの! でもできなかった! 恐れたの!」
「……」
黙して、彼は耳を傾ける。
積もりに積もった彼女の想いを受け止める。
「私が死ななきゃいけなかったのに……君と、生きたいと思ってしまったの……」
告解するように、彼女は彼に懺悔する。
「二人よりも私は……! 君を想う自分を優先したの……‼」
ネネは無論、クーフェが死んだことも知っている。
妖精――その中でも特に親しい者たちは、精神の深奥で感応している。だからわかる。
二人を殺したようなものだ。
見殺しにした。
赦される筈が無い。
彼と今こうして、語らう資格など――。
「――ふぇ?」
不意に温かなモノが、頬に触れる。
「死を恐れるのは当然のことだ」
それはリーベスの右手だった。
「立てるか?」
「え――?」
リーベスが唐突に訊いてくる。
彼女は「た、たぶん」とたどたどしく応えた。
「そうか……」
リーベスはそう言うと、ステラの手を引いて、天幕の外に連れ出す。
外は既に日が暮れて、円環の星空が優美に回っている。
「どこにいくの?」
「いいとこだ」
彼は優しく笑った。
彼女は何も言わず彼に従った。
「……」
「……」
しばし沈黙が続いている。
二人の間は優しい無音の中だった。
「……」
周りは皆、忙しなく動いている。
誰もまだ、諦めていなかった。
それはあの絶望をまだ目の当たりにしていないためか……。
「南部の奴らが、やられっぱなしで終わるかよ。やられた分だけやり返すさ」
「……」
木々の合間に見える灯が、諦めない闘志に思える。
「ついたぞ」
「……?」
そこは巨大樹であった。
周りにあるものよりも一際大きいものだった。
「周りの木のせいで、空がよく見えないからな」
「なにを……っ」
ステラが疑問を口にするよりも速く、彼女を横抱きにして跳躍した。
ワイヤーを使い、見る見るうちに頂上付近まで登る。
「……!」
「やっぱり悪くない眺めだな」
視界が一気に開け、新緑の森が円環の星々に照らされる絶景が其処にはあった。
「どうして、ここへ来たの?」
「風が気持ちよさそうだったから?」
「莫迦なの君は……」
この一大事に、そんな下らない理由で連れ出したのか。
しかも結構重い話をしていたのに。
あきれて肩の力が抜けた。
「まあ、言いたいことは分かるがな、この空綺麗だろ?」
結構好きなんだよ、と彼は言った。
「私は嫌い」
「どうして?」
「何処を探しても贋物ばかりで、私みたいだから」
偽物の夜も、星も、風も、嫌いだ。
「こんな狂ってる世界、嫌いだ」
「俺は好きだよ」
「どうして? こんな悲しいことばかりの世界を、どうして好きだって言えるの?」
解せないと彼女は訊いてくる。
その疑念を真っ向から受け止めて――。
「――お前に出遇えた。陳腐に聞こえるかもしれないが、それが総てだよ」
――微笑んだ。
「……っ⁉」
彼女はリーベスの柔らかな微笑に赤面する。
「俺も正直、呪いたい。滅んでしまえと思ったことも一度や二度じゃない。だけど――」
彼は空を仰いだ。
「否定するには、大切な人に出会い過ぎた……」
「……!」
「はじめは独りだった俺が、気がつけば皆に囲まれていた。囲むものを失い、傷つき疲れた果てで、今度はお前に出遇った」
長い旅の終わりを何度願っただろう。
フレデリカを失ったばかりのリーベスにはどう死を飾るかしか、想いは無く――掌を眺めるばかりだった。
過去を想い、未来を嘲り、現在を後悔で埋める。
不毛で無意義で無意味で。
吐き気のする毎日。
それが、閣下の命で管理人となった。
その日々が、リーベスに新たな道を与えてくれた。
「ステラ、お前は生きろと願われたのだろう?」
「……っ!」
「妹にそう思われたんだろ?」
「……」
「だったら生きろ――俺も生きる」
はじめて……彼女が死んでから初めて――リーベスは生きるために戦うことを決めた。
「私のせいで死んだのに、生きていいのかな?」
「当たり前だ。お前が死んだら、二人は何のために死んだんだ」
「でも……」
許せない。自責の念が彼女を責め立てる。
「分かるよ、残された奴の気持ちはよく知っている。だけど、其れの意味はない。どれだけ自分を責め立ててもそれはただの自己陶酔だ。意味は無いよ。鏡をたたき割っても、死にそうな面が増えるだけだ」
何度も、何度も、残った自分を呪った。
彼女とともに死ねと、何度も怨嗟を放った。
その度に――。
――貴方は生きて。
「死のうと思う度に、あいつの顔が浮かんでくる。バカみたいに綺麗なあの笑顔が」
「……」
誰のことなのかはわからなかった。
ただそれが、彼のとても大切な人物なのだとわかった。
「ずっと逃げてきた、あいつの想いから。あいつの想いを無視して、あいつの下へ行きたかった。だけど、俺は生きるよ。今を生きる。お前たちと一緒に。俺を変えてくれた、お前たちと一緒に……」
なにもかも、簡単なコトだった。
些細な積み重ねだった。
ほんのわずかな切っ掛けで、ヒトは変われるのだ。
導を失い、寄る辺を失っても、進み続けて、新たな寄る辺を得てさらに篝火をえた。
「過去を見ながらじゃ、未来は見えない。考える事さ出来ない。でも、誰かが手を握ってくれるだけで、こんなにも暗闇は簡単に晴れる」
「……っ‼」
リーベスは彼女の手を取って握りしめた。
温かな体温。
それが甘やかに、彼女心に巣くった闇を溶かしていく。
「……見てみろ、流星だ」
「……!」
星が落ちている。円環から落ちて、導を失い新たな地へ落ちていく。
「俺は、願ったぞ?」
「何を願ったの――?」
彼はニヤリと笑った。
「お前と一緒に帰る」
「そっか……」
もう一度、空を見上げてみた。
「――――」
あまりに鮮明に、その夜は輝く。
その美しさゆえに、それが贋物であると伝えてくる。
しかし、矢張その夜は美しい――。




