7.第一王子に見つかってしまった!
「私?」
アニカが首をかしげる。
私はうなずく。
「そう、君の、したいこと」
「……………………」
アニカは目を伏せる。
絶望の中で、理不尽に奪われ続けて来たアニカ。
昔の私によく似たアニカ。
すべてが壊れたあと、君は何を望む?
かつて、私に同じことを聞いたひとがいた。
『君を助けてやろう。力をやる。力を手に入れたら、君は、何をしたい?』
私の願いは、単純。
『殺したい』
殺したい。
私の大事なものを壊した人間を、全部。
目の前にあったはずの、優しい未来、楽しいことを奪い去った人間、全部。
助けて、助けてと叫んでも、聞こえないふりで駆け去った人間、全部。
どろだらけ、血だらけの私を、見て見ぬふりをした人間を、全部。
今このとき、世界のどこかで、笑っている人間を、全部。
罪を背負った人間を、全部。
全部、全部、全部、殺す。
殺したい。この手で、殺したい。
全部殺せる、力が欲しい――!!
「ばかみたい」
「……?」
私は、はっとして我に返る。
見下ろすと、アニカはため息を吐いていた。
「なんで、殴られたら殴り返さなきゃいけないの。私は要らない」
アニカの返事はあっさりだ。
私はぽかんとしてしまった。
「なぜ? 君は、怒らないのか?」
私が聞くと、アニカは面倒くさそうに頭を掻く。
「私は、私が怒りたいときに怒る。それは、今じゃない」
……なんてこった。
私は言葉を失う。
アニカは淡々と続けた。
「とりあえず、今は寝たいです。あちこち痛いし。で、仕事できるようになったら、仕事がしたい。仕事をして、生きていきたい。私の望みは、それだけ。誰も殴りたくないし、殴らせたくない。そういうの、興味ないです」
「……そうか」
君は強いな、と言おうとして、やめた。
そういうことじゃないんだ。
強いとか、弱いとかじゃないんだ。
ただ単純に、この子は私とはまったく別の人間なんだ。この子は、はっきりと『復讐は要らない』と言える子。
だから、私みたいには、ならない。
「……わかった。君にも、きちんと紹介状を書こう。次の就職に困らないように、」
「シーラさま!! こんなところでしたか!」
私の声をさえぎって、見知らぬ男がとびこんできた。
「どうした? 君は……」
振り向いて相手を観察する。
とびこんできた男の態度は使用人のものだが、着ている服は質がいい。
これは――。
「まあ! コルネリウス殿下の従者が、どうしてこんなところへ?」
いいぞ、ヒルダ!
いい感じでフォローしてくれている。
私は内心ヒルダを誉め称えながら、コルネリウス殿下の従者とやらに向き直った。
顔立ちは整っているが、少々地味で表情の乏しい男だ。暗い茶色の髪をひとつにまとめた従者は、低い声で告げる。
「玄関ホールで呼んでもお屋敷の使用人がまったく出てきませんでしたので、わたしが探しにまいりました。シーラさま、お早く応接室へ。コルネリウス殿下のお越しです」
「こんな時間に? 私はまだ風呂にも入っていない」
問いながら、私は『コルネリウス殿下』の正体に思いをはせていた。
貴族の家にアポなしで訪れるのは、よほどの無礼者か、身内か、格上の人間だけだ。
シーラの家は公爵家。
公爵家よりも格上といえば、王家。
王家の人間、かつ、公爵家の身内といえば、シーラの婚約者の第一王子で間違いない。
私の問いに、従者はわずかに目をみはった。
「それは――」
「わたしが無理を言ったんだ。彼をいじめないでおくれ」
やわらかな声。
やわい毛で首筋をくすぐられたような気分になって、私はびくりとする。
使用人たちが息を呑み、ざっと左右に分かれる。
二列になった人々の間を、金色が歩いてきた。
金色――そう、髪も金色、服も白と金色、瞳は限りなく銀に近い灰色の男。
彼は、ばっ! と両手を広げ、歌い上げるように語る。
「愛しのシーラ! 今日も君は世界中の歓喜を吸い上げて咲いた大輪の花のようだ。君の声は音楽みたいに玄関ホールまで響いていたよ」
「それはそれは、お恥ずかしいところをさらしてしまいました。ご機嫌麗しゅう、殿下」
派手だなー!!
