5.屋敷が不穏なのに気づいてしまった!
ごとごとと馬車が揺れる。
公爵家の紋章入りの箱馬車。乗っているのは、私とヒルダだ。
転生初日の日が暮れて、私たちはシーラの屋敷に向かっていた。
魔法学園は全寮制だが、私が旧図書館に行っている間にヒルダが親に連絡をしたらしい。
『今日は色々と大変な日でしたもの、お屋敷に帰って公爵閣下ご夫妻に無事を報告するべきですわ。わたくし、連絡を済ませておきました! が! その……ひょっとして、出過ぎた真似、でした……?』
馬車に乗る前、ヒルダは妙に目をキラキラさせて聞いてきた。
私の答えはあっさりだ。
『いや、君がそうすべきだと言うなら、おそらくはそうなんだろう』
『えっ………………。その、お嫌でしたらご遠慮なくおっしゃってくださいませ。なんでしたら、きつーいお仕置きをしてくださってもいいんですのよ!?』
『なんだ、そんなにお仕置きされたいのか』
『まままままままさかっ!! はしたないッ!! そんなはしたないこと、たとえ事実であろうとも、わたくしの口からはとてもとてもとても!!』
ここで顔が真っ赤になったあたり、やっぱりヒルダはそういう子らしい。
正直言って、そういう子は嫌いじゃない。
しかもこれだけ素直だと、サービスしたくなってしまう。
私はうっすら切れるような笑いを浮かべ、ヒルダの顎をとらえた。
『ほう、面白いことを言うな。自分の欲望すら吐き出せないような口がなんの役に立つ? 要らないんじゃないのか?』
囁きながら、つうっ……っと親指で唇をなぞると、ヒルダは見事、失神したのだった――。
「……そういえばヒルダ、体はもう平気なのか? さっき失神しただろう」
思い出して、隣に座ったヒルダに聞く。
ヒルダはぴーんと背筋を伸ばし、目の中に星を飛ばした。
「はいっ!! 平気どころではありませんわ、まるきり生まれ変わったような心地です! 視界が鮮やかに冴え渡り、風の音も車輪の音も、何もかもが天上の音楽でしてよ!!」
「脳内麻薬が出っぱなしだな。楽しそうだが、ほどほどにしておけ、君に早死にされると困る。君は私のものなのだから」
「は、はひっ……!! 生きますけど、死んでもいいです!!」
一文の中ですでに矛盾してるぞ、ヒルダ。かわいいな。
彼女は「側仕え」というだけあって、幼いころにシーラの屋敷に預けられたらしい。
以来、シーラの友達、兼、侍女のような扱いなのだろう。それなりの貴族の末娘だというのに、ヒルダの親は、政略結婚よりシーラの腰巾着としての出世をヒルダに望んだのだ。
シーラがストレートに王太子妃になり、王妃になるのならいいが、シーラは悪役令嬢である。
悪役令嬢がストレートに断罪されてしまえば、ヒルダも罪に巻きこまれかねない……。
考えているうちに、馬車が止まった。
「着きましたわ! さ、どうぞ、シーラさま」
ヒルダに導かれ、御者が置いた踏み台を踏んで馬車から降りる。
さて、これがシーラの屋敷か。
うーーーーん……。
でかいホテルかな? というサイズの石造建築に、神殿風の円柱と、タマネギみたいな屋根の塔が山ほどくっついている。
なんというか、ゴテゴテだ、ゴテゴテ。
そのゴテゴテの前に、使用人がずらりと並んでいる。
「「「「「おかえりなさい、シーラさま!!」」」」」
「ただいま帰りました」
私が答えると、三十人ほどの使用人が、ざっ、と頭を下げる。
軍隊じみた統率だな。それに、なにか、こう……。
妙な気配がある、気がする。
これは、なんだ?
――くれぐれも、『シーラ』には気をつけることだ
エトの声が脳裏に響く。
イヤな予感がする。
「シーラさま」
使用人たちの列から出てきたのは、高慢そうなメイドだった。
メイドはそばかすの散った鼻をつん、と天に向け、唇を笑みにゆがめる。
「学園で大変な事故に遭われたと連絡を受けております。ご無事で何よりでした。お父様とお母様がお待ちです。お会いする前に、風呂と軽食のご用意がございます」
「ご苦労だった。では、さっそく風呂を使わせてもらおう」
答えつつ、私は使用人たちを観察している。
そばかすのメイドはそのまま突っ立って、動き出そうとしなかった。
「どうした?」
私が問うと、そばかすのメイドは目を細めた。
「『当番』のことですが、すべて抜かりなく。私がしっかりと皆を『教育』しております。今朝の『教育』はアニカでしたので列にはおりませんが、そういう事情ですので……ご安心くださいまし」
「――ああ、なるほど、そういうことか」
私はつぶやき、ちらとヒルダを見る。
彼女はあいまいな微笑みで沈黙を守っている。
なるほど、君も知っているのか。
これを。
シーラの、本性を。
ふ、と息を吐き、私はメイドを押しのけた。
「!? シーラさま!?」
焦るメイドを放って、私はどんどん屋敷の中へ入っていった。
ここに来るのは初めてだが、ライトノベルのファンタジー世界はなんとなくヨーロッパ風だ。ヨーロッパの建築様式なら大体頭に入っている。
こういう建物で、使用人に割り当てられるのは、屋根裏か地下。
私はすぐに使用人用の階段を見つけ出し、狭いらせん階段で地下へ向かった。
「アニカ、ここか?」
名を呼んで、湿っぽい扉を開け放つ。
そこはだだっ広い地下の大部屋で、粗末なベッドが十個も並んでいた。
ベッドとベッドを仕切るカーテンすらない、野戦病院みたいな空間。
隅っこのベッドで、白っぽいものがうごめく。
「あ……シーラ、さ、ま……」
「君が、アニカか」
隅っこのベッドの脇に立ち、私はアニカを見下ろした。
アニカは壊れた人形みたいな少女だ。
短い髪は白、瞳はピンク。やっと十歳をこえたくらいだろう。
げっそりと痩せた顔には、びっくりするほど表情がない。しかも、半分は包帯で覆われている。
骨の浮いた体からも、血の臭いがする。
うえーん、と。
心のどこかで、幼い私の泣き声がした。
幼い私。
空爆で両親を失い、自分ひとりで、どうにか自宅の残骸から這い出てきた私。
やっと外に出てきたのに、やっと地獄から抜け出したと思ったのに、そこにあったのはガラクタだった。大好きだった街は、もうそこになかった。あったのはがらくたの山。
あのときの私は、多分こんな顔をしていた。
うえーん、うえーん、と、心の中で泣きながら、顔は、どこまでも無表情で。
取り返しのつかないくらい、世界を呪っていた……。
「シーラさま!! なに、何か、な、なに、なにか、ご不満、が、ございましたか!? わ、わた、私は、シーラさまのおっしゃるとおりに、その子を『教育』させただけで……ひぃっ!?」
背後から、どたばたと足音が近づいてくる。
アニカを『教育』した、と言ってきたそばかすのメイドが、私を追って来たのだ。
私は、ふりむきざまに、彼女の腕を取った。