14. 寄り道
ぜんまいが切れた人形のように、シェリーはぽすんと椅子に落ちる。
そしてそのまま、彼に触れられた手を目の高さまで持ち上げた。
(今日まで生きてきてよかった)
どくどくと巡る熱い血潮を感じながら、幸せを噛みしめる。心が満たされ、今なら何でもできそうな気分だ。
「賭博場へ行きましょう、チャド」
「……随分と心配されていたのに良いのか?」
「ええ。直接お手伝いすることはできないけれど、何かお役に立てるかもしれないわ。さっき話した返済計画を実行に移しましょう」
ロウに会うまでは、超高額掛け金のゲーム勧誘に加えて、粛々と情報収集をするのがいいだろう。
シェリーは、本屋の二階にあるチャドの私室に移動し、身支度を整える。勝手知ったる部屋の鏡を使用しカツラを装着していると、チャドも外出の準備を始めた。
窓の戸締まりをしながら、彼がシェリーに声をかける。
「新鮮な果物が揃う店があるんだ。寄っていかないか?」
朝早くからシェリーが押しかけたことで、チャドは朝食をとり損ねたようだ。負い目を感じたシェリーだが、それも束の間。「新鮮なジュースも飲めるぞ」と続けたチャドの言葉に、ころっと笑顔を浮かべて同意した。
賭博場が開くまで時間もある。二人は、その青果店がある近くの市場に向かうことにした。
外に出ると、風にそよぐ草木の深緑が目に入った。石畳の道に立ち並ぶ木組みの家々からは、朝の支度の音が漏れ聞こえてくる。
仕事場へ向かう若者や散歩を楽しむ老人とすれ違いながら、徐々に賑やかになる道を進んで行くと、活気溢れる広場の朝市にたどり着いた。明るい顔をした老若男女が、そこかしこで楽しげなやり取りをしている。
「こんなに賑わっているのは初めて見るわ」
朝市にはシェリーも何度か訪れたことがあるが、今日は出店の数も人の数も多い。何か理由でもあるのかと疑問に思ったシェリーは、チャドに話を振ってみた。
「王太子の婚礼があるだろう?それにあやかって、ここ最近は毎日こんな感じだ」
「ほら」と、チャドが出店のひとつを指差す。そこには、祝賀割引と書かれた看板が立てかけられていた。
周りを見渡してみると、同じような看板がたくさん目にとまる。中には、慶事用の花や手芸品を売っている店もあるようだ。例の青果店も今なら婚礼祝いで果物のおまけをしてくれるのだと、チャドが教えてくれた。
そうして広場の様子を見て回っていると、目的の出店を見つけた。色とりどりの果実や野菜が店先に並んでいる。
チャドが店主の男に声をかけ、銅貨と引き換えにみずみずしいサクランボを受け取る。
「ベルーシェはどうする?」
「モモがいいわ。店主さん、ジュースにしていただけるかしら?」
「はいよ!」
店主は快活な笑顔を見せ、すぐさまモモを圧縮機に入れた。取手に力を入れて果汁を絞り始める。
「お嬢さんはネバラから来たのかい?」
「えぇ、そうなの」
「やっぱりな! お姫様の結婚式を見に、追っかけて来たんだろう?」
「え? あ……そう! そうなの!」
何のことだか一瞬わからなかったが、店主の言う「お姫様」が王太子の婚約者であることに気づいた。
彼女は隣国ネバラの王女で、王太子とは紆余曲折を経た大恋愛の末に婚約したと聞いている。そのエピソードに加えて、容姿も華麗で艶やかな彼女は国民的人気を誇っているらしい。
店主が勘違いしたように、王女の結婚式を一目見るためネバラから訪れる人も多いようだ。
「遠路はるばるようこそ。楽しんでいってくれよ! ほら、お嬢さんにもおまけだ」
シェリーにジュースとモモを手渡した店主は、意気揚々と別れを告げた。
座って朝食をとるため、シェリーとチャドは休める場所を探して広場を歩く。
「『ベルーシェ』の演技もまだまだね。とっさに反応できなかったわ」
「そうか? もう十分だと思うが」
チャドは手に入れたサクランボを、ひょいと一粒口に入れる。彼が持つ紙袋から、今にも弾けそうな赤紫色の輝きが垣間見えた。
しばらく、客寄せの声が飛び交う中を歩いていると少しひらけた場所に出た。そこは、簡易的な椅子やテーブルが乱雑に置かれている休憩スペースだった。
空いてる席を確保すると、シェリーは早速モモのジュースに口をつける。果肉の残るとろりとした舌ざわりと、口いっぱいに広がる甘い芳香に頬が緩む。久しぶりに味わう新鮮な甘味に、シェリーはほっと一息ついた。
(今度はベルハルト様とも一緒に来たいわ。食べ歩きデートだなんて、とっても素敵……)
妄想を膨らませていたその時、近くで「おお!」と人々がざわめいた。
一体何事かと、声の聞こえた方へ振り向く。そこには、小さな人だかりができていた。皆でなにかを見物しているようだ。
「なにかしら。ちょっと見てくるわね」
気になったシェリーはチャドに声をかけ、席を離れる。
人だかりの隙間から中心の様子をうかがうと、テーブルを挟んで向き合う男たちの姿が見えた。シェリーの視線の先にいる体格の良い男に隠れて、テーブルの上の様子まではわからない。
シェリーは隣に立つ男に、なにがおこなわれているのか確かめた。すると、彼は興奮気味に言った。
「ポーカーさ! すげぇ強いやつが現れたんだ」




