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10. 動揺と混乱

 胸騒ぎがシェリーの足を急き立てる。

 手始めに休憩室や化粧室を探すが、ポリーの姿は見つからなかった。となると、可能性が高いのはメインホールだろう。休憩を終えた人の波に乗り、会場へ続く回廊を進む。通路沿いの個室もひとつひとつ確認しながら目的地を目指すうちに、じんわりと汗が浮かび上がってきた。

 シェリーは探し回りながら、ポリーの来訪理由を想像していた。考えれば考えるほど、言葉にできない漠然とした不安が募っていく。


(お願い、どうか杞憂であって)


 雑踏の中、目的地であるトーナメント会場に足を踏み入れる。

 一瞬ひらけた視界の先に、探していたプラチナブロンドのきらめきが映った。そこには、こちらをじっと見つめる青い瞳がある。

 ベルーシェの姿を認識した彼女が口を開く。それを見て取ったシェリーは、瞬時に駆け寄り、姉の腕をつかんだ。


「……ここは目立ちます。黙って私について来ていただけますか?」


 あくまで他人のフリで移動を促す。

 ポリーは戸惑った表情を浮かべつつも、開きかけた口を閉じ、静かにシェリーに従った。


 さきほど探し回っていたときに見つけた、空き部屋のひとつに二人は入室する。薄暗い室内に並ぶ調度品にはうっすらとほこりが積もっていて、普段はあまり使用されない場所であることがうかがえた。ここなら二人きりで会話ができそうだ。

 部屋に入り扉を閉めると、ポリーは堰を切ったように声を上げた。


「シェリー! ベルハルト様が――」


 緊迫した雰囲気に心臓が早鐘を打つ。

 やはり、彼女が賭博場にまで来た理由はこれだったのだ。

 中庭で抱いた懸念が頭を駆けめぐり、シェリーの手が小さく震え出す。


「重体らしいの……! 私も詳しくは把握できていないけど、王宮に行ったら取次ぎの方がそう言っていて」

「そ、そんな……」


 目の前が暗くなっていくような感覚に、足がよろめく。周りの音が遠くなり、自分の体が床に沈んでいくのを感じた。


(彼を……もしも彼を失ってしまったら――)


 昨夜の手のぬくもりを思い出す。

 まぶたの裏に浮かぶのは、シェリーを案じる真っ直ぐな瞳だった。


 ――今、会いに行かなければ、今後一生後悔する。

 自分の目でベルハルトの姿を確かめ、彼のためにできることを考える。それが、己が果たすべき唯一の使命のように感じられた。迷っている暇はない。

 トーナメントを続ける余裕は、今のシェリーにはなかった。


 呼吸を整え、足に力を入れる。シェリーは、正面玄関で落ち合うことをポリーと約束すると、会場への道をひとりで駆けていった。


 ホール出入り口で待機していたチャドは、戻ってきたシェリーの姿を見つけて走り寄る。


「もうゲームが再開するぞ! きみのお姉さんとは――」

「ごめんなさい。私、今すぐ王宮へ向かわなければいけない用事ができたの」


 チャドはあんぐりと口を開けた。


「……トーナメントを辞退するということか?」

「ええ、緊急事態なの。受付に伝えて、すぐにここを発つわ」


 状況をよくのみこめていないチャドであったが、シェリーの気持ちが揺らがないことだけは感じ取ったようだ。


「――わ、わかった。だが本当にいいのか? 借金返済の計画は……」


 このトーナメントに参加した理由は、今の収入ペースでは期限に間に合わないと判断したからだ。千載一遇のチャンスを自ら捨てようとするシェリーに、チャドが戸惑うのも無理はない。

 トーナメントは、参加費以上の金を失うことはない上に、勝ち残れば莫大な賞金を手に入れることができる夢のような機会だ。これを逃せばあとはもう、超高額掛け金の危険な賭けに手を出すしか方法がない。そもそも、そのような超高レートのテーブルが用意される機会さえほとんどないのだ。

 シェリーは、自分の置かれている状況を十分理解していた。それでも今は、ベルハルトを優先することしか考えられない。

 「今後のことは追って連絡する」と力なく話すシェリーに、チャドは気の利いた言葉をかけることができなかった。


 シェリーは正面玄関から外に出ると、馬車乗り場にいるポリーの姿を見つけた。こちらに気づいたポリーは会場でのやり取りを思い出したのか、むやみに声をかけることはせず、そわそわとした様子で手を揉み合わせている。

 二人は何も言わずに合流すると、そのまま静かに馬車に乗り込んだ。


「……催し物は辞退してきた?」


 無言の空間に、ポリーが言葉を落とす。

 手を組んでうなだれていたシェリーは、ゆっくりと顔を上げて緩慢な動作で頷いた。

 今はトーナメントよりベルハルトのことで頭がいっぱいで、うまく会話を続けることができない。


「ベルハルト様は……無事よね」


 大丈夫だと自分を安心させたくて、脈絡のない独り言が口からこぼれる。その様子を静かに見ていたポリーは、シェリーを抱きしめ励まし続けた。


 しばらくすると、二人を乗せた馬車が、城下を抜けて王宮の門にたどり着いた。ここから先は通行許可が必要だ。

 馬車が止まるやいなや、転げるように飛び降りたシェリーは門衛のひとりに駆け寄り、取りすがった。


「ベルハルト様にお目にかかりたいのです! どうか通していただけませんか? お願いします……どうか」


 そのただならぬ様子に、飛びつかれた門衛は思わず後ずさる。

 シェリーは必死だった。ここで門前払いされるわけにはいかないため、ベルハルトに会いたいことを無我夢中で訴えかける。

 近くにいたもう一人の門衛が、とりあえず用件を聞こうとシェリーに優しく話しかけた。


「ご令嬢のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「シェリーです。パッツィ伯爵家の次女で、怪しい者ではありません。ベルハルト様とは幼馴染で――」


 そこまで聞くと、門衛はぽんと手を打ち「ああ!」と思い出したような声を上げた。


「シェリー嬢ですか! ノートル卿にいつも差し入れを持ってくる……髪色が違うので気づくのが遅れてしまいました」


 指摘されてようやく気づいたが、どうやらベルーシェの変装のままでいたようだ。慌ててカツラを外すと、顔見知りらしい門衛の顔をじっくりと確かめる。

 辺りが暗い上に、気が動転していてわからなかったが、よく見るとたしかにいつもシェリーの差し入れを預かってくれる門衛だった。

 彼はシェリーが不審者ではないことを仲間に伝えると、ベルハルトの予定を確かめに、門の横にある守衛所へ向かった。

 馬車から降りてきた姉と共に、彼の報告を待つ。その時間がとても長く感じた。

 

 実際に待っていたのは、どれほどの時間だっただろう。

 確認を終えて戻ってきた門衛が、同情するような顔をしながら口を開いた。


「ノートル卿は外出中のようです。いつ頃お戻りになるかわからないため、面会希望者には後日再訪をお願いしたいと、ご本人の伝言がありました。……お会いできず、残念でしたね」


 どういうことか、理解が追いつかなかった。


(……彼は重体のはずでは?)


 まさか事実を隠しているのだろうか。しかし、それならポリーが聞いた言葉は一体――。

 予想もしていなかった門衛の言葉に、シェリーは大いに混乱した。


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