表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/26

22. 向き合えない心

 シェリーは横を振り向き、目を見開く。

 小路に繋がる小道の階段。そこを駆け下りてくるのは、愛してやまない――しかし今は誰よりも会いたくなかった、幼馴染だった。


(……どうして)


 思わぬ人の姿を認め、シェリーの脚が縫い止められた。その隙きにすぐさま追いついたロウが、彼女の腕を掴んで引き寄せる。


「ベルーシェ、聞いてください! ボクは――」

「シェリー、その人は?」


 抱きとめられたロウの腕の中、耳に入ったのはいつもより低いベルハルトの声。

 ロウの視線が、駆けつけたベルハルトに注がれる。対峙した二人の間に挟まれて、シェリーは思わず息をのんだ。

 なぜベルハルトがこんな場所にいるのか。なぜベルーシェに扮するシェリーを見抜けたのか。ロウとの関係をどう伝えるべきか。この状況をどう説明すべきか。


(助けを求める? でも、ロウになにかされたわけじゃないわ。警邏に突きつけたいわけでもないし、私はただ逃げたかっただけで……)


 ぐるぐると頭の中が混乱する。言葉に詰まったシェリーをどう捉えたのか、ベルハルトが質問の矛先をロウに変えた。


「シェリーとはどういった関係で?」

「『シェリー』?」

「……まさか、彼女の名前も知らないのですか?」


 眉をしかめるベルハルトを見て、シェリーは慌ててロウに向き合った。


「ロウ、ごめんなさい! 実は私、シェリーが本名でベルーシェっていうのは、えっと……愛称! 愛称なのよ」


 ベルハルトに内緒で子供の名前を考えていた後ろめたさと、ロウに嘘をつき続けてきた罪悪感。それらに押しつぶされて、シェリーは咄嗟に言い訳をする。


「愛称だって?」


 しかし、その弁解に反応したのはロウではなく、ベルハルトだった。

 彼は目を細めてシェリーを見る。


「それは、二人の間だけの特別なもの? 僕はシェリーの愛称なんて知らないのだけれど」

「えっと、これは、その」

「呼び捨てだし、僕と話すときよりも気安い口調だし……カツラもお洒落のためだったのか? もしかして、その人が例の――」


 日陰にいたベルハルトが、影の境界線を一歩踏み出す。陽の光を受けて増幅した存在感と、淡々とした問いかけ。その静かな圧力に、シェリーはたじろいだ。

 後ずさりした彼女を、すかさずロウが支える。そしてそのまま、ぽつりと呟いた。


「なるほど、きみが彼女の『大切な人』だったのか」


 それはまるで、全てを悟ったかのような声色だった。

 ロウはベルハルトを見据えると、自身の腕の力を抜いた。支えをなくし、体勢を崩したシェリーが、咄嗟にロウにしがみつく。

 二人に近づく足音がピタリと止んだ。


「……シェリーとは随分と親しそうですが、お名前をお伺いしても?」


 数歩の距離を空けたまま、ベルハルトがロウに問いかける。

 ロウは、体勢を立て直そうとするシェリーを大げさな仕草で手伝うと、ふんわりとした笑みを浮かべた。


「ああ、失礼。ボクはファルハーレン子爵家のロウと申します。彼女とは……そうですね、特別な関係とでも言っておきましょうか」


 それを聞いたベルハルトの指先が、ぴくりと動いた。


「やはり――シェリーが結婚を打診した相手というのは、あなたなのですね」


(え?)


 唖然としたのはシェリーだ。

 思いがけない話にぽかんと口を開けながら、以前もベルハルトが同様の勘違いをしていたことを思い出す。

 あの時もたしか、シェリーが誰かと結婚する予定だと思われていた。どこから生じた思い違いかはわからないが、ベルハルトの誤解が未だ解けていない以上、このままうやむやにはしておけない。

 訂正しようとシェリーが口を開いたその時、ロウがかぶせるように言った。


「ボクが、彼女から結婚を打診されたとして、貴殿になにか不都合でもあるんですか?」

「……なに?」


(なんですって?)


