異世界の最初は焼肉で
俺が最初に感じたのは土の匂いだった。
「うぅ…ここは…森?いや、山か?」
瞼を開いて俺が最初に見たのは生い茂った葉とそこからこぼれる柔らかい日光だった。どうやら俺は仰向けに寝そべっているようだ。立ち上がって辺りを見回してみたがあるのは樹と植物ばかりで他に目立ったものは何もない。
「ここどこだ?あれ…?俺何してたんだっけ?確か誰かと話して頼まれ事されたような…」
重大なことを忘れている気がする。うぅん、すっきりしないな。喉の奥に小骨が引っかかっているような…頭の中に靄がかかっているような気がしたので少し体を動かそうとした時、違和感に気付いた。
「何か俺の肌…青くね?それに腕とか足、やたらと筋肉質だし。この服なんだ?麻かな?」
(いつまで呆けておる)
「何かやたらと身体も軽いな、漲ってるってこういう感じなのか?」
(おい、無視するな!聞こえとるだろ!)
「聞こえてる…ん?俺、誰と話して…」
(儂じゃ!ラースじゃ!忘れたなど言わせんぞマオ!)
「……あ!」
ーーーーー
まるで濁流のように【あの空間】での会話を思い出した俺だったが、ギレスに転生して早速疑問が生まれた。
「おいラース、なんで俺お前普通に会話出来てんだ?あそこから出られないんじゃなかったのか?頭の中にお前の声が響いてきた非常に気持ち悪いんだが。」
(気持ち悪いとは何事か!お主この世界の地理や情報に関して全くの無知だろう。そのためにな、お前のその身体を造るときに一緒に儂の魂の複製体を憑依させた。まぁ簡単に言えば道案内やら情報提供をする便利な守護霊ぐらいに思っておけ)
「マジですごいなお前、なんで魔神に負けたんだよ…後さ、俺の身体は元の身体と極力近いものって言ったよな?これ明らかに身長高いし筋肉もバッキバキなんだけど」
(おう、そうしようと思っていたんだがあまりにも貧弱な見た目をしておったからなぁ。細木の枝かと思ったぞ。なので多少屈強にしてみたのよ。安心せい顔も男前に仕上げておるぞ!)
悪かったなインドアのもやしボディで…ラースとの念話?をしながらぶらぶら歩いていると突然木ががなくなり、光量を増した日光に目を細めた。そこには周りを傾斜の緩い斜面に囲まれた小さな湖があった。
キラキラと輝く湖を見ていると無性に喉が渇いてきた。近づいて屈むと湖面に俺の顔が反射する。
(どうじゃ、なかなかの出来じゃろ!)
「ちょっとイケメンすぎない?面影はあるけどさ、黒目の部分も金色だし…」
喜ぶべきなんだろうけど違和感が半端じゃない。俺には扱え切れない大業物だぞこれは。
(それとな、ちょっとした問題がある。お前に託した固有魔術群【ラース】についてなんだがな。)
「え?!おいおいなんだよまさか実は移植に失敗しましたなんて言うなよ?」
(移植は成功しておる。だがな今お前が使えるのは6つある固有魔術のうち一つだけだ。)
固有魔術群【ラース】俺に移植された魔王ラースが所有していた強力な魔術。一生を代償にして一つ習得できるかという魔術をラースは6つも持っていた。俺はその力で楽々旅を進められると思っていたのだが…
「はあぁ?!どういうことだよ!あんだけ自信満々に言ってたのに一つだけって!」
(落ち着け馬鹿者。その身体を造ったり魔術の移植をしたら思いのほか魔力の消費が多くてな、残ったのは一つ発現させるのがやっとの量だけだったんじゃ。)
「はぁ、じゃあ魔力を増やせば他のも使えるようになるってことか?」
(そうじゃ、お前の中に巨大な器があると思え。その器に魔力を注いでいけばその量に応じて解放されていくって寸法よ。)
マジか…俺異世界でも経験値集めしなきゃいけないのかよ。めんどくさいなぁ…
「じゃあラースさ、お前の身体を取り戻すことが最終目標としてまずやるべきなのは経験値集めだよな。どうやってやればいいんだ?」
(けいけん…ち?あぁ魔力供給の方法か、いくつかあるが今お前に出来る最も簡単なのは…食事じゃ!)
「え?そんなんでいいの?」
(おうよ!だが普通の獣ではいかんぞ。その身に魔力を宿した【魔獣】の肉を喰らうのよ!)
