9.謎の男に告白してしまった!
なんだ? 地震でも起こったのか?
いや――オイルランプの炎は穏やかだ。
揺れているのは、私。
「――……っ!!」
地面に膝を突き、しばし額を押さえる。
強い脱力と、めまい。集中力の低下。視界もややぼやけ、聴力も弱まっている。
低血糖の症状に近いな。シーラの体に無理をさせすぎただろうか。
この状態で立って歩くのは危険だ。私はそのまま、床に転がった。
床に耳をつける。とっとっとっ、と、急いで離れていく足音が聞こえる。
コルネリウスと従者だろう。二人は一体何に慌てているんだ?
それはそうと、視界が暗い……おぼろげな景色がぐにゃぐにゃとゆがんでいく。
悪い夢をみそうだ。
暗い、暗い、瓦礫の下の夢を。
折れた柱に挟まれて、どんどん冷たくなっていく両親。
しくしくと泣き出す私。泣いても、泣いても、親は目覚めてくれない。
どうしてなの。私はこんなに苦しいのに。こんなにさみしいのに。
こんなに困っているのに。一番困っているときに、どうして起きてくれないの。
ねえ……。
「……シーラ」
遠くでやわらかな声がする。
父さん? 起きてくれたの?
よかった!! ねえ、私、悪い夢をみたの。
父さんと母さんが――ううん、なんでもない。
思い出したくもない、夢。
「やっぱりか。君、魔法を使ったな」
魔法?
なんで父さんが魔法の話?
……そうか。
私、魔法を使えるようになったんだね?
だから父さんも母さんも死なないで済んだんだね!!
さわり、と前髪が風にゆれる。
外のにおいがする。
瓦礫は消えたんだね。私の魔法が、ぜーんぶどっかにやっちゃったんだ。
「魔法を使うときは、全部僕のせいにしろと言ったはずだ。……聞こえてないか。とりあえず、そんなとこで寝てちゃ疲労が取れないな」
ふわ、と私の体が浮く。
これも魔法?
……違うか。
父さんが、抱き上げてくれたんだ。
私はよく、帰るのが遅い父さんを居間のソファで待っていた。
テレビと本で夜更かしするんだ、って心に決めて。
それでも結局、寝落ちしてしまって。
深夜に帰ってきた父さんは、『しょうがないなあ』って私を抱き上げてくれる。
あの瞬間が、私、とっても好きだったんだよ。
「とにかく、よく寝たらどうにかなる。本当は食事もしたほうがいいが……」
ぼそぼそ言う声と共に、私は布団の感触に包まれた。
すごいやわらかさ。どこまでも沈んでいきそう。
寝ちゃう。
ああ、でも、待って。
おやすみのキスまでは、起きていたい。
父さん。
「好き、だよ」
私が囁くと、父さんは苦笑する。
なんだ、起きてたのか。お前、もう結構重いんだぞ。
そんなことを言って、嬉しそうに笑って、私の頬にキスしてくれる。
きっと、今夜もそうだ。
私はどうにか意識をつなぎ止め、父さんのキスを待つ。
あと少し。もう少し。
ああ、寝そう。
もう待てない。
とろん、と意識がとろけた、そのとき。
温かい手のひらが頬をなでる。
やさしい、やさしい指先。
そして、鼻先を、唇がかすめた――気がした。
■□■
「悪夢だ」
私はつぶやき、エッグスタンドのゆで卵をスプーンで殴りつけた。
朝だ。
庭に面した朝食室は光にあふれている。
そして、私は絶望している。
昨晩、私はコルネリウスを追い返した。
それはいい。それはいいが、そのあとうっかり気絶してしまったのだ。
おかげで窓からの侵入者を防げなかった。
夢かとも思ったが、朝に飛び起きて調べたところ、侵入の痕跡が残っていたから間違いない。
と、いうことは、あれも、それも、これも、全部、夢ではないということだ!!!!
