プリズム①
「珍しい色してるのねぇ。」
不意に斜め後ろから声をかけられ、驚いた。私は、キラキラした小さなダイヤのついたホワイトゴールドのピアスを手に取り、買おうかどうしようか迷っているところだった。
店員さんなのかな?と思いながら、
「…色?…んと…形が可愛いなと思って。」
透明な石なのに色?と不思議に思いながら、声の主を振り返る。店員さんではないようだ。漆黒のストレートロングの数ヶ所にピンクのメッシュが入った髪。黒のロングコートを着た、なんとなく不思議な感じのする女の人が立っていた。
「あなたの色がね。ふふっ。それ、似合うわよ。」
そう言うと、彼女は立ち去ってしまった。
「…私の…色?」
全く意味がわからなかったけれど、妙に気になって、結局、そのピアスを買ってしまったのだった。
次に雅人に会った時、その話をした。彼は、その人の話はどうでもいいという感じで、
「何だよ~。それ欲しいって言ってくれればさ、誕生日プレゼントにしたのに。」
と、ちょっと不満気に言った。
「ごめんごめん、なんか衝動買いだったんだよね~。」
「ふーん。でも、透子にしたら珍しいね。いつもはあんまり衝動買いとかしないのに。」
それから私達はプレゼントや誕生日に過ごすレストランなんかの極々ありふれた恋人同士の会話をしていたのだけど、私の頭のどこかに、「珍しい色をしてるよね。」と言われたことが引っ掛かっていた。
「私が何色をしてるっていうんだろう?っていうか、そもそも私の何に色があるんだろう?」
それは凄く不思議な感覚だった。
「今日、珍しい色の子を見たわ。」
サトルはシエルの青色の髪をかきあげて、頬に口づけしながら言った。
「何色?」
シエルは読んでいる本からは目を離さずに聞く。 サトルは持っていたグラスのワインを飲み干すと、ガラスの棚を指差した。
「あんな色。」
「…プリズム?」
シエルは視線を、本から棚に置かれたプリズムに移し、少し考えた。
「プリズムの色って…どんなだ?」
「さあ?何色になるんでしょうね?」
珍しく驚いたシエルの顔を見て、サトルは愉快そうに笑った。
クリスマスイブだっていうのに、なんで雅人はバイトなんか入れちゃうんだろう。仕方ないから図書館でレポートの残りを片付けていたら、いつの間にかこんな時間になっていた。
「綺麗。」
中央公園の木々は色とりどりのイルミネーションで飾られている。そして、その下には、手を繋いで、身を寄せあって、温めあっている沢山の恋人たち。
少し暗い場所のベンチに腰を下ろして、ポケットに入れていたカイロ代わりのココアを飲む。ここから見るイルミネーションは、何だか遠い別の国の光のようだ。
「はぁ。寂しいねぇ。」
空に白い息を吐きながら、自嘲してしまう。クリスチャンでもないっていうのに、クリスマスイブなんて日に何でそんなにこだわる必要があるんだろう。
そんなことを考えていると、ふと隣に気配を感じた。怖いものの気配ではなく、ただシンパシーのような。そうっと見ると、一匹の猫。多分、野良だ。野良猫って、人間になんて懐かないよね。
「変な猫だね。」
猫は黙って同じ光を見ていた。多分、きっと、同じ心で。
「占い?」
「そう、すっごく当たるの!」
「ふ~ん。私はいいや。」
「え~、一緒に行こうよぉ。」
「あんまり興味ないかなぁ。」
「一緒に行こう?ね?いや、一緒に行って下さい、透子様。」
そんな梨佳のほぼ無理矢理な誘いで、「占いの館」とやらの雑居ビルにやってきた。
いろんな種類の占いの小さな店があって、それぞれの前に置かれた椅子には、店の中に入りきれない客が、どこも数人座って順番を待っているようだった。
「占いって言っても、いろんな種類があるんだねぇ。」
店の多さに驚いていると、
「透子、こっちこっち。」
梨佳が手招きをしている。
「ここだよ、ここ。」
「ここ?」
待っている客の人数が他より明らかに多い。
「これって、すごく待つんじゃないの?」
