首切りケニー
「兄ちゃん、本当に見たのぉ?」
「間違えねぇって!俺の目がいいのはお前もわかってんだろ。ガリガリに痩せちゃあいたがありゃオークだぜ。今日の晩飯を賭けてもいい」
「まぁそのオークを見つけないと晩飯どころか今後の飯も食えないかもしれないけど…」
「だーから注意して探せって言ってんだろ?あんな骨と皮だけのオーク捕まえるだけならなんてことはないっての」
軽い傾斜のついた山道を上下左右にキョロキョロと首を動かしながら進む二つの影。探す対象ははっきりとしているが目的地はこの山のどこかという曖昧さが背の低いー一方を兄と呼んでいた男ーはため息をついた。
(兄ちゃんもめちゃくちゃ言うよなぁ…今の時期はフロフト狩りに来てる奴がいるだろうからそいつらを攫おう。あの山は”奴ら”も目をつけてない山場だからがっぽり成果を上げられるぞ!…なんて言ってたけど、この山広いから効率悪いだけなんだよなぁ…)
ギレス大陸の西方に位置する大山【ニーグェド】動植物が数多く生息し豊かな実りをもたらすこの山は周辺の魔族にとって重要な生命線となっている。この二人の目的は山のもたらす恩恵ではない。ある意味では山がもたらしたものと言えるかもしれないが…
勇んで山に入ったが、すがすがしいほど目論見ははずれ、二人はただ時間を浪費することになった。朝方から入山し日が真上に来た時点でこれ以上は無駄でしかないと判断した弟は兄に下山を提案しようとした時だった
「いた!いたぞ!おいついてこい!獲物だ!」説明らしい説明もなしに走り出した兄から詳しい話を聞いたのは随分後のことだった。
「えぇっと確かこの近くに湖があったはずなんだが…あ?おい…おいおい!トレット、あれ見てみろ!」
「なんだよ兄ちゃん。あれってどれだよ…」
「ほらあそこ、バカそっちじゃねぇよ。もうちょい左だ。湖のある方角!」
「あれは…煙?」
「そうだよ、あのオーク腹減りすぎて何か焼いて食ってんだろうぜ。呑気な野郎だ。俺たちモレット・トレット兄弟に狙われてるとも知らずに飯食ってやがるとは」
「本当にいたんだ…」
「俺が今までお前に嘘ついたことあったか?行くぞ、気づかれんなよ」
今までつかれてきた数えきれない兄の嘘を脳内で思い浮かべながら二人は足音を殺し煙の方向へ向かった。湖に至るまでにも木の実などの食料はいくつもあった。弱り切ったオークがそんな状況でわざわざ湖まで行って、さらには火を起こして調理するだろうか。
そんな違和感を覚えつつトレットは兄の背中を追ったのだった。
ーーーーー
「マジかよ…残りの肉全部食っちゃったぞ…」
ラースの部下、天魔六武衆の一人のバーロンが俺の前に現れた。聞きたいことはいろいろあったのだがひどく飢えていたのでそこからはひたすらに肉を捌き焼きまくるクッキングタイムとなった。鉄板の上で肉がいい色に焼けてきたのと同時にバーロンは目覚めた。皿の上に焼けた肉を山盛りに乗せて手渡すと、バーロンは手づかみでガツガツと食らいつき、あっという間に平らげてしまった。
(おいマオ、どんどん焼け。こいつの食欲をなめるなよ。山喰らいの二つ名は飾りじゃないぞ。)
捌いて焼いて皿に乗せ、勢いの衰えないバーロンの食いっぷりにも驚いたがそれよりも驚いたことがある。食べ進めるにつれまるで枯れ枝のようだったバーロンの腕や足、身体がまるでポンプで空気を注いだ風船のようにムクムクと膨らんでいったのだ。
肉を全て焼き切るころにはやつれた顔の血色もかなり良くなり身体は二倍ほどの大きさになっていた。
「も、申し訳ない!一口食べたら歯止めをかけられず…なんとお詫びすればよいか…」
「いやいいって。俺だけじゃあ食いきれなかったから、それにバーロンさんの食いっぷり見てたら俺まで腹いっぱいになっちゃったしさ。」
「なんと寛大なお言葉…ん?あの、どうして私の名を?」
「え?あー、そのー、なんというか…」
ラースが教えてくれたから当たり前のように名前で呼んでしまったがそういえば自己紹介してなかったなぁ。どうしたもんか…
(何を迷っとるんじゃお前は。儂に教えてもらったと言えば済むことじゃろうが)
「バカ!だから説明は段階を踏む必要があるって言っただろ。お前に会ったところから説明しないとただのイカレ野郎だろ!」
(何じゃとぉ!バーロンは幹部の中で最古参の男じゃぞ!こいつなら儂の名前を出すだけで一瞬で事態を理解するわい!)
