借金取り、女に「マグロ漁船乗ります!体売ります!臓器売ります!」とわめかれ、落ち着けとなだめる
昼下がり、工藤陣介はあるアパートに来ていた。借金を取り立てるためだ。
紺色のジャケットを着て、やや剃り込みの入った髪型に、鋭い目つき。まさに借金取りにうってつけといった風貌。
ドアのベルを鳴らす。
まもなく若い女が出てきた。
長い黒髪のボサボサ頭、化粧などしてないスッピン、愛嬌はあるが幸薄そうな面相をしている。
陣介は一瞬引くが、すぐに女を睨みつける。
「借金……きっちり返してもらお――」
「マグロ漁船乗りますぅ!」
「え」
たじろく陣介を尻目に、女はまくしたてる。
「マグロ漁船に乗ればすごく稼げるんですよね!? だから乗せて下さい!」
「いや……あれ素人が務まる仕事じゃないっていうし。そもそも俺にマグロ漁船に乗せてやれるようなツテないし……」
「じゃあ風俗! 風俗で! 体売りますぅ!」
「あの……だから……」
「あたしじゃ需要ないですか! だったら臓器を! 臓器売りますぅぅぅ! どなたか困ってる人のために使って下さいぃ!」
陣介からすれば、こんなアパートの軒先で風俗だの臓器だの叫ばれたらたまったものではない。
「売ります売ります! なにもかも売ります! 頭のてっぺんからつま先まで!」
「んなこと言ったら、お母さんが悲しむぞ!」
「お母さん……悲しむでしょうか」
「悲しむさ。我が子が臓器を売るなんて言って、悲しまない親はいねえさ」
「あなたのお母さんも?」
「まぁな。俺のお袋は今、病気してるけど……」
「あなたのお母さんのために売りますぅぅぅぅぅ!」
「ああ、もう! 落ち着けぇ!」
陣介が必死になだめると、ようやく女も落ち着きを取り戻してきた。
「リラックスしようぜ。深呼吸だ。ヒッヒッフーだ」
「は、はい……」
どうやら落ち着いたようだ。
「まず、自分の名前を言ってみな」
「宮下美雪です」
「オーケー、落ち着いてるな。じゃあ次に借金額を聞こう」
「10万円です」
「だよな? 別に漁船とか臓器売るような額じゃねえよな」
「そ、そうですかね……」
「そうだよ。別に利子もトイチとかじゃなく、法律通りだしな」
「だけど、どうやって返せば……」
「働いてみるってのはどうだ?」
「ソープランドでですか?」
「なんでそうなるんだよ! とりあえず、コンビニでってのはどうだ?」
「コンビニ……」
「近くのコンビニの店長が俺のダチでさ。頼めば雇ってくれるだろうし、やってみるのもアリだと思うぜ!」
「はい……」
***
コンビニの店長は言った。
「ん~、陣ちゃんの頼みならしょうがないな」
「助かるぜ!」
美雪は採用となった。
「じゃあ明日から来てもらえるかな?」
「わ、分かりました……」
「じゃあな、頑張れよ。えぇっと……美雪ちゃんよ」
「は……はいっ!」
コンビニのバイトはハードである。やることは多いし、時にはクレーマー客を相手にしなければならない。
陣介は美雪にコンビニのアルバイトが務まるとは思っていなかった。しかし、これが社会復帰のきっかけになれば、と思っていた。
***
三日後、陣介は美雪が勤めているコンビニを訪れた。
「い、いらっしゃいませ」
たどたどしい挨拶で迎える美雪。
「おう、頑張ってるじゃねえか」
「ありがとうございます」
せっかく入ったのだし冷やかしでは悪いと、陣介は適当に店内を物色し、漫画雑誌とパンを買うことにした。
「んじゃ、これ」
商品をレジに持っていくと、美雪は会計をこなしてみせた。
「なんとか続きそうだな」
「はい……まだまだ慣れてませんけど」
「そんなもんだ。んじゃな!」
陣介は嬉しそうにコンビニを後にするのだった。
***
それからしばらく、陣介は美雪のいるコンビニには行かなかった。
頻繁に通うとストーカー扱いされそうだし、なんとなく親離れさせたい親の心境でもあった。
「少しは慣れたかな……」
店の前に立ち、自動ドアが開く。
「っしゃっせぇぇぇ!」
「!?」
元気のいい挨拶が飛び込んできた。
誰だ、と思ったら――
「あ、工藤さん!」
「え、今の挨拶、あんただったのか?」
「はいっ、だいぶ慣れました!」
「慣れすぎじゃね!?」
臓器を売るだとかわめいていた頃がウソのようだ。
「ま、まあ慣れたならよかったよ」
その後、陣介は立ち読みなどをしてなんとなく長居してしまう。美雪もそんな陣介に嫌な顔一つせず、むしろ陣介を見るたび微笑むのだった。