「だって、ほんっとに当たるんだよ!」
「はぁ。何をそんなに占って欲しいんだか。」
独り言のように呟くと、諦めて梨佳の隣に腰を下ろした。
店の看板を見上げる。
「『COLOR ENERGY』…カラーエナジー…色のエネルギー?」
「ここってさ、男の人と女の人二人で見てくれるんだけどさ、もー、その二人がめちゃくちゃ美しいの。」
「あんた、それ見にきたの?」
「違うって!ホント当たるんだから。透子も見て貰ったらわかるって!」
そうだなぁ。ここまで来てこんなに待って、何もせずに帰るのもなぁ。
そんなことをだらだら考えているうち、梨佳の番になった。
「あの、友達も一緒に入っていいですか?」
「どうぞ。」
私も一緒に店の中の仕切られたスペースに入る。そこは少し薄暗く、椅子とカウンターが置かれ、カウンターの向こう側に青い髪をした男の人が座っていた。中性的な顔立ちは、梨佳が言うように確かに「美しい」。周りを見渡すと、所々にパワーストーンのような石が飾られていて、テーブルの上には何十色という色のパネルが置かれていた。
「どちらの方から?」
青い髪の男の人が尋ねる。
「あっ、あたしからお願いします。」
梨佳が小さく手をあげた。
「何について知りたいですか?」
「あっ、あのぉ、恋愛運を。」
「わかりました。」
そう言うと、奥に向かって彼は声をかけた。
「サトル、色を。」
「はぁい。」
眠たそうな声で返事をしながら、女の人が出てきた。
「あっ!」と思ったが、気が付かないふりをして、彼らのやり取りを見ていた。
「えーとね、この子は、これだね。」
彼女は、トントンと色のパネルの1枚を叩き、また眠そうに奥に帰って行ってしまった。
「この色が見えたと言っています。」
「それはどういう意味なんですか?」
梨佳がワクワクしている。
「既に気になっている人がいらっしゃいますよね。その恋は若葉の頃に大きく動きます。それまでにその人を惹き付ける努力を。例えば…」
そんな話が3分くらい続いた。梨佳は、うんうんと一つ一つ頷きながら聞いていた。
恋愛成就のお守りにと、店の人がすすめたパワーストーンを買って、嬉しそうに私のところへ来ると、
「夏までには叶うかもしれないって!」
と報告してきた。
「お友達の方も占いをご希望でしょうか?」
青い髪の彼が尋ねる。
「あ、はい。お願いします。」
占いに興味があったわけではなく、さっき出てきた女の人に見覚えがあって、話してみたかったのだ。
「何について知りたいですか?」
聞かれて戸惑う。特に何も決めていない。
「あ…私の人生を総合的に…でもいいですか?」
ちょっと申し訳ない感じで答えると、彼はクスッと笑って、
「構いませんよ。見ますね。」
と答えた。
「サトル、色を。」
奥に向かって女の人を呼ぶ。女の人が出てきて、私の顔を見ると、
「あら、あなた。」
ちょっと驚いた顔をした。やっぱり、あの時の人だ。ピアスを買ったときに声をかけてきた、ピンクのメッシュの黒髪の女の人。あの時は被っていた帽子のせいで顔立ちまでよく見えなかったが、この人もやはり美しい。
「サトル?この方の色を。」
男性がサトルと呼ばれた女性を見上げると、彼女は不思議な笑みを浮かべながら、
「シエル、あの色よ。」
色のパネルではなく、壁のガラスの棚にあった透明な石の方を指差した。
「この人が?そうなの?」
シエルと呼ばれた男性が少し驚いた顔をした。
「あの、私がどうかしたんでしょうか?」
不安になって、シエルさんに尋ねる。
「あ…いえ、すみません。あまりない珍しい色だったものですから。」
彼は、さっきの冷静さを取り戻していた。が、言葉を選んでいるようにも見える。
「ええと…。うん。あなたの場合、読むのに少し時間がかかります。もし差し支えなければ、後日もう一度来て頂いても構いませんか?今日のお代は結構ですので。」
そう言って、サトルさんの方を見上げる。
「そうね、そうして頂けると助かるわ。」
彼女は、微笑みながらそう言った。