 ベルハルトの低い声が、シェリーの心の声に重なった。

 てっきりロウは、一緒に否定してくれると思っていただけに、衝撃で言葉が詰まる。彼の意図がわからない。


「ロウ、一体なにを――」


 戸惑うシェリーと視線を合わせたロウが、彼女の耳元に顔を寄せる。


「すみません、シェリー。少しだけ、彼と話をさせてもらっていいですか? ボクに言いたいことはいろいろあるでしょうけど、今はぐっとこらえてもらえると助かります」


 二人にしか聞こえない声量で、ロウがささやく。

 その様子を見ていたベルハルトの口元がこわばった。

 ロウは横目でそれを確認すると、改めてベルハルトに向き合い、さきほどの質問の答えも待たずに話を続けた。


「貴殿こそ、ベルーシェとはどういう関係なんです? 見たところ、恋人や婚約者というわけでもなさそうですし」

「僕は……彼女の幼馴染だ」

「ふぅん。それで? まさか、たったそれだけの関係で、ボクとベルーシェの逢瀬に割って入ってきたんですか?」

「ロ、ロウ、ちょっと……!」


 誤解を助長するような口ぶりだ。焦ったシェリーは、彼のシャツの袖を引く。

 ロウはそれに気づくと、シェリーを振り向き「安心して」と笑いかけた。

 そして、次の瞬間。一体なにを思ったのか――ロウは、彼女のその手をかすめ取り、指を絡めて包み込んだ。

 あまりの出来事に、シェリーの思考が停止する。


「このように、ボクとベルーシェは仲良しなんです。貴殿が心配するようなことは、なにもありませんよ」


 「ね?」とロウが、シェリーに確認する。

 まるで子供のような無邪気さに、困惑している自分のほうがおかしいのかと、頭の中が混乱した。

 誰も話さなくなった三人だけの小路。そこに流れる時間が、束の間止まる。


「――彼女を愛し、生涯大切にすると誓えるのか?」


 流れを再び動かしたのは、小さくかすれたベルハルトの声。


「誓うと言ったら、認めてくれるんですか?」


 絡めた指をほどいたロウが、不敵に笑う。シェリーは手元から視線を外して、そっとベルハルトをうかがった。

 彼はうつむき、自身の拳を強く握っている。


「僕は……僕は、彼女が幸せなら――」


(……ああ、やめて)


 彼の台詞に続く言葉。小さい頃から何度も聞いてきた、いつもの言葉。

 耳を塞ぎ続けてきたその言葉を、今さら聞いても心は揺らがない――揺らがないはずだったのに。


(聞きたくない)


 幼馴染として、『妹』として、長年大事にされてきた。

 いつかは、恋人として、妻として、愛してくれるのではないかと彼の心変わりを夢見てきた。

 そこには、不安も迷いもなかったのに。

 昨夜のポリーの言葉が頭をよぎる。


『もうすぐ私、ベルハルト様と結婚するの』

『一体いつまで、夢見る子供でいるつもり? ちゃんと現実を見なさいよ!』


 結局、自分は向き合えない。

 シェリーの幸せを願う、いつもの言葉でさえ、こんなにも心をぐちゃぐちゃにするのだから。

 血を流し続ける胸の内をこれ以上誤魔化すことはできないと、臆病な自分が叫んでいた。

 もはや、二人の会話を聞く余裕は残っていなかった。

 微かなざわめきの方向に向かって足を踏み出す。そのまま迷わず駆け出した背中に愛しい人の呼び声が届くが、振り返ることはできなかった。


(彼のいない、どこか遠くへ。遠くへ――)


 石畳を打つ足が痛い。

 込み上げてくる熱さを必死に抑えながら、シェリーはひとり、小路の向こうへ消え去った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