「ほー?言ったなお前。じゃあいいよ試してみようじゃん!これでバーロンが理解出来なかったら謝れよ?」
(大口叩きおって。お前が儂らの絆に感嘆し腰を抜かしてまき散らす姿が容易に想像できるわ!)
「まき散らす訳ないだろ!」
「あ、あのぉ…先ほどからどなたと会話しておられるのです。」
バーロンから見れば俺は虚空に向かってキレ散らかしてるお気の毒な人に映っているいるだろう。普段なら恥ずかしくなって弁明しているところだが今の俺には突き止めなければならないことがある。
「バーロンさん、俺があなたの名前を知っている理由なんだけど…」
「はい、どのような?」
「実は俺、あなたの名前をラースに教えてもらったんです。」
「……!」
ラースの名前を出した瞬間、バーロンは目を見開いた。どっちだ?どっちなんだこの反応は?
「なるほど…理解…理解致しました…」
「えええええええ?!」
(だーっはっはっはっは!見たかぁ!これが儂らの絆よぉ!)
「我が王の無理な要求に応えてくださったですね…なんとお優しいお方だ…是非、お名前をお教えいただきたい!」
(え?)
バーロンの理解力は軽々と俺たちの予想を飛び越えていった。
ーーーーー
「見ろよトレット。いたぞ!…てあれ?」
「兄ちゃん、あのオーク全然痩せてないよ?むしろムッキムキなんだけど。それにもう一人いるよ。火はあいつが熾したのかな?」
兄と草陰に身をひそめながら前方にいる二人を観察した。目標だと思わしきオークと青肌黒髪のこれと言って目立った特徴のない魔族、強いて言うなら端正な顔立ちをしているといったところだろうか。
「あのオーク相当強そうだよ?青肌の方も見た目は普通だけど油断しない方が…」
「おいおいあきらめろってか?それだけはだめだ!むしろ好都合だぜ、痩せっぽちのオークよりあんだけ肥えてた方が価値が上がるってもんだ」
「簡単に終わってくれないなぁ…」
「安心しろって。奴らこっちに気づいてねぇ。不意打ちで一気に決めるぞ。」
ここまで来たらやるしかない。もう僕たちには後がないんだ。無言で頷きあい、兄がオーク、僕が青肌に狙いを定めた時青肌がこちらに向かって右手の掌を向けていた。
ーーーーー
魂の空間で出会ったこと、ラースの力で転生したことなどギレスに転生するまでの経緯をバーロンは気持ちがいいほど素早く理解してくれた。
(おいマオ、儂らの敗走からどのくらい経ったか聞いてみてくれ)
(あぁ、そういえばラースは直接話せないのか?)
(残念ながらな。もし出来ていれば最初からやっておるわ。)
「それもそうか、バーロンさん。魔神族に敗けてからどれくらい経ったの?」
「はぁ、2年と少しでしょうか。何せラース様に撤退を命じられ部下をかばい追っ手を気にしての日々でしたから正確な日数は…」
(2年か…あの空間とこっちでは随分と時間の流れが違うな。2年…苦労をさせてしまったな。)
ラースの声がどこか悲しそうだ。出会った時のバーロンの状態からして決して楽な日々ではなかったのだろう。
「じゃあガリガリに痩せてたのは…」
「大変お恥ずかしい姿を…魔神族の残党達がラース様の敗北を喧伝して回ったのです。そのことで押さえつけていた野盗や奴隷商などの動きが活発になったのです。」
「戦わなかったのか?バーロンさんってかなり強そうだし。」
「最初はもちろん抵抗はしました。ですが奴らは昼夜関係なく襲ってきまして。私も体力が無限なわけではありません。軍で戦うならともかく単独では限界がありました。実は追跡を振り切ったのも最近のことなのです。」
(バーロン…おいマオ!安心しろと伝えてやってくれ。儂とお前が来たんじゃ。もう何の心配もいらんわい)
「えぇ…、バーロン。頼りないかもしれないけど俺も転生するときにラースから固有魔術群っていうのを預かってきてるからさ。少しは安心してもらってもいい…かな?」
我ながらなんとも頼りなく支離滅裂な発言である。
「なんと!固有魔術群まで!では【黒葬】や【白崩】もお持ちということですね!なんと心強い!」
「あぁいや、実は今は赫錬しか使えないんだよ。魔力が足りないとかでさ、だからフロフトを狩ってたんだよ。」
「なるほど、それでマオ殿。決して疑うわけではないのですが赫錬を見せていただけませんか?」
「いいよ、何を創ろうかな…」
(フロフトを仕留めたあれでいいんじゃないか?)
