59話 カタパルト
―Minol Side―
「やっちゃった……」
自分の右手を見て、思わず呟いた。
理性の限界、それは1年と3ヶ月前後だった。
大会中の“アレ”は外部要因だったし、その日もギリギリ耐えられた。
大会が終わり帰って来たその次の日、つまり今日。そしてその日の朝、つまり今。
1週間の疲れが溜まっていたのか、それとも別のナニカが溜まっていたのかどうなのか、今朝は起きてからかなり意識があやふやだった。
ただぼんやりと憶えていることは、起きて1番に考えたことと言えば、まー君のことだったということ。
記憶に残っていた甘美な意識と、その意識に指向性を持たせる輪郭が逆上せ上がる体温と本能をどう扱うかを決めたようで。
夢現の中で夢のモノとして扱おうと現実逃避していたけど、“一連のルーティン”が終わり、霧が晴れるように意識が明瞭になっていって今まで自分が何をしていたかを理解し始めた。
後に残ったのは、指の間に架かった匂う瑞の銀橋と、余韻が陰影を濃くする深淵の後悔だった。
「ああ……ああ……」
さようなら、自分の男としての尊厳。
割と1年目から失っていたような気もするけど、今回のはあまりにも決定的すぎた。
今回の“コレ”について、おそらくもう男に戻れない状態になってしまった気がする。自主的で自発的、意識が確かでなかっただけで、自分から“シタ”ことに違いは無い。
正直自分自身、男の尊厳というモノに対してあまり興味が無くなってきてしまっているのかも知れない。今後の生活に於いて重視していることと言えば、女としてどう生き行くのか、まー君とどういう関係性、距離感でいるのかということだ。
はぁ……これからどうしよう。
女性としての生活には大分慣れたものではあるけど、問題なのは「この先」。高校生活はいいとして、進学や就職でどうなっていくのか。
そして、それ以外の人生設計についても。
自分自身の気持ちも勿論、人生に於いて大事なモノだ。
自分自身がどうであるかというのと、この想いが誰にどう向いているのかは別だ。女として生きていくことを覚悟したというのと、自分が……自分の気持ちがどんな大きさでどんな形でまー君に向いているのかは違うという話ということだ。
まー君はまだ私が「男に戻りたいと思っている」と考えているようだけど、どう打ち明けようか、という話もある。それだけ伝えたら絶対理由を聞かれてしまうかもしれない。なまじ核心を言わなかったとしても、「まー君を主に意識して見てしまっている」ことは伝えてしまっているがために、その後気まずくなってしまうのは分かりきっている。
この夏の間、こちらから会うようなことは避けるとして、学校が始まったらどうしよう……。友人として全く遊びに行かないってのも変だし……。
そんなことを考えていると、供給線に繋がれた端末から通知音がする。
「えっと……」
今だ身体から気だるさが抜けないまま、その画面を見た。そこに映っていたのは――
『今日か明日にどこか泳げるところに行かね?』
今最も思い出したくない相手からの報せだった。




