10話 セルフ・エディプス・コンプレックス
「異性のことを、好きだと認めないこと」。
そう言えば、TVだかネットニュースだか、はたまた保健の教科書だったかに書かれていたことだったな。
異性に変わったという状況を受け入れてしまうと、元の性別に戻れない。正確には、数十年の間、そうして元に戻ったという事例がほんの1事例も存在していない、ということ。
実は実なりに、「これまでの生活への未練」や、「女性として生きる不安」に動揺していたのかもしれないな。
「なるほどな。そうならないように阻止しろと」
「そういうことだな」
「でもなんでちょっと躊躇いがちに言ったんだよ」
「それなぁ……」
実は溜め息を吐いてから言った。
「正直、この体になってから、街行く男のことを“そういう目で”見ている自分がいることに気が付いたんだよ……」
「Oh……」
それはキツイか。今まで女にしか興味が無いと思っていた自分が、男に目が行っているってのは。ホモセクシュアルやトランスジェンダーの人たちのように、真の自分に“気づいた”といった感じではなく、明らか“変わった”ことを意識づけられてしまったと感じるからだ。
「理性の方は男のままなのに、本能の方が女に変わりつつあるってことか?」
「そう……だな。“認める”ってのは、理性の方も変わったことを受け入れることを言うんだと思う。そういう情報を見ても詳しいことは分かってなかったり難しいことを書いてたりするから、あんまりよく分からないけど……」
肯定の言葉に詰まったのは、口に出してしまうことで、認めたと思いたくないからなのか。
「まあ……、兎も角、俺もできることは分からないけど、協力するよ」
「……ありがとう」
俺は実の状況になったことはないから本当の意味での共感はできないけど、その顔から本気で元に戻りたいという願望と、女になってしまうのではないかという恐怖は外からでも感じられたため、そこは本気で協力していこうと思ったのだった。
―Minol Side―
はぁ。
なんでコイツは、こんなに無垢な微笑みをこちらへ向けてくるのだろう。
いや。
それは俺がコイツに差し向けたことだ。一種、友人として、当然言うだろうという言葉を求めて、その言葉と共に向けられる表情であると知りながら。
増良に言ったのは、決して嘘じゃない。
だけど、意図的に隠した部分はある。
それは――、「街行く男のことを“そういう目で”見ている」という対象の殆どが、増良だということだ。
勿論、俺は“この身体”になる前、増良のことをそういう目で見たことは無かった。
もとより、そういう目で見るような人間はTS病には掛からないというのはあるが。
“何故、増良のことを意識してよく見ているのか”。
それはあくまで、自分の理性の部分が指示しているのではない。明らかに本能の部分だ。
端的に言うと俺の身体……“女になった身体”のタイプが増良だったんだろう。勿論、意思で狙ったものではない。
本当に体が増良を求めているんだろうなと、意識と無意識との対話で分かる。顔、体つき、仕草、癖、体質、匂いに至るまで。
少し考えれば分かることだけど、何故増良の部屋に来てしまったんだろう。増良の匂いでほんの少し頭がぼーっとする。
しかし、明確に増良の部屋を避けているとなると、俺自身が男としての人間関係を壊さないようにという目的も果たされない。正と負の葛藤、ヂレンマってやつだ。
増良は俺に協力してくれるって言ってくれたけど、その分近づいてしまう可能性は高い。
精神的に男のままでいたい俺と、男としての人間関係を壊したくない俺。前者を守るために距離感を保ちつつ、後者を守るためにもある程度関わりを保っておかなければならない。
人間関係を崩したくなくて近づき過ぎても、俺が意識していることを感づかれると、それはそれで人間関係の崩壊になり得るだろう。
ホント、どうにか、この気持ちに気づかれませんように。そしてこの気持ちに呑まれませんように。