しかし――
「おい、クーポン使えねえってどういうことだ!」
「申し訳ありません、お客様」
美雪が客の中年男に絡まれている。とっくの昔に期限の切れた割引のクーポン券を使わせろとゴネている。美雪も一生懸命説明しているが、引く様子がない。
これを見た陣介、すかさず歩み寄る。
コワモテな陣介を見て、ぎょっとなるクレーム客。
「さっきからクーポンクーポンうるせえんだよ。男なら多めに払ってやる……ぐらい言えねえのか!」
「す、すみません……」
すごすごと引き下がる中年客。
「ありがとうございました……」
「へへへ、なんか用心棒にでもなった気分だぜ。ケツモチっつうか」
照れる陣介だが、不安もある。
「コンビニってあんなのがしょっちゅう来るわけだろ? 大丈夫なのか?」
「はい、あんまりひどいお客には伝家の宝刀を抜きますから」
「伝家の宝刀……?」
「臓器売りますぅぅぅぅぅ!」
陣介は一瞬呆気に取られたが、
「それ言われたらどんなクレーマーも黙るわな」
二人は笑い合った。
程なくして美雪は借金を完済したが、二人の付き合いはそれからも続くのだった。
***
「あたし、店長になれたんですよ!」
美雪の言葉に驚く陣介。今日は休日が重なり、二人でカフェにいた。
「マジかよ。おめでとう」
「ありがとうございます!」
美雪はコンビニ店員として抜群の素質を持っていたようで、異例の早さで店長になることができた。なお、陣介の知り合いだった前任の店長は本社勤務になるという。
「だけど、コンビニの店長って激務なんだろ? 大丈夫なのか?」
やはり心配してしまう陣介。
「確かに大変です。だけどあたしには向いてたみたいで……」
そう語る美雪の顔はきらきらと輝いており、陣介にも美しく見えた。あまり見つめていると変な気分になってしまいそうで、つい視線を外す。
「工藤さんは相変わらず借金取りを?」
「いんや、俺はどうも金を取り立てるのが向いてなかったみたいでよ。今は町の何でも屋みたいなことやってる。年寄りに頼まれて掃除したり、力仕事したり、買い物したり……」
「工藤さん、お優しいですもんね」
「俺がぁ? バ、バカ言うなよ」
赤面する陣介。
「だって今のあたしがいるのは工藤さんのおかげですから」
「おかげぇ? 俺はバイトを紹介しただけだろ」
「いいえ、当時のあたしは本当に絶望していたんです。友達もいなくて、仕事もなくて、つまらない借金をして……あのままだったら借金はどんどん膨れ上がってたと思います。あたし、工藤さんに何か恩返しがしたいです」
「別にしてもらうことなんかねえよ。そうだな……今の仕事を頑張ってくれることが一番の恩返しかな。もちろん、無理はしないで欲しいけど」
「はいっ!」
その後、美雪は何か言いたげだったが、
「ん、どうした?」
「いえ、なんでもないです!」
その後、別れる二人。陣介は美雪を想い、すっかり成長したな、と親心にも似た気持ちになる。
そこへ電話がかかってきた。
「はい、もしもし。おう、おじちゃんか。どうした?」
直後、陣介の顔が凍り付く。
「え……お袋が!?」
***
しばらくして、また二人はカフェで会っていた。
美雪の仕事は順調で、収入もそれに見合うだけ増えていた。また、美雪自身が次々に業務改善のアイディアを打ち出し、休暇も満足いくように取れているという。
一方、陣介の様子は明らかにおかしかった。どこか上の空だ。
「あの……工藤さん」
「ん?」
「今日何かおかしいですよ。心ここにあらずと言いますか」
「そ、そうかな」
ここまでくると、別に長年付き合った仲でなくとも察せられる。
「何かあったんですか? 話して下さい」
「いや……何もねえって」
「そうですか」
ホッとする陣介。が、それも束の間。
「話して下さいぃぃぃぃぃ!!!」
陣介がギョッとする。
「臓器売りますから話してぇぇぇぇぇ!!!」
これは初めて出会った時の――慌てる陣介。周囲の客の視線が痛い。
「分かったよ、話すよ! だから落ち着いてくれ……」
「よかった」すぐにけろっとして満面のスマイルを浮かべる美雪。
こいつ伝家の宝刀を使いこなしてやがる、と陣介は観念すると同時に感心した。
先日陣介にかかってきたのは、母親が倒れたという報であった。陣介も故郷に戻り、病院に駆け付けたが、容体は思わしくないという。
そして――