シーラと並んでも見劣りしないどころか、勝ってしまいそうなほど派手な男だ。
私が一礼すると、コルネリウスはにっこにこで私の前に立った。
「機嫌は最高にいいよ、婚約者殿。それにしても、なぜ使用人たちをみんな解雇してしまうんだい?」
「なぜ、とは? いかなる意味でしょう?」
私はコルネリウスを見上げながら問い返す。
これが、エトの兄か。
目元に面影があるような気はするが、雰囲気はまるで違う。
エトはかわいげの残る青年だったが、コルネリウスは見るからに魔性だ。
男にしては華奢だが女らしいというのでもなく、あらゆる顔のパーツが派手で美しい。
うつろなほど透明な目を細めて、コルネリウスは声のトーンを落とす。
「君は、とってもよくやっていたのに、という意味さ。――わたしは言ったよね? 君がわたしの妃としてふさわしいかどうか、いつだって見ている、と」
ぞわり、と、再び首筋に何かが走った。
何か。
……これは、怖気だ。
ヘビや虫に出会ったときに感じるような、生理的嫌悪感。
私はとっさに、とびきりの笑顔を作った。
「あら、まさか殿下、今までの我が家の状態に満足していらしたんですか? あんな単純な支配を、面白がって観察してらっしゃったとでも?」
「シーラ……」
コルネリウスの目がまんまるになる。
私はその目から、自分の視線を離さない。
一度視線を離したら、負けてしまうような気がしたから。
自信たっぷりに彼を見つめながら、自分の心臓の位置に両手の指先をのせる。
「私のことはいくらでも見てやってください、殿下。私を、私だけを見てください。私は看守なんかじゃない。たったひとりの『シーラ』であるために、私は使用人を解雇します」
「ふ、ふふふふ、シーラ!!」
コルネリウスは笑い出したかと思うと、いきなり私の腰を抱いた。
そのまま抱き上げて振り回され、私はわざとらしい悲鳴をあげる。
「きゃっ!? な、何を!?」
「シーラ、シーラ、シーラ!! 君は最高だ!! どうしたらそんなにわたしのことを理解できるんだ? そうだとも、わたしは君に、君の王国に飽きかけていた。同じことばっかり繰り返して、これ見よがしにわたしのほうをチラチラ見てくるのだから! だけど、君は気づいたんだね!?」
「殿下……」
私は、感極まった声にわずかなおびえを交ぜた。
そのほうが自然だと思ったのだ。
一目でわかる。
シーラより、この男のほうが上手だ、と。
コルネリウスの笑顔には少しも暗いところがない。少しも罪悪感がないのだ。
コルネリウスは、なんの悪気もなく悪を為せる人間。
そんな男が、この国の第一王子だとは!!
乙女ゲー、それでいいのか!?
「君は最高だ。きっと次のわたしからのテストにも合格して、立派な王太子妃になってくれるね?」
コルネリウスは蕩けるように笑い、私の耳元で囁く。
甘くて甘くて甘い、ひたすらに甘いだけの声。
私は鳥肌が立つのをぐっと堪えながら、囁き返す。
「私は、そのために生まれました」
コルネリウスは私の両腕をつかむと、真顔で顔をのぞきこんできた。
「君に会えてよかった、シーラ。我慢できない、君の部屋に行こう!」
えっ。部屋って。
夜に押しかけてくるだけで相当だが、婚前の女と喋るときは、婚約者といえど親の前か応接室が普通では!?
っていうか、そうか、こいつは普通じゃないのか。
いや、まあ、あれだな、その、あの、えーっと、上手くスルーする方法もないではないが、周囲が疑念を挟まないということは、多分この男、今までもあれでそれでこれでそれ、というわけなのか!?
「は、はい……!!」
うわあ、ついつい素直に答えちゃったじゃないか!
おいおいおい、乙女ゲー、それでいいのか!!??