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29話 口唇嬉

「実、塩取って来ようか?」


「んー……」


 実はスプーンでお粥を口に移しながら答えた。


 スポドリの跡が首筋に残っているのと、頬に米粒が付いているのを見て思う。


「あ、ついでに台拭きと顔拭く用のタオルか何か持ってくる」


「んー……」


 本当に大丈夫なのか未だ少し心配だったが、そこまで変わった様子もないので先程言った品物を取りに行った。


「戻ったぞ……って」


「あ……うん……」


 塩とタオルと台拭きを取って戻ると、実はあまりお粥を食べている様子はなかった。ただ、別に寝ている訳でも、食べる気が無くなった訳でもないようだった。


 よく見ると、実の口の周りについているお粥の量が少し増えているようだ。


「はぁ~……ダルいとは思うけど、ちゃんと食えよ」


「んー……」


 コイツ、ダルいのか面倒なのか、それとも退行しているのか、さっきから「んー……」しか言わないな。ま、いいけどさ。


 もしかしたら、TS化してから今まで抱えていたものに今回の風邪で押し潰されかけているのかもしれないし。


「思ったよりこぼしてるし……はい」


「……」


 タオルを渡そうとしてみたのだが、実は黙ってタオルを見つめたまま、それを取ることはなかった。


「どうした?」


「いや……」


「ん?」


「こぼす……からさ」


「うん?」


「まー君が食べさせて……」


「はぁ?」


「嫌なら……いいけど……」


 どうやら俺が思っていた以上に実は退行していたらしい。


「はぁ……良いけどさ」


「うぅ……ありがと」


 そして俺は俺で、女になった実に甘いのかも知れない。


 もし、実が男のままで同じことをしていたら張っ倒していたと思うし。


「はい、あーん」


「あー……ん」


 因みに、「まー君」というのはどこぞの野球選手のことではなく、俺の昔のあだ名だ。


 小学校低学年時、実をはじめ、その時の友人の多くからそんな呼ばれ方をしていた。高学年になることには「細染」、中学生になると「増良」というように呼ばれ方が変わっていった気がする。


 つまり実がこの呼び方をしたということは、今の実の精神年齢は小学校低学年くらいにまで退行してしまっている可能性が高い、ということだ。


 ガチャッ。


「ん?」


 ガターン。


「誰か帰ってきたか……? 居間の手紙は妹さん宛てだったから……、彩梅ちゃんかな?」


 親御さんが早くに帰って来られるのならあの手紙はきっと書かないだろうし。


 ……まあ、誰でもいっか。帰りに挨拶しておけば。


 そう考えたのが、甘かったのか。


「飲み込んだな。次行けるか」


「ん」


「はい、あー……」


「あー……」


 ガチャッ。


「増良さんが看病してたんですよねー、ありがとうございま……」


「え?」


「あむ。ングングング……」


 足音も無く現れた妹さん、彩梅ちゃんと、俺の時間が止まった。退行していた実だけはマイペースにお粥を食べ続けていた。


 OK、OK、状況を確認。


 俺、実にお粥を食べさせてる。特に問題は無い、はず。


 彩梅ちゃん、部屋に入ってこの状況を見てフリーズしている。ドアノブに手を掛けたまま。


 最後に実、マイペースにお粥を食べ続けている。髪は下ろしている。顔は上気し、上半身のYシャツは第3ボタンまで外れ、胸元がはだけている。うん、アウト。


「あ、あー……しっつれいいたしましたー……気にせずお楽しみくださーい」


「あ、ちょ、待っ、絶対誤解してるって! 何考えたのか知らないけど!」


 顔を引き攣らせたまま踵を返した彩梅ちゃんを追うため、立ち上がろうとした。


「ん? んー……」


「ちょ、そっちはもう少し待って! 今はマジで! 何かシャレにならない誤解をしてそうだから!」


「んー……!」


「後で好きなだけ食わせてやるから!」


「んー……」


 俺に介助を続けさせようとしているのか纏わりつく実だが、なんとかそれを振り払って部屋を出た。


「彩梅ちゃん!」


「え? ええっ!?」


 なんとか追いつき、説明した。


「へぇー……そういうことだったんですね」


「アイツもずっと考え込んでいたり大変だったはずのことを、少なくとも学校では言ったことは1度も無かったし、泣き言も俺はアイツが変わった最初の日にちょっと聞いたくらいでそれ以降は聞いてないからな。心の内に溜め込んでいた重いものもあったんだろうな。でなきゃ、“あんな風”にならんさ」


「そう考えると……そうですね」


 彩梅ちゃんは腕を組み俯いて考えて、唸る様に応じた。


「そういうことだから、たまにはアイツを甘やかしてやってくれ。辛いときくらいは。後本当に、何も無いからね? アイツと俺。アイツからも友人としての距離感を保って欲しいって言われてるし。アイツの身体が変わって人間関係にも夏前はそれなりに苦労してたみたいだから」


