最終話 THE SWEETHEART
―Minol Side―
幸福とは、どんなものだろう。
今まで生きてきた中で、この定義を真剣に考えることなど何度あったことか。
なんとなく過ごしてきて、なんとなく「自分は幸せなんだろうな」なんて考えていた。
でも今は、今こそが本質的な本当の幸せなんだと思う。
「……ぷはぁっ」
そこまで長い時間ではなかったはずだけど、永遠のようにも感じたキス。
唇と唇がそっと触れているだけなのに、こんなにも熱い。唇も、抱き合い触れる肌も、そして体の芯からも、頭を上せさせるような熱がある。
「……」
唇に残る情熱が、私たち2人の間から言葉を奪った。
目を合わせたくてその表情を覗き込んで、視線がぶつかると照れてしまって目を逸らす。そんなことを繰り返していた。
「えぇっと……そろそろ、帰る、か?」
何度目かの視線がぶつかり合った時、増良がそう提案してきた。
抱き締め合う名残惜しさが後ろ髪を引かれるけど、今日はこれで満足したし、増良の言葉に同意して帰ろうと思った。
「ちょっと、待って……」
そう頭では考えていたのに、口から出た言葉は考えていたこととは反対方向の言葉だった。
「な、何かダメなことでもあったか……?」
待ったをかけた私の言葉に不安気な視線を送ってきた増良にほんの少しだけ嗜虐心が刺激されて背筋がゾクリとした。
こちらから攻めてみるのも良いかもと思ったけど、今私を突き動かす本能は別の方向を向いていた。
「その……もう1回……」
口が勝手に動いている。
「……分かった」
と、増良は先ほどと同じようにキスするために、再び体勢を整えようとしてきた。
「も、もう1つ、ワガママ、言っていい?」
「……出来ることなら何でも」
1つ踏み込んだ要求をしたくなったのは、ある種の試し行動なのか。
「もっとこう……無理やり、というか……強引な感じで、してみて欲しい」
「強引な、感じ……」
ここまで言ってしまってなんだけど、引かれてしまったかもしれない。
「こんな感じ、か……?」
増良は私の手首を強めに握って、近くの金網の柵に追いやった。
「もっと、強引な感じが良い、かな……」
「それって……」
「今、増良がしたいと思った限界まで、強く求めて欲しい……かも」
「良いのか? そんなコト言って……」
ややギラついたような瞳をしながら放った増良の問いに、私は静かに顎を引いた。
そして再び、重なる唇。
「んん、んふぅ……」
先ほどの触れ合うだけのようなキスとは違い、互いに何度も押し付けついばむようなバーズキス。漏れる吐息を増良に聞かれると思うだけで恥ずかしくて、そして興奮してしまう。
「はむ、んん……」
期待をもって唇をそっと押し付けてみると、増良は押し付けた唇を彼の唇で甘噛みしてきてくれる。
「ちゅ、れちゅ……」
試しに舌を彼の下唇に這わせてみると、彼の舌がこちらの唇を割って口の中に侵入してきた。
彼の右手は私の左手首を更に強く握りしめ、無意識に絞り上げるようにゆっくりと上げていく。そして彼の左腕は私の右腕を束ねるように抱き締めて、後頭部を優しく撫でるように手が添えられていた。
「むふぅ……あっ」
一度舌の侵入を許すと、私の口腔内は彼の支配下になっていた。
最初は解きほぐすように、撫でまわすように舐めてきていた彼の舌は、いつの間にか暴力を振るいまわしていた。
私の舌を殴り、擦り付け、絡み絞りつけてくる。歯や歯茎を磨いては、内頬をこそぎ取っていく。唾液を吸われて無理やり乾かされた後、唾液腺を刺激しているのか、新たな唾液を分泌させられる。
「ぷはぁ……ちょっと、待っ――」
「待たない」
少し苦しくなったところで一度口を離そうとしたら、再び増良は口付けを求めてきた。
苦しいのは事実なのに、求められることが嬉しくて、それを受け入れてしまう。
「ふぁ、んんっ……!?」
再びの侵入は先ほどとは違い、最初から苛烈な攻めで始まった。
私が強く反応してしまうところはもう既に知り尽くされてしまっていたようで、悦びも苦しみも、何度も執拗に与えられては、腰が抜ける1歩手前で止められてしまう。
そして口の中の虐待は確かに苛烈だったものの、それ以上に他がアグレッシブになってきている。
口の中もそうだけど、2人の体温が重なって身体が熱い。籠った熱がじっとりと汗を掻かせてきている。
私の手首を握る手と、身体を抱き締める彼の腕の力はより強く、骨身に届くほどの苦痛が悦楽をこみ上げさせている。
「ん……んんんっ!」
最後に加えられた力は、彼の脚だった。いつしかエレベーターで不意に密着してしまったときのように、彼の大腿の幹が私の脚の間に押し付けるように入っていた。
