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1. 幼馴染と恋心 sideシェリー

「ベルハルト様!」


 プラチナブロンドの髪をなびかせ、溢れんばかりの笑みをこぼしながら駆け寄るのは、パッツィ伯爵家次女のシェリー。

 今日は毎週恒例のベルハルトとのお茶会の日であり、押しかけ女房よろしく彼の生家であるノートル侯爵邸へ訪れていた。


「今日こそは結婚の言質をいただきに参りました!」

「やあ、シェリー。今日も元気で可愛いね」


 絵に描いたような甘いマスクに、蕩けるような甘い声。男らしくも色気が滲むエメラルドグリーンの目を細め、カフェオレ色の緩やかな癖毛をかき上げる仕草に、ついうっとりとしてしまう。

 幼い頃から間近で見てきた美貌だが、気づけば未だに見惚れてばかりいる。


「こんな大雨の中よく来たね。――ああ、少し濡れてるじゃないか。タオルで軽く拭いてもらっておいで、シェリーの好きな紅茶を用意して待ってるから」


 結婚云々のくだりを華麗に流されたことは気にしない。むしろこんなにも気遣われて気分はさながらお姫様だ。

 到着早々、有頂天になったシェリーは案内をする使用人の後を軽い足取りでついて行く。


「私もノートル家の使用人に生まれたかったわ。そしたら毎日会えるもの」

「シェリー様は本当にベルハルト様のことがお好きですね。ですが使用人になるのはオススメしません。平民では、貴族のご子息とは結婚できませんから」

「悩ましいところよね」


 シェリーの片思いは十五年を超える。

 長年の片思いはベルハルト本人にはもちろん周知の事実で、ノートル侯爵家の人々も陰ながらシェリーの恋を応援していた。

 彼と出会った日から続く週に一度のお茶会は、幼馴染同士の健全な交流会に過ぎない。恋人でもないシェリーの一途なプロポーズは、もはや慣例行事のひとつであった。

 今日こそはもしかしたらと淡い期待もあったが結果はいつも通り、のらりくらりとかわされてしまった。


(私がいずれ諦めるのを待っているのでしょうけど、そうはさせないわ。いつかベルハルト様を振り向かせてみせるんだから)


 タオルで雫を拭ってもらい、決意を新たにベルハルトが待つ応接室へ向かう。

 

 今日の目的は、数カ月後に迫る彼の誕生日に向けた情報収集だ。

 プレゼントには例年並々ならぬ気合を入れていて、シェリーは早い時期から準備を始めている。特別裕福でもない彼女には高価な品は手が届かないため、お小遣いを元手にした手作りのプレゼントを毎年贈っていた。もちろん愛と真心を尽くした力作ばかりだ。

 刺繍をあしらったハンカチやクラバットなどの小物に始まり、近年では、彼の好物である生ハムを原木から作るまでに至っている。ある年は、著名な音楽家に師事して自ら作曲した恋の歌を贈ったこともあった。

 長年に及ぶ付き合いで彼の好き嫌いはすでに把握しているものの、最新の関心事を聞き出し取り入れる努力も怠らない。今回の調査もその一環だ。


 いつもの応接室に入ると、ゆったりと革張りのソファにくつろぐベルハルトの姿が見える。生憎と彼の定位置は一人掛けのソファのため、隣に引っ付くことは断念し大人しく対座した。


「今日はパゴ産の紅茶の他に、アップルパイを取り寄せたんだ。以前、きみが興味があると言っていた菓子店のね」

「え! う、うそ……そんな、私の話を覚えていてくださったの? 嬉しすぎて昇天してしまいそう――」

「はは。シェリーがいなくなるのは悲しいから嫌だな」

「本当?! それなら死がふたりを分かつまでずっとそばにいてくださる?」


 前のめりになるシェリーに、ベルハルトは吐息を漏らし苦笑する。


「シェリー。前にも言ったけれど、僕はきみのことを大事に思っているんだ。だからこそ、きみには愛し愛される相手と幸せになってほしい」

「ベルハルト様が私を愛してくださるまで待つわ」


 なんせ十五年だ。今更何を言われようとこの恋心は揺らがない。

 当初は、恋愛対象として見てもらえないことにショックを受け涙を流したりもしたが、いつの間にか心臓に毛が生えてしまった。

 不都合な言葉には耳を塞ぎ、用意してもらった紅茶と菓子を味わうことにする。幸せそうな顔で食事を始めたシェリーに、ベルハルトもこれ以上何を言っても仕方がないと諦めたのか、その後はいつも通りの穏やかな会話が続いた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、気づけばまもなく門限だ。いつものように馬車までエスコートしてくれるベルハルトの存在を存分に堪能し、別れの時間ギリギリまで英気を養う。