どこかの精肉店に行って100グラムいくらで売られてるものを買ってってわけにはいけないよなぁ。もうこの後のラースの発言は分かり切っている。でもそうすると…捌かなきゃだよなぁ…
(お!対岸の斜面を少し上がったところから魔獣の気配を感じるぞ!さぁ行くぞ!飯を食わねば魔王も死ぬからな!お前も腹が減っておろう!)
「そうだけど、あのぉ…俺さぁ…」
(心配無用!魔獣の捌き方なら儂が十分に心得ておる。しっかりと手ほどきしてやろうではないか!わーはっはっはっは!)
異世界に転生した方々は最初に何をするんだろう…獣の解体をしたことがある諸先輩方がいらっしゃるのなら是非ともその時の心境をお聞きしたいものだ。…いないかそんな人
ーーーーー
ラースの案内で湖の側面をなぞるようにして歩き対岸に向かい斜面を登った。3分ほど歩いたところで20メートルほど先に4足歩行の獣の姿が見えた。とっさに木の陰に身を隠す。
(マオ!お前運がいいな!ありゃフロフトだ、しかもよく肥えておる。うんまいぞお!)
「フロフト?なんだあれ、フォルムは牛っぽいけど…なんかのっぺりした顔してんな。あれが魔獣?」
(魔獣には等級がある。フロフトは一番低い第5等級で蓄積されとる魔力は多くないが味は間違いなく一級品よ!)
トロトロ歩きながら地面に生えた草や落ちている木の実をこれまた緩慢な動きで食べている。尻尾や角、全身灰色の体毛に包まれている。魔獣なんて仰々しいものには到底思えない。でもラースの言う通り腹は減っている。それに魔力も必要なんだ。すまんフロフト。
「とは言ってもどうやって仕留める?」
(ちょうどいい、魔術の練習台にもなってもらおう。マオ、今お前が唯一使える儂の固有魔術【赫錬】で奴を仕留めるぞ。)
「よし分かった!…で?」
(で?ってなんじゃい。さっさとやれ。スパッとな!)
「スパッとな!じゃないよ…どうやって使うんだその赫錬って。」
(あぁん?分からんか自身の身体に宿る魔術じゃぞ!)
もういちいち突っ込むのも疲れてきた。なんでこう感覚だけでかたろうとするんだこいつは…
「頼むよこっちは素人どころか魔術の事すら知らないんだから…」
(はぁ…ほれ、右手をあげて手のひらを奴に向けてみよ。そして頭の中で刃を思い浮かべるんじゃ。フロフトのところまで飛ぶ刃をな。)
言われるがままに構えてみるが飛ぶ刃ってなんだ?飛ぶ…飛ぶ…日本刀みたいな刀身って飛ぶイメージないなぁ。あるとしたら…西洋剣みたいな感じか。西洋剣…西洋剣…
目をつむってイメージしているとフロフトに向けた手のひらが急に熱くなってきた。驚いて目を開けると掲げた手のひらと垂直になるようにイメージした通りの両刃の西洋剣の刀身が浮遊していた。質感や金属の鈍い光沢までイメージした通りだ。
「すっげぇなにこれ!魔術ってこんな簡単に使えんの!」
(おいおいまだ終わっとらんぞ。あとはその刃をちょいと押す感じで腕を突き出してみろ。)
「押す感じ…こうか?うおおぉ?!」
創り出した刃はすさまじい勢いで発射され空気を切り裂きながら一直線に進みフロフトの側頭部に深々と突き刺さり、獣は何度かふらふらとその場で足踏みをした後崩れ落ちた。
(これが赫錬。想像したものを創り出す魔術よ。お前が頭で思い描けるものなら生物を除いてなんでも生み出せると思ってもらっていい。さっきやった通り飛来するといった特性を付与すること可能よ)
「ラース…お前すごい奴なんだな!ただの声のデカいおっさんじゃなかったんだな!」
(お前が転生しとる時点でその印象は払拭されるべきだろう…まぁいい、ほれフロフトを捌くぞ。新鮮な状態で喰ってやるのが狩った者の責任であり特権だ。)
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仕留めたフロフトを引きずって俺は再び湖のほとりにやってきた。どうやらこの身体の筋肉は見せかけじゃなかったようだ。2メートルくらいある巨体を簡単に運ぶことが出来た。
そこからはラースの指示に従って赫錬でナイフやら肉を乗せる器を造り、黙々と作業に勤しんだ。肉を食べやすい大きさに切り分けられた時にはもう日が暮れかけていた。
「やっと終わった…食べきれない分はどうすれば…あぁクーラーボックスでも創るか。中がずっと冷たいままで尚且つどれだけ入れても軽いとか。」
(よし、完了じゃな。実は儂オススメの喰い方があるんじゃが、知りたいか?)