ゆっくりと、だけどしっかりと私の身体ががっしりと固定させられているように、じわじわと持ち上げられてしまう。私の足は両方踵が浮いていて、体重の殆どは背中から彼の腕、正中線から彼の腿への2か所に集中していた。さっきまでは腰から背後の金網へ体重が掛かっていたけど、今は腰が浮いてしまって彼の感触を分散させることはできない。
意地悪なのか、ただ私の身体の位置を固定したいだけなのかは分からないけど、増良の脚は全く動いていない。こちらが身をよじると私の内腿や下腹部が擦れ、快楽が背中を伝って脳髄に流れ込んでくる。
「ん、んん……んっ」
彼が直接の原因ではないことでも、私を酩酊させ始めた。
彼のキスは私に息継ぎも許さず、窒息の苦しみが私を襲っていた。
しかしその窒息が続くと、彼は私の新たな扉を開けた。
苦しみであったはずのその感覚はいつの間にか緩やかな快楽に、頭の中はぼんやりとした多幸感が満たし始めた。
「んん……ん、……ぷはぁ!?」
窒息の果て、意識が落ちる寸前で増良は唇を離した。
体熱に浮かされ、痛みが体に染みついて、途絶えていた酸素と快楽を求めるために私の息は乱れていた。
「ちょっと……夢中になりすぎた。大丈夫か……?」
「ぜぇ……ぜぇ……はぁ……はぁ……んんっ……」
「お、おい、本当に大丈夫か? 少し……というかかなり強く抱き締めてたような気もするし……」
彼の問いに息も絶え絶えで答えられずにいると、彼の不安を煽って心配させてしまった。脈打つ鼓動の音がうるさく、欲していた彼の言葉が聞こえなかったことをうざったく思ってしまった。
痛みを伴うほどの抱擁だったことは、今になって気がついたみたい。こういう少しおっちょこちょいなところが愛おしくもあり、それほどの情熱を向けてきてくれているのがこっちが恥ずかしくなってしまうほどに幸せだった。
「もっと……」
「え?」
“痛いのは嫌だ”という感覚自体は残っているはずなのに、「彼に抱き締められるコト」が中心になっていると、痛みや苦しみは快楽を強める媚薬か麻薬のようなモノだった。
「もっと激しく……もっと強く抱き締めて……」
そこから先は、殆ど記憶が飛んでしまっていた。
ほのりと憶えていたことと言えば、身体の全てを委ねて骨の髄まで軋むほど抱き締められて、口の中は凌辱に蹂躙を重ねられていたことを、酸素の薄れた朧げな意識で見ていたことだった。
「ん……気が付いたか?」
意識を取り戻すと、先ほどのベンチにいつの間にか座っていた。意識は朦朧、腰も抜けてしまっていたので、増良が移してくれたんだと思う。
「私から求めておいてこんな……」
「俺は嬉しかったけどな、そこまで求められて」
「……」
今日だけで何度、羞恥に晒されて、黙らされたのだろう。何度か彼を惑わせようとしたこともあったけど、それらも全ていなされて、結局私が照れるようなオチがついていたような気がする。
でもそれが、心地よいとも思っていたり。
ここまで恥ずかしい思いをしたら、今日中に掻く恥はもうどうでもいいような感じもしてきた。
「最後にちょっと、お願いしてもいい?」
「内容による」
雰囲気を察してか、軽口で返してこられた。その余裕そうな表情も小生意気な感じがしながら愛おしさも感じてしまう。
「腰が抜けて……治らないから、帰るの、おぶって貰えると、助かります……」
「お安い御用で」
差し出された背中が頼もしい。
「重かったら、ゴメン」
「軽い軽い」
言葉の通り、軽々と私の身体を持ち上げて、増良自身、日の暮れた街並みを眺めていて、その歩きはゆっくりと、泰然としたものだ。
「……」
胸を押し付けてみても増良は何事も無いかのように、無反応で歩き続けている。最後まで私は彼に敵わないらしい。
でも、それも良いなと思った。
彼が眺めるゆっくりと流れる街並みを重ね見てみる。変わっていくもの、変わらないもの。そのどちらもがこの瞳に映っていた。2人の関係、そしてこれから私たちが関わっていく人たちも変わっていったりすることもあるんだろうなと思う。その中で、心を通わせるということだけは、変わらないでほしいと心から願った。
「増良」
「なんだ?」
そしてそれは、言葉にするべきなんだろうとも。
「これからもよろしく」
「……おう」
変わっていく景色の中、変わらない肌の触れ合いの感触を静か、心に漬して、染み込ませながら。
これにて、「TSした親友は男の尊厳のために恋に落ちないようにしているらしい」本編は異常となります。ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。後日譚は少々続けるつもりですので、それにもご期待くださいませ。また、是非とも他作品、次回作もよろしくお願いいたします。
改めまして、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。




