25. 決意の一歩
三人は、正装に身を包んだ人々の流れに乗り、メインホールへと続く回廊を進む。「ベルーシェ」にとっては、半月以上毎日通い続けた馴染みの道だ。しかし今夜は初めて、そこを「シェリー」の姿で歩いている。
これから挑むのは、勝つためではない、負けるためのゲーム。
(これは、ベルハルト様たちの作戦。わかってる。きっと上手くいくはずだわ)
負けるのは簡単だ。不適切な局面でオールインをすれば、一瞬にして終わらせられるのだから。しかし、その後の行方はベルハルトたち次第だ。
いつもと違う目的、そして先の見えない不安にシェリーの歩みが遅くなる。
(そう、きっと上手くいく……けれど、もしも……もしも事件が解決しなかったら? 証拠を掴めずに財産を失って、没落して、私とお父様は平民になって、それでお姉様は――お姉様は、ベルハルト様と結婚するの?)
気づけば、回廊の真ん中で立ち止まっていた。
シェリーは、先を行く二人を見つめる。父の手にある、旅行かばんが目に入った。その中には、シェリーが稼いだ分も含めた、全財産が詰まっているはずだ。
(私はこれから、全てを賭けて負けにいく……)
自分がしようとしていることを、ひたり、ひたりと実感する。
事件を解決したい。役に立ちたい。けれども、どう転がるかわからない未来が急に怖くなる。
胸に燻るこの片思いは、ベルハルトが誰かと結婚するまでだと覚悟していたはずだ。しかし今、現実味を帯びた恋の終わりに直面し、彼が誰かと結ばれる結末は見たくないと、そう思ってしまった。
前へ進む一歩を踏み出せない。
(……結局、私はどこまでも身勝手な、臆病者なのね)
立ちすくんだシェリーの横を、人々が訝しみながら通り過ぎていく。
質素な灰色のワンピース、そしてそれとは対照的な、美しくも珍しいプラチナブロンドの髪と、桃橙色の瞳。周囲に馴染まない、ちぐはぐな姿がぽつんと浮いていた。
誰もが異質なシェリーの様子をうかがう中、ひとりの女が前方から歩いてくる。貴族らしい華やかなドレス姿のその女は、シェリーの顔を見るなり、はっと目を見開いた。彼女はすぐさま周囲を確認すると、シェリーに近づき、耳打ちする。
「シェリー嬢ですよね? なぜ、このようなところに?」
「え?」
知り合いではないはずだ。にも関わらず、一方的に認識されていることにシェリーはたじろぐ。
女はそんなシェリーの背中を軽く押しながら、壁際へと誘導した。
「ここは賭博場ですよ。おひとりで来られたのですか? それともパッツィ伯爵と共に?」
「ち、父と……いえ、それよりもあなたは誰?」
「私は王宮の者です。とある事情でここにいるのですが、ベルハルト卿からその辺りのことはお聞きになられていますか?」
ベルハルトが絡んでいるのなら、今夜のゲームとその調査に関連することだろう。この人が本当に王宮関係者だとしたら、彼女もまた調査隊の一員なのかもしれない。
シェリーは、女の問いに答えようと口を開く。
「ベルハルト様の指示については聞いています。今夜のゲームを、負けたらいいのですよね?」
「今夜のゲーム? 一体なんの話――もしかして、金貸しから接触があったのですか?」
互いに戸惑いの表情を浮かべながら、顔を見合わせる。
調査隊の間で情報共有ができていないのだろうか。それとも、ベルハルトが言っていた「別件」の関係者だろうか。
どちらにしろ、事情を知らない女のために、シェリーは現状と経緯を説明する。
「金貸しから昨夜ギャンブルの誘いを受けて……今日、姉がベルハルト様に相談しに行ったのです。そしたら、誘いに乗って負けてほしいと指示があって」
「ベルハルト卿が? そんなはずは……詳細を確認したいので、場所を移しましょう。ここは目立ちますし」
「こ、これからゲームが始まるのです。私が父に代わって参加することになっているので、今すぐ行かないと」
女はシェリーから視線を外すと、なにかを探すように周囲を見渡す。そして再びシェリーと顔を合わせ、早口で告げた。
「では私が急ぎ、ベルハルト卿に確認してきます。それまで待っていてほしいところですが……ゲーム不参加となると怪しまれるかもしれません。ですから確認が取れるまで、なんとか場を繋いでいただけますか?」
「場を繋ぐ? 手持ちがなくならないように、ゲームを続けるということでしょうか?」
「ええ、なかなか難しいお願いかと存じますが……」
「それならできます。けれど、その後は?」
「頃合いを見計らって、我々から改めて指示を出します。ちなみにゲームは、なにを?」
「ポーカーです」
シェリーの返答を聞いた女が目を丸くする。
(そこまで意外な答えだったかしら?)
女はシェリーの顔をまじまじと見つめた。そして、思案するように眉根を寄せる。
「シェリー嬢……あなたは、もしかして――」
女がなにかを言いかけたその時、回廊の向こうから父たちが歩いてくるのが見えた――隣にいるのは、ニコニコと笑みを浮かべる小太りの男だ。
それを横目で確認して、すぐさま口を閉じた女はシェリーに優雅な挨拶をし、別れを告げる。その目はシェリーを捉え、さきほど告げたことを忘れないようにと強く訴えかけていた。
(――私は)
姉の言葉と、女の言葉。正反対のそれに揺れる心の中、シェリーは決意した。
「シェリー! すぐにゲームが始まるようだから、準備しなさい」
シェリーを迎えに来た父たちが声をかけた。父の隣にいる小太りの男は、感じの良い笑みを浮かべながらシェリーに向き合う。
「あなたがシェリー嬢ですか。私は、貸金業を営んでいるボードレールと申します。今夜のゲーム、楽しみにしていますよ。是非とも大金を稼いで、借金を返済してくださいね」
(この声……)
中庭で聞いた男の声と同じだ。つまり、不正の話をしていた男と金貸しは同一人物で間違いない。
(ということは、今夜のゲームには金貸しの仲間のプレイヤーがいるはずだわ。おそらく、相当に強い)
強いプレイヤーがいると当然、金を巻き上げられる人も増える。そうして同席者の人数が減ると、ゲーム続行も危ぶまれる。手持ちを維持することも難しいだろう。様子見をしているだけでは、ベルハルトたちの指示を受けるまで場を繋ぐこともできない。
(それなら、私がすべきことは――)
シェリーは金貸しの男をじっと見つめ、静かに言葉を発する。
「ええ、楽しみにしていてください。私は精一杯、全力で足掻いてみせます」
それだけ告げると、メインホールへ向かって力強く一歩を踏み出した。