「まさに悪夢だな。この王都に怪盗だと? しかも狙うのは名だたる貴族の家ばかり!」
長い食卓の端で、公爵がいまいましげにロースト肉の冷製にナイフを入れている。
この家では、夫婦が子どもと交流するのは主に食事の時だけらしい。
「ねえあなた。我が家は大丈夫なんですの? この大変なときに、使用人を解雇するだなんだって……」
公爵夫人は美しいが、どこか病的な線の細さがある。
彼女の問いに、公爵はチラッ、チラッと私を見た。
「それは、まあ、その……」
私は今それどころじゃないんだが、まあ、把握した。
この家で一番の権力者は、私だ。
ならば話は簡単。
私は昨晩の記憶を脇へ必死で押しやり、優雅に半熟卵を食べながら答える。
「問題はありません。そもそも使用人は警備員ではないのだから、居ても居なくても大差は無い。次の使用人の手配をする間は、そのへんの見回りをしている連中に重点的に見回りを頼みましょう」
そこまで言って、傍らのヒルダを見る。
彼女は私から視線をもらったけで、にっこにこで輝き始めた。
「そのへんの見回りといえば、王都警察ですわね! それはもう、未来の王太子妃のためですもの。みな、喜んで励まれると思います!!」
そう、そのセリフが欲しかった。
私は優しく目を細める。
「ヒルダは今朝も勘のいい、いい子だね」
「死んでもいいッ!!」
ヒルダが本気で叫び、公爵夫婦がびくりとする。
私は一応たしなめた。
「五十年後にしなさい。そもそも、屋敷の警備くらい私が居ればどうとでもなる」
「いっそ殺して!!」
うーん、目がいってる。どうしたもんかな、これ。
私は盛り上がるヒルダを放置して、公爵に視線を投げる。
「……にしても、その怪盗とやら、昨晩は何を盗んだんです? 昨晩はこの近所にいたのですか?」
「盗んだものは公表されん。家の恥だからな。昨晩被害にあった屋敷は隣の街区だが、用心に越したことはない」
なるほど。
家の恥というからには、先祖代々のお宝を盗まれた可能性も高いな。
そして、隣の街区というのもそう遠くはないだろう。
なぜなら、宮殿の周りにある貴族の家というのは、大体密集しているものだからだ。
宮殿に通勤する利便性が主たる理由。国によっては、広大な宮殿に貴族を住まわせることすらある。
これらの情報を総合して考えると――。
怪盗とやらは、かなりの手練れ。
盗みの帰りに、この屋敷の窓から侵入することは可能だった。
さらに、第二王子のエトは、私に『ちょっとした盗み』を頼もうとしている……。
「シーラ、お前は自信があるようだが、結婚前の身だ。しばらく学校の寄宿舎に住むことも考えたほうがいいな」
公爵が言い、私はがばっと顔を上げた。
「寄宿舎ですか!!??」
「あらあら、イヤなの? ベッドがイヤなの? 壁紙? 鏡台? 床? 送れるものは全部送るわ」
「ルームメイトはいつも通りヒルダだ。たまに寄宿舎に泊まることはあるだろう。別荘気分で楽しいかもしれんぞ?」
一気に心配顔になる公爵夫婦。
いかん、冷静になれ、私。
「ああ、はい、そうですね。そこが不満なわけではないですが、使用人の面接もありますし……」
私は静かに動揺しながら、透明な溶かしバターの海に沈んだもちもちクレープをせっせと切り分ける。口に含むとぱっとバターの甘い香りが立ち、次にしっかりとした小麦のにおいが鼻に抜けて、大変美味しい……はずだ。今はあんまり味がしない。
寄宿舎なんか入ったら、あの男と接触する機会がさらに増えるじゃないか。
あの男…………エト。
状況からして、貴族の家を荒らしている怪盗とやらは、エトの可能性が高い。
昨晩の侵入者の声も、今考えるとエトのものだった気がする。
とすると、あれもそれも、エトが相手だったわけだ。
好き、の告白とか。
……キスとか。
「……………………っ!!」
「シーラさま、どうなさいましたの!? まさか、クレープに毒が!?」
ヒルダが騒いでいるのを遠くに聞きつつ、私はナイフとフォークを折れんばかりに握りしめる。
ええい、私らしくもない!! 寄宿舎だろうがなんだろうがどんとこい!!
今日登校したら、即、エトに真実を確かめてやる!!