18. 本音
日がすっかり暮れた頃。小夜鳴鳥の高く透き通る旋律が聞こえてきた。王都からパッツィ伯爵領へと続く道中――城下の喧騒から遠ざかるにつれ、そのさえずりは明瞭になっていく。
シェリーはその音を意識の片隅で拾いながら、乗合馬車に揺られていた。
(また明日、がんばらなきゃ)
朝にロウと広場で別れた後、超高レートテーブル確保に向けて、夜遅くまで働きかけた。しかし結局、収穫は得られず。
声をかけた相手の中には、心当たりを探してみると言ってくれた者もいたが、過信することはできない。明日以降も、地道に人脈づくりを続ける必要があるだろう。
そして同じく、詐欺事件に関する情報収集も進捗はかんばしくない。
それとなく探り歩いてみたが、賭博場やそこに出入りする人々に不審な点はなかった。やはり、そう簡単にはいかないものだ。
シェリーは他に乗客のいない車内で、座席に深くもたれて目をつぶった。
(明日はロウに会ってから、本屋へ寄って――そういえば、ベルハルト様はお父様たちと話し合えたのかしら)
彼が今朝、伯爵邸に寄ると言っていたことを思い出す。それと同時に、手に触れられた感触もよみがえり、頬がじわりと熱くなった。
(も、もしかしたら、明日も偶然お会いできるかも…一番可愛いワンピースを着て行こうかしら)
スカスカになったクローゼットの中身を思い浮かべる。べルーシェ用に購入したものは、どれも目立たない地味なデザインばかりだ。その中から最善を選ぶしかないだろう。髪型と化粧はどうするべきか。
そうして、とりとめのないことを考えているうちに、伯爵邸に近い発着所に到着した。
「こんな夜更けにひとりで大丈夫かい?」
「ええ、目的地までそう遠くないの。歩いてすぐに着くわ」
シェリーは、御者に礼を言って帰途につく。賭博場に通うようになってから、よく使うようになった近道だ。その道を早足でたどっていると、あっという間に屋敷が見えてきた。
(あら? まだ明かりがついているわ)
父たちはすでに寝ている時間のはずだ。いつもと違う様子に首をかしげていると、屋敷のほうから物音が聞こえてきた。
正門が開いて、二頭立ての黒い馬車が現れる。それは、道端にいたシェリーの存在などまるで気にせず、風を切って走り去っていった。
(見覚えのない馬車……こんな時間に一体なんの用事だったのかしら?)
馬車を眺めていたシェリーは、屋敷を振り返る。するとそこには、玄関ポーチに佇むポリーの姿があった。
彼女もこちらに気づいたのだろう。屋敷の中に戻る気配はない。
シェリーは事情を聞こうと、彼女のもとへ駆け寄った。
「お姉様! あの馬車は一体――」
「金貸しが来たのよ」
ポリーが端的に言った。その内容に、シェリーは息をのむ。
(例の詐欺師が……)
詐欺事件に関わる金貸しが動いた。ということは、賭博場へ誘導しに来たのだろうか。
「用件は?」
「お父様にギャンブルの話を持ちかけてきたわ――返事は保留にしたけど」
やはり、過去の被害者たちと同じ事態だ。こうなった以上、今後の対処を考えなければならないだろう。幸いにも「賭博場へ送られる」流れは回避できたため、ひとまず考える猶予は確保した。
シェリーは胸をなで下ろす。
「よかった……お姉様たちは、詐欺の件をすでにご存じ?」
「ええ。ベルハルト様が、日中に訪れて説明してくださったわ。だから、今夜のことを明日伝えに行くつもり」
「それなら私も一緒に行くわ。城下へ行く予定があるし、その時に――」
「私ひとりで大丈夫よ。シェリーは自分の用事を優先してちょうだい」
ポリーは屋敷の中へ戻るため、扉に手をかけた。玄関ホールから漏れる明かりが逆光となり、彼女の表情が隠れる。
このまま話がまとまってしまいそうな雰囲気に、シェリーは慌てて声を上げた。
「お願いよ、私も一緒に連れて行って!」
なにか協力できることがあるかもしれない。もう一度、ベルハルトを説得すればもしかしたら――。
「シェリー、わがままを言うのはやめてちょうだい」
「で、でも、お姉様! 私なら、お力になれることがあるかもしれないし、それに」
「――思い上がるのもいい加減にしなさいって言ってるのよ!」
瞬間、それまで凪いでいた空気が震えた。
突然の怒りに触れ、シェリーの体が硬直する。姉から、これほど激しい言葉をぶつけられたのは初めてだった。
ポリーは足元に視線を落とし、肩をいからせる。
「あなたになにができるっていうの? 未来なんて簡単に変わりはしないのに、向こう見ずな理想ばかりかかげて……それに振り回される周りの気持ちを考えたことはある? 独りよがりを押しつけて、それで満足するのはあなたでしょ?」
言葉の刃が、シェリーの胸に突き刺さった。
ポリーの台詞が今回の件だけを指しているわけでないことは、すぐにわかった。「振り回される周り」に、ベルハルトやポリーが含まれているであろうことも。
――無謀で自分本位な、叶いもしない片思い。
今もそれにしがみつき、ベルハルトとの将来を諦めたくない一心で奔走している。巻き込まれる者の気持ちと先の見えない未来に、目を塞ぎながら。
覚悟と希望の裏側にあった小さな不安が、えぐり出される。
喉が締まって言葉がでない。
「あなたを見てると、本当に腹が立つ。小さい頃から好き勝手に振る舞って……一体いつまで、夢見る子供でいるつもり? ちゃんと現実を見なさいよ!」
ずっと溜め込んできたであろう、その叫びが暗闇に四散した。
雲に隠れていた月がゆっくりと姿を現し、ポリーの顔を照らす。
彼女の瞳には、冷たい炎が宿っていた。
「――夢うつつなあなたにひとつ、忠告するわ。もうすぐ私、ベルハルト様と結婚するの。だから、その邪魔だけは絶対にしないで」
ポリーは、諫言と共にシェリーを捨て置いて、ひとり屋敷の中へと戻っていった。
夜風が再びそよぎだす。
月明かりの中、音を立てて閉まる扉を、シェリーは言葉もなく見つめていた。