 目的の聞き取り調査もうまく運び、シェリーはホクホクとした気分で家路についた。



 強くなる雨脚の中、家に戻るとなにやら父の書斎が騒がしい。

 近づくにつれ、父と執事が焦ったように話し合う声が聞こえてくる。様子が気になりノックをしてみると、少しあって執事が扉を開けてくれた。

 降りしきる雨で濡れる窓の前には、落ち込んだ顔でこちらを見つめる父の姿がある。


「お父様、ただいま戻りました。一体どうなさったのですか?」

「――シェリー……」


 まるで重大なことを伝えようと、口を開いては閉じる様子に不安が募る。

 最近父の態度が少しおかしいのには気づいていたが、何か深刻な事態に直面しているのだろうか。いつも穏やかな笑みを絶やさない彼が、ここまで追い詰められた表情をしているとはただ事ではない。

 張り詰める空気に固唾をのむ。部屋にこもるのは窓を叩きつける雨の響きだけだ。

 しばらくの沈黙の末、父は重い口を開いた。


「シェリーはベルハルトくん以外との結婚――」

「考えられません」


 不穏な言葉に思わず切って捨ててしまったが、もしや縁談の話がきているのだろうかと、一抹の不安がよぎる。寡夫である父は、愛した妻との子供であるシェリーたち姉妹を溺愛していて、これまで全てを本人の意思に任せてくれていた。

 自分はいくら行き遅れようとも、ベルハルトが誰かと結婚してしまうまでは希望を捨てたくない。

 その意思を改めて伝えようとするが、続く父の言葉に頭が真っ白になった。


「シェリー、落ち着いて聞いてくれ。我が家はまもなく破産申請をしなければならない。そうなれば、爵位は返上し平民にならざるを得ないだろう……だが、おまえたちだけは貴族のままでいられる方法がある。厳しい条件は覚悟しなければならないが、申請受理までに他家と婚姻を結ぶのだ。――酷なことを言っているのは重々承知だが、今後の選択をしてほしい」


 両手を握り合わせて項垂れる父を、シェリーは呆然と見つめる。


(――破産……平民?)


 あまりに唐突な話に思考停止していた脳が、ゆっくりと動き出す。

 つまり父は、望まぬ結婚を受け入れ貴族であり続けるか、それを拒否して平民になるかの選択を娘たちに迫っているのだ。


「お姉様には?」

「ポリーにはまだ話をしていない。帰ってきたら相談するつもりだ」

「そう……」


 思い浮かぶのは、困り果てる姉の姿だ。次期当主として励んできた彼女にとっては、領地のことも簡単に割り切れる問題ではないだろう。

 伯爵家は先祖代々、決して豊かとはいえない土地を領民と共に大事に守ってきた。それらを、無責任に他人に受け渡すようなことはできない。


「――そもそもどうして、借金なんてことになったのですか? 今まで堅実に、領地運営をなさってきたではありませんか」

「それは……」


 きまりが悪そうに話し出した父によると、どうやら領地の投資に失敗し、タチの悪い金貸しに頼ってしまったことが原因らしい。借金返済のために、始めのうちは親戚や知人に頼み少額を借りてやり繰りしていたが、とうとう限界を迎えてしまった。

 この先を一家が生き延びるためには、借金を肩代わりしてくれる貴族と婚姻を結ぶか、爵位を返上して王家に借金を建て替えてもらうしか方法がない。とはいえ、莫大な負債を引き受けてくれるような嫁ぎ先を短期間で探すのは、現実的ではないだろう。

 残る選択肢である爵位を返上する場合、娘たちには希望が残る。肩代わりまでは望まずとも、破産申請受理までに嫁ぐことで貴族としての身分だけは保証されるのだ。

 爵位返上後に父と共に平民になるか、それとも父と別離し貴族に嫁ぐか――。その決断を各々に委ねたいとのことだった。


(他の貴族との結婚なんて考えられない。だからといって平民になってしまえば、ベルハルト様との将来は絶望的になる。だったら私は……)


 シェリーは拳を握りしめる。


 ――諦められない。諦めたくない。たとえ叶わぬ恋だとしても。

 

 秒針が時を刻む音がする。それがまるで、迫りくるタイムリミットのように頭に響いた。

 シェリーは大きく深呼吸をすると、真っ直ぐに父を見据え決意を固めた。


「お父様。その借金、私が全て返してみせます」


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