「保険のきかねえ最新治療なら、もしかするとお袋を助けられるかもしれねえ。だが、俺の収入じゃ……とても手が届かねえんだ。親戚にも頼んだけど、裕福な人なんかいねえし……」
美雪は黙って聞いている。
「だから……もしこれを言ったら二度と会ってもらえなくなるのも覚悟で言わせてもらう。頼む……不足分の金を貸してくれないか」
陣介の告げた金額は、決して気軽に払えるようなものではなかった。だが、美雪は言った。
「お貸しします」
「……いいのか」
「はい、あたしも工藤さんに恩を返したいんです」
「ありがとう……」
美雪への感謝、そして自身への情けなさ。陣介は目にこみ上げるものをどうにか堪えた。
***
陣介の母は助かった。治療が上手くいったのである。
その報告のため、陣介はいつものカフェで美雪と待ち合わせした。
「本当にありがとう!」
陣介は深々と頭を下げた。
「いえ、そんな……」
「いや……俺の力だけじゃお袋を助けられなかった。お袋が助かったのは美雪ちゃんのおかげだ。それで……」
陣介が茶封筒を美雪に差し出す。
「これは?」
「借りてた金だよ。一括払いってわけにはいかねえが、少しずつ返して、絶対全部返すから」
これに対し美雪は――
「いりません」
陣介に驚きはなかった。この返答も予想していたからだ。
「いや……それはダメだ! 受け取ってくれなきゃ困る! あんただってきちんと返済したんだ。俺だってしなきゃ男がすたる。それに、借りっぱなしじゃ今後あんたと対等に付き合っていけねえ!」
自分のためでもあるんだと、なんとしても封筒を渡そうとする。
「工藤さんがお母さんを助けようとする気持ち、あたしは当然だと思います」
「そりゃありがてえ。だからって借りた金そのままにするわけには――」
「あたしじゃ……ダメですか?」
「へ?」
きょとんとする陣介。
「あたしも……工藤さんのお母さんの娘になったら、ダメですか?」
一瞬意味が分からなかったが、すぐにその言葉に秘められた想いを悟る。
「それって……」
「はい……」
頬を染め、うつむく美雪。
陣介も少し沈黙した後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺は……どれだけ親しくなっても、それだけはいけないことだと思ってた。あんたから借金取り立てたこともあるし、こうして大金を借りちまったんだからな。だから絶対に俺からは言い出せなかった」
首を振り、身を乗り出す陣介。
「だけど……そうと分かった以上、もう迷うことはねえ。えぇと、俺のお袋の娘に……なって……。あーうまいこと言おうとするとやっぱダメだな、シンプルにいこう!」
咳払いしてから、
「結婚してくれッ!」
「はいっ!」
しばし見つめ合う二人。
かつて、借金を取り立てる、取り立てられる、の間柄だった二人だが、二人三脚で歩んでいくことを決めたのだった。
***
それからの道のりは決して平坦なものではなかった。
安定した人生を歩んでいるとはいえない陣介との結婚に、美雪の両親はやはり難色を示したし、陣介の母親のリハビリも大変だった。
それでも二人は諦めず、ようやく結婚式当日を迎えたのである。
陣介の母親が美しく着飾った二人を見て涙する。
「陣介、ありがとうね。美雪ちゃん、陣介をよろしくね」
「おう!」
「お義母さんも元気になられてよかったです!」
美雪の両親ももちろん出席している。
「陣介君、娘をよろしく頼む」
「どうかお幸せにね」
「はい!」
「お父さん、お母さん、ありがとう」
いよいよ披露宴が始まる。決して交友関係が広い二人ではなかったが、それでも十分といえるほどの人数が集まってくれた。
陣介が美雪と出会った時、コンビニ店長だった知人も来ている。今ではさらに出世したらしい。
披露宴は進み、司会者が二人に問いかける。
「それではここで、お二人の馴れ初めについて伺いたいと思うのですが……」
陣介はニヤリと笑う。
「じゃあ、夫婦の共同作業ってことで」
「あたしたち二人で再現します!」
拍手が鳴る。
陣介と美雪が向き合う。お互い恍惚な表情を浮かべたのも束の間――
「借金返してもらおうかァ!!!」
「臓器売りますぅぅぅぅぅ!!!」
司会者は唖然としていたが、彼らを知る者たちは笑った。
二人の顔は晴れやかであった。
~おわり~
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