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9. 不穏な気配

 会場の熱気で火照った体を、初夏の心地よい夜風が冷ましていく。

 隣を歩くロウは上着を脱いで腕にかけ、上半身はシャツとウエストコートのみという涼しげな姿だ。

 噴水を中心に整備された緑豊かな中庭を、二人でゆっくりと散策する。雑談も交えつつ、ゲームの情報交換をする時間は、有意義で楽しいものだった。


 その散歩中に改めて自己紹介をされたが、どうやらロウはファルハーレン子爵家の子息らしい。それに加えて、絹織物を取り扱う商会の会長もしているという。

 ポーカーは知人に誘われ始めたのがきっかけで、今回のトーナメントも、その人物に勧められて参加したとのことだった。


「知人はポーカーの有名人でね。あなたも知っているかもしれないけど、ガヴェル子爵という方です」

「ガヴェル子爵……。ごめんなさい、存じ上げないわ」


 顎に手を当てて、記憶をたどるが思い浮かばない。これまで自分のことで精一杯で、周りを気にしている余裕はなかった。シェリーの知っている有名人は、チャドだけだ。


「あ! そうですよね、ベルーシェさんはネバラから来てるわけだし……いや、でも驚きましたよ。さっき同席した人たちが皆、あなたのことを知っていたんで」

「えッ!」

「この賭博場の常連たちが話していたんです。最近突如現れたネバラ人の女性が、すごく強いんだって噂になってましたよ。ベルーシェさんも有名人なんですね」


(いつの間に、そんな噂が……)


 偽装をすることを決めたのは、正解だったかもしれない。素の姿で賭博場に通っていたら、パッツィ伯爵家の令嬢がギャンブルに勤しんでいると、きっと噂になっていたことだろう。

 ――一番隠したかった相手であるベルハルトには、すでに知られてしまったが。

 

 秘密の計画のはずが、結局は彼にバレて心配をかけてしまった。その上、多忙な時期にもかかわらず、借金の件を急いで調べてくれるという。

 昨晩は舞い上がってそれどころではなかったが、この件のせいで彼が体調を崩し倒れてしまうのではないかと、今頃になって不安に駆られる。

 病気だけではない。調査対象が危険な組織であったら、彼は大怪我をしてしまうかもしれない。最悪の場合は――。


 急に暗い表情になったシェリーに気づき、ロウが慌てる。


「すみません! ボクが何か、気に触るようなことを言ってしまったなら――」

「いえ、ちがいます! す、少し気にかかることがあって……」

「気にかかることですか? ……差し支えなければ、内容を聞いても?」


 シェリーは迷った。何でもないと話を流すのは簡単だが、親身になってくれるロウには、心の内を明かしたほうが心配をかけずに済むかもしれないと思ったからだ。

 彼は眉を下げ、不安げな顔でこちらを見ている。その様子に心動かされたシェリーは、軽い世間話という体で、相談にのってもらうことにした。


「その、本当に大した話ではないのです……大切な人が死んでしまうのではないかと、急に不安になってしまっただけで」

「……大した話のように聞こえるんですが」


 ロウが困惑した顔を見せる。切り口がまずかったかと、シェリーは焦るが具体的な理由を話すわけにもいかない。

 どのように話を続けるか迷っていると、彼が察して、シェリーが話しやすいように質問を投げかけてくれた。


「どうして、亡くなってしまうだなんて考えたんですか?」

「ごめんなさい……理由は話せません。うまく説明できなくて」

「わかりました。では、大切な人というのは? ご家族やご友人ですか?」

「好きな人です。私の一方通行だけれど、心から愛している人です」

「……愛している人、ですか」


 ロウは静かに目を伏せる。彼の紺青色の瞳に影が落ち、それが一瞬、深い闇色のように見えた。

 そのとき、ざぁっと強い風が中庭を吹き抜け、シェリーは思わず目をつぶる。


「それじゃあ、助けが必要なときは、ボクに頼ってください」


 その声に、ぱちりと目を開いてロウを見る。

 ついさきほどの色は消え去り、彼は出会ったときのようなふんわりとした笑顔で、シェリーを見つめていた。


「もしも、追い詰められてどうしようもなくなったら、ボクに話してください。あなたのためなら、何でも力になりますよ」


 ロウがその言葉をかけたのは単に、不安になっているシェリーを元気づけるためだったのかもしれない。しかしシェリーは、心に小さく引っかかるものを感じた。

 真意を確かめようか迷ったが、その後に彼が何事もなかったかのように雑談に戻ったため、ついぞ聞くことはできなかった。


 そろそろ休憩室に戻ろうという話になり、彼と連れ立って、来た道をたどる。

 中庭での一瞬の違和感は、その後の真剣なポーカー談義に薄められ、ロウとの仲も随分と打ち解けたものになっていた。

 休憩室の扉が見えてくると、その横にはじりじりとした様子のチャドが、腕を組んで立っていた。何かあったのかと、シェリーはロウと顔を見合わせる。

 シェリーたちに気づいたチャドは、困惑した表情を浮かべて足早に近寄った。


「ベルーシェ。少し確かめたいことがあるんだが、場所を移せるか?」


 どうやらロウや周りには、あまり聞かれたくない内容のようだ。

 察しの良いロウは「じゃあ、またあとで」と二人に手を振ると、ひとり休憩室の中へと入っていった。

 シェリーとチャドは、人通りの少ない回廊に移動する。周囲を確認して立ち止まると、チャドは小声で話し始めた。


「シェリー、きみには姉がいると以前話してくれたな? ……確信は持てないが、それらしい人物がこの会場に来ているみたいだ。手洗いに行った帰りに、きみに似た女性を見かけた」


 予想外な話に、シェリーは驚く。


「本当? えっと、プラチナブロンドの髪に青い瞳の……? 私と違って直毛で、目は垂れ目だわ」

「そう! その特徴通りだったし、そもそもプラチナブロンドは珍しいから本人だと思うが……」

「どうしよう……もしも姉との関係が発覚したら、トーナメント失格になったりしないかしら?」

「可能性は十分ある。だがなぜ、きみのお姉さんがここに来たんだ? 心当たりは?」


 そう問われて考えてみるが、ポリーが賭博場に来る理由が思い浮かばない。今日シェリーが家を出るまでの様子を思い出してみても、ポリーに特段変わった様子はなかった。彼女はシェリーの返済計画に疑心を抱いているから、トーナメントに興味があるとも思えない。

 となると、何か緊急事態が発生したのかもしれない。彼女が賭博場に乗り込んでくるほどの何かが。


「私、姉を探して話を聞いてくるわ」

「なら、二人で手分けして探そう」


 ゲーム再開までそれほど時間はない。一刻も早くポリーを見つけるために、二人は急いでその場を立ち去った。


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