「それだ!」
辺りを見渡して手近な木に狙いを定める。飛刃、鉄板、皿やら箸と赫錬で色々創ったことで刃を創り出す時間が少し短縮されている…ような気がする。最初は目をつぶっていたから見ていなかったが赫錬で創造すると赤い粒子が一点に集まっていき、形を変えていく。
「おぉ、まさしく!」とバーロンが喜んでいるのを横目で見ながら刃を発射した。ビュオオーと高い音をたてながら飛んでいき、刃がカーンと小気味良い音をたてて木の幹にめり込むと同時に
「「うわあああーー!」」
汚い叫びをあげながら二人の男が草むらから飛び出してきた。それぞれ顔の半分を隠す仮面を被った奇妙な二人組である。
「な、なんだこいつら?!」
「分かって撃ったのではないのですか?先ほどからこちらに襲い掛かろうとしていたではないですか」
「全然わかんなかった…てかバーロンさん分かってたのになんで言わなかったんだよ!」
「そのようなかしこまった呼び方はおやめください。バーロンで結構ですよ。警戒するほどの相手とも思えませんでしたので無視しておりました。」
「おぉ…強者の余裕って奴か。おーいあんた達大丈夫か?いや襲い掛かろうとしてた奴らに大丈夫かはおかしいか?」
バーロンも立ち上がり、俺達は揃って謎の二人組に近づく。そのことに気づくと左側の顔の下半分を隠す面を被った男が手に持っていた大振りなナイフをこっちに向けてきた。今まで刃物を向けられる体験なんてなかったから最初は驚いたがその手がガタガタと震えているせいで思わず力が抜けてしまう。
「ままままさか魔術を使えるとはな…へ、へへへ…お、お前もいい値段がつきそうだぜ!」
「兄ちゃん謝ろうよ!真正面から戦って勝てるわけないよ!」
もう一人の顔の上半分を覆う仮面をつけた方、発言からして弟が兄の袖を引っ張っている。うーん、どうしたものか…
「おい貴様、今何と言った?」
「ふぇ…?」
「バ、バーロン?どしたの?」
突如バーロンが地獄の底から響いてくるような声を発した。目付きも俺と話していたときとは違い、かなり鋭い。バーロンに睨まれた二人はその場に釘付けになった。兄の方などナイフを落として腰を抜かしてしまった。
「あ、あの…俺達は…」
「私も私の主人も無益な争いは好まん。先ほどの発言について謝罪してもらおう。それとその計画は貴様ら自身のものか?それとも指示されたことか」
「………」
「ちょい待ってバーロン!完全に怯えちゃってるって!なぁあんた達どうなんだよ?」
俺が話しかけると弟の方が震えながら口を開いた。兄の方はズボンの股間部分に滲みを作っていた。
「お、おお、俺達は…命令でき、来ました…でも!あなた達を狙った計画じゃありません。ただ偶然見かけたもので…」
「あんたらもしかして人攫い?しかも組織があるってこと?思いのほかめんどくさそうだなぁ」
「貴様らの首領の名は?」
「え?聞く必要ある?もうこの人たちほっといて移動した方が良くないか?」
「マオ殿、そうはいきません。この者達は奴隷商の一味かもしれないのですよ。奴隷はラース様が最も嫌っていたものの一つです。殲滅しなくては。」
(フフフ、律儀な奴よ)
殲滅って…俺達二人しかいないんですけど…だが瘦せ細っていた時からは想像できないほどメラメラとしたオーラを漂わせるバーロンを見るともしかするととは思ってしまう。
「ど、奴隷商じゃねぇ、いやないです。」
今度は兄の方が話し始めた。相変わらず腰を抜かしてはいるが話せるくらいには落ち着いたようだ。
「奴隷商ではない?ではなんだ?」
「ひっ!なんと言ったらいいのか…えーと…」
「あの…やばいお人なんです。恐らくあなた方が思っている何倍も…」
「構わん。言え」
ここまでくると俺も気になってしまう。俺達を攫おうとしておいて奴隷商ではなく、それでいて想像の何倍もヤバい奴…一体どんな存在なんだ?
「ケニー…首切りケニーです。」