106話 味付価にくいものですか
タイトル名は「味付価にくいものですか」です。
「「……」」
耳鳴りと自身の鼓動で他の音が聞こえない中、痛めた手首になるべく負荷が掛からないように力を込めて身体を起こした。
「「……」」
やはりというか、場を支配するは沈黙。
のっそりと身体を退けても、実は耳まで紅潮させたまま、虚空を望んでいた。
「お、おい、大丈夫か……?」
「……」
流石に実の呆然としていた時間が長く感じたため、声を掛けるも無反応。
「実っ!」
「……あ、えっ? 何?」
「怪我とか無いかって」
「う……、うん、大丈夫……」
肩を揺すりながら大声で呼びかけると、呆然としていた実の瞳に生気が戻った。
「そっちこそ大丈夫?」
「こっちから押し倒したような形になった形だし、大丈夫……だと思う」
若干手首に痛みは残ったけど、その他に異常は感じない。
「ちょっと待って。少し顔、良く見せて」
そう言われ、実の手が俺の顔に添えられた。
「少しだけど唇に血が付いてる……」
「え、マジ?」
言われ、親指の付け根で唇を拭う。
「本当だ……」
拭ったところを見ると、薄っすらと血の色が滲んでいるのが見て分かった。
「まあ、これくらいなら大事じゃないから……。放っておけば勝手に治――」
言い掛けたところでこの状況の異常さに気が付いてしまう。
実は両手で俺の顔を触れて、先ほどの顔の赤みこそ引いているものの、ジロジロと俺の唇を舐めるように眺めていた。
「……何? あっ……」
そしてそのことに気づく実。
「「……」」
再び訪れる静寂。
「え、ええとその……落ちたの、拾わなきゃ……」
「……ああ」
実の方から沈黙を破り、今すべきことを促されて、取り敢えずそれに取り掛かった。
「これで一通り元に戻した……、と」
「本当ゴメン」
「別に良いよ。今度は私がもっと持つから。……さっき、まー君が倒れたのも私が甘えた所為でもあるから」
「それは俺が無理したからで……大丈夫って変な見栄を張ったからだから……」
実の姿が美少女であることも起因するのか、見栄を張って判断を誤るというのはあったのだろう。またしても自分の単純さが嫌になる。それで人に怪我をさせかけるような危険まで冒してしまったというのが殊更……。
「はぁ……」
「唇、大丈夫……?」
「痛い訳じゃないから」
怪我はさせなかったものの、心配はさせてしまっている。心苦しい。
「さて、改めて、持って行くか」
「そ、その前に、さ」
「ん? まだ何かあったっけ?」
回収した備品を再び持とうとしたところ、実に言葉で遮られた。
「さっきの……倒れたときのことなんだけど……」
「あ、ああ……」
言われて、心臓がドキリと跳ね上がる。
業務に集中して忘れようとしていた唇の感触が思い出される。
有耶無耶にして水に流すか、口に出して無かったことにするか、俺は前者を取った。
卑怯にも逃げたコトが裏目に出て、何か責任でも取らされてしまうのだろうか。
「その……」
「……」
ゴクリ、と喉が鳴る。目と耳の神経が研ぎ澄まされる感覚がする。耳鳴りか、耳鳴りの幻聴まで聞こえる気がする。
「ノーカン……と、いうコトで……」
その言葉に、ホッとした。……何にホッとしたんだろうか。責任を取らずに済んだことに? それとも、変な期待を持たずに済んだことに?
「も、勿論俺も……それが良いかなって思ってた」
また言い訳か。便乗までして……情けない。
「じゃあその……そういうことで……」
「それじゃ……運ぼうか」
「……うん」
俺が実の意見に同意した後、業務へ戻る提案をして、それを首肯した実の顔は青ざめているような……、少し生気を失ったようなモノになっていた。……何故?