「オススメ?生で喰うとかはやめてくれよ?」
(フフ…違う違う。オススメの喰い方、それはな……鉄板焼きじゃ!)
「溜めて言う程の事じゃねえだろ!多分誰でも一番最初に思いつくわ!」
(舐めた口を聞きおって、この肉の旨さを知ればその口も黙ろうて。さぁ鉄板を創れ!それと火の準備だ!)
「なぁこの魔術、戦いじゃなくて商売に使った方がいいんじゃね?」
ーーーーー
赫錬で創った鉄板の上でジュージューといい音をたてながら切り分けた肉が焼けていく。見知らぬ生き物の肉を見て大丈夫かと最初は訝しんでいたのだが…
「うっま!何の味付けもしてないのに塩辛さもあるし、焼肉のタレに似た味もする!柔らかいし脂もさっぱりしてるし…何だこれ旨すぎる!」
(はーっはっはっは!そうであろうが!そうであろうが!かつてこの肉のために血みどろの戦いが起きたほどだからな!)
それはさすがに血の気が多すぎる…でもこの肉が最高なのは事実だ。最初は大量に捌いた肉を消費出来るか不安だったが杞憂だった。一切れ食べてはまた一切れ鉄板に乗せ…俺はトングと箸を持った両手の動きを止めることなく、舌鼓を打った。
(それでマオよ、これからの旅の目標なんじゃがな。まず散らばった儂の軍の幹部達を捜してもらおうと思う。)
「幹部?あぁ確か天魔六武衆…だったっけ?こんなこと言うのは悪いけどそいつら生きてんの?」
(生きておる。そう簡単に死ぬような連中じゃない。儂らとの戦いで魔神族共も相当疲弊しておったから大した追撃もなかったろうしな。奴らが行きそうな場所にいくつか心当たりがある。そこを順々にあたっていきたいのだが)
「異論はないよ。これから戦わなきゃいけないことを考えると力は蓄えるだけ蓄えておきたいしな。移動手段は赫錬で自転車でも創るか…そうだ、転移できる魔術とかないのか?」
(あるぞ。だがありゃぁいちいち着地点を設定せにゃならんから面倒で…)
ガサ…
「なんだ?!」
背後の茂みからした音に俺は思わず飛びのいてしまう。話に集中していたこともあって全く近づかれていることに気付かなかった。よくよく考えればここは山の中だ。匂いにつられて獣が寄ってきてもおかしくない。
茂みに向かって赫錬で創った刃を向ける。俺はこれを飛刃と名付けた。そのまんまだが。
俺はてっきり牙をむき出しにした魔獣が涎をまき散らしながら突っ込んでくるかと思ったが、出てきたのはガリガリに瘦せ細ったボロボロの黒いマントを羽織った猪頭の大男だった。
「顔が猪…オークって奴か!おいあんた何か用…」
俺が声をかけようとした瞬間、オークは前のめりにばったりと倒れてしまった。身なりといい痩せてこけている身体といい只事ではなさそうだ。
「大丈夫か!何かあったのか!」
「うぅ…どうか…お願いします…肉の一切れ…いえ、血の一滴だけでもいいのです…私に…お恵みを…いただけないでしょうか…どうか…どうか…」
「腹が減ってんのか、血の一滴なんてせこい事言ってないでほら、こっち来て喰いなよ。」
「ありがとう…ございます…ありが…とう…」
かすれた声で礼を言いながらオークは気絶してしまった。
「おいあんた!どうしよう…こういう時っていきなり肉食わせない方がいいんだっけ?あれ、魔族は大丈夫なのか?ラースどうなんだ?」
(……)
「ラース?おいラース!」
(フフ…ハハハ…はーっはっはっはっはっは!)
「うわ!何急に笑ってんだよ!緊急事態だぞ。」
(マオよ!お前は本当に運がいい!やはり儂の目に狂いはなかった!フフフ、笑いが止まらんわ!)
「何訳分かんねぇ事言ってんだよ!話が一向に見えないぞ!」
(こいつじゃ!こいつなんじゃ!)
「何がだよ!」
(儂らが捜そうとしておった幹部、天魔六武衆が一人!【山喰らいの猪人】(ギガスオーク)のバーロンじゃ!痩せ細っておるが間違いない。捜すどころか向こうからやってくるとはな!)
「………マジで?」