「シャワー浴びてくる。」
そう言って背中を見せる彼に笑いながら彼女は声をかける。
「あはは。いつもながら失礼ねぇ。私、そんな汚れてないわよ~。」
「君の気を抜いておかないと、僕の気が正確に働かないだけ。ごめんね、サトル。」
シエルはサトルに軽いキスをする。
「馬鹿ね。知ってるわ。」
サトルは微笑むと、そのまま、またベッドに沈み混んだ。
「仕事の時間になったら起こして。」
サトルに人の色を見る能力が生まれつきあるように、シエルには色を読む能力がある。けれども逆はない。サトルにはただ人の色が見えるだけで、その意味はわからない。シエルには色は見えない。
だから、彼らは二人で1セット。
出逢った時から互いにその運命を受け入れていた。否、受け入れるより仕方なくなった。
まだ子供だった頃は遊びに過ぎなかった「色当て」。愛を知り、互いに求めあい、初めて体を重ねて気付いた。そうすることで、互いの見たもの読めたものが繋がることに。何者かの何らかの意図によって、二人の運命が作り上げられているのだということに。
「嬉しくない!こんなの酷い!」
若かったサトルは、そんな運命を初めて受け入れられなくて泣いた。シエルにはかける言葉が見つからなかった。ただただサトルを抱きしめた。
「…死にたい。もう嫌。こんな能力要らない。」
震えながら泣きじゃくるサトルの壊れそうに細い肩を抱きしめながら、シエルは自分がどれほど彼女を愛しているか改めて実感した。
「死んでもいいよ。」
「え?」
驚いて、真っ赤に泣き腫らした目で、サトルはシエルを見上げた。
「サトルが死にたいなら、僕も一緒に。」
シエルの声は優しく穏やかで、
「ダメだよ!!嫌だ!シエルが死んじゃうのは嫌!」
サトルはまた泣きじゃくった。
一緒に泣いて泣いて泣いて、泣きつかれて一緒に眠った。
朝、サトルが目を覚ますと、シエルが優しく微笑んでいた。
「よかった。サトルが生きていてくれて。」
それから、二人は一緒に生きている。その運命を「幸せ」と受け止めて。
もう十何年も、こうして愛し合った後、喜びと共に、シエルが読んだ沢山の人の気が襲ってきて、サトルは暫く動けなくなる。
「今回は、かなりヘビーだった。」
まだ二日酔いのような頭痛が残っていて、こめかみを押さえながらシエルの運転する車に乗り込む。
「大丈夫?今日は休もうか?」
シエルはいつも優しい。普通に純粋に心のままに愛し合えたら、どれだけ喜びだけに満ち溢れていたのだろう。どれだけラクだったのだろう。彼も、私も。サトルは少しの間目を閉じた。
「大丈夫。行きましょう?」
「だけど、あの色が持つ意味、あなたが答えを戸惑った意味がよくわかった。」
シエルは黙っている。言葉を探しているように。夜が降りてきて、街は様々な色の光に彩られていく。
「綺麗ね。」
街の光が放つ、ただ無機質な色がサトルを癒す。
「あの子の色も綺麗だと思ったよ。僕はね。」
「そうね。綺麗だと思った。私も。」
「ただ…」
二人の声が重なった。シエルはサトルをチラッと見た。彼女は真っ直ぐ前を向いて言った。
「一旦闇に閉じ込められてしまえば全ての可能性を失う…そんな色…。」
「そうだね…。」
「『COLOR ENERGIE』行った?」
梨佳が私を見つけて聞きにくる。
「あ~、占いのとこ?行ってないねぇ。」
「えー、あんなこと言われて気にならないの?」
「いやいや、気になってるのは梨佳の方でしょ?」
梨佳に笑ってみせた。
でも、正直、気になってはいた。バイトとレポートが重なって行く暇がなかったから行けてなかっただけで。
「今日の放課後にでも行ってみようかな。」
「えー、私、バイト~!」
「あはは。また報告するよ。」
「絶対だよ~!」
梨佳は不満気に手を振ると、自分の講義室に移動して行った。
「色のエネルギー…か。」
「十人十色」とは言うけれど。人に色なんかあるのかしら?
この時の私にはまだ、それが何を意味するのか想像さえつかなかった。