「ふーん……そうなんですか……」


 何度かコチラをチラチラと見ながら、彩梅ちゃんは徐々に理解をしていってくれたようだ。


「分かりました。でもあまり勘違いするようなことは止めて下さいね」


「ハハハ……それは気を付けます」


「じゃ、あとはご自由に」


 そうして、実の部屋に戻った。


「何とか誤解は解けて良か……って」


 戻ると実はお粥を食べ終えて、座ったまま眠っていた。


 俺が彩梅ちゃんに弁明していた時間がそれなりにあったし、お粥を入れていた器が乾き始めていたのでそこそこ前の時間に食べ終えていたようだ。


「おーい、寝るならベッドで寝た方が良くないかー? 食べてすぐだからどっちにしろ寝ない方が良いかもしれないけどさ」


「うむぅ……」


「ほら、とっととベッドに……って、さっきより体温上がってないか?」


 実の身体を持ち上げようとすると、お粥の熱を蓄えたからか、実の身体の熱が先ほどより高く感じられた。


「んんぅ……暑い……汗気持ち悪い……」


「使ってない方のタオルでも使って、身体でも拭いたらどうだ?」


「んぅ……背中、拭いてくれる?」


「流石にそれは自分で拭いたらどうだ?」


 今となっては互いに身体は異性のモンだ。妹さんにも釘を刺されたし、あんまりしたくないような。


「関節が熱持って痛いから……ダメ?」


「はぁ……とっとと終わらせるからな」


「……ありがと」


 実の顔が良くなったからなのか、身体と顔が女だからなのか、こういうこと、本当に甘くなってしまうように感じた。


「ほら、背中捲るぞ」


「ん」


 ペラっと実のシャツを背中側から捲ると、白い肌が出てきた。めちゃくちゃキレイだな。


 絹のような、と形容されるような肌とは、こういったキメの細やかな肌のことを言うんだろうな。


「痛かったら言えよ」


「んぅ……」


 女の身体を拭いたことなんて1度も無いし、元の感覚のまま拭いても実なら大丈夫であるかも分からない。と、いう訳で、少し力は抑えめで拭いてみた。


「大丈夫か?」


「んー」


 大丈夫らしい。


 ガチャッ。


「一応汗とか拭くように暖めた濡れタオルを用意し……」


「え?」


 デジャヴ。


「まし……まし……マジですか?」


「えぇっと……」


 これ、さっきのよりアウト要素濃いめだなぁ。


「一旦、冷静になろう。な、さっきも誤解みたいなモンだったし」


「……」


 彩梅ちゃんはドアノブをゆっくりと引いて戻ろうとしていた。


「君にとってこれが言い訳に聞こえるかも知れないけど、聞くだけ聞いて欲しい……です」


「……聞くだけは聞きましょう」


 再び説明、のデジャヴ。


「はぁ、分かりました。もう“2度と”勘違いするようなことは、止めて下さいね」


「肝に銘じます」


「じゃ……」


「な、何……?」


 彩梅ちゃんがこちらをジィっとこちらの瞳の奥を貫くように見つめてから、一息ついて言葉を続けた。


「やることが終わったら、姉の部屋からは出た方が良いと思いますよ、これ以上誤解とか……生まないために」


「う、ウス」


 1度目こそ今までのように飄々としていた感じのする彩梅ちゃんだったが、今度は目の色が深く染まっていた。彼女の声も、心なしか低くなっていたようにも思えた。


 まあそりゃそうだろうが自分の家、その上自分が一緒の屋根の下でいるところで乳繰り合っていそうになっていたと思うのなら、釘を刺したくもなるのだろうな。


 さて、色即是空、空即是色。


 心を無にして実の背中を拭いてやりますか。


「じゃ、続けるぞ」


「ん」


 実が元男で良かった。元から異性の幼馴染とかであったならば、我慢ならなかったのかもしれない。その我慢がどの程度なのか、自分でもよく分からないが。


「これで大体拭き終わったな」


「……前も」


「それは自分で拭け」


 拭いたタオルを放り投げて実に渡した。先ほど以上に熱に浮かされているのか寝ぼけているのか分からないが、今まで以上にうわ言が口から漏れ出ていた。


「じゃあ、手……、寝るまで握ってて……」


「はぁ……利き手じゃない方ならいいよ、もう……」


 色々と面倒だったので条件付きで要望を叶えた。


「はぁ……宿題でもするか」


 残した利き手だけで書いたため、紙の抑えがずれて書きにくかったがなんとか課題のプリントをこなしていった。


「すぅ……すぅ……」


「やっと寝たか」


 絡みつくように握られた手も握力が緩くなっており、離せそうになっていた。


 ギュ。


「……」


 放そうとしたところ、実は手に力が籠めたようで、再び離せなくなっていた。


「ゆっくり……ゆっくり……」


 今度は手に刺激を与えないように注意を払い、手を放した。


「寝ぼけてただけだったな、全体的に」


 自分の荷物を取り、部屋を後にした。


「あ、お帰りですか?」


「ええ、さっきは変な誤解を与えるような光景を見せてしまって、すいませんでしたね」


「……今度は、あんなことがないようにしてくださいね」


「は、はい……」


 部屋を出た廊下にいた彩梅ちゃんにまたもや釘を刺されてから挨拶をして、家に帰ることとなったのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 弱ったTSっ娘が信頼できる相手に甘えてるのは実にイイ…! 特に手を握って欲しいと言う所がいいですね。案外主人公が看病するまでまともに眠れて無かったり…は流石にないか。
[一言] 妹ちゃんは完全に姉として見てるんだなぁ
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