4.共犯者に誘われてしまった!
『旧図書館で』。
エトに差しこまれた紙片には、そう書いてあった。
「ここだな」
私は旧図書館の前に立ち、黒々とした建築を見上げる。
学園内にある森の外れに、ぽつんとたたずむ神殿のような建物。
結構な大きさだが、一度火事にあったのかもしれない。
ところどころが黒ずみ、灰の臭いもうっすらと漂っていた。
「当然ながら、正面玄関は鎖と鍵で閉鎖。ピッキングは可能だろうが、そもそも最近開いた形跡がない。……他を探すか」
若草を踏んで建物の周りを回っていくと、裏口がある。
こちらのドアノブには、錆がこすれた痕があった。
鍵の様子を確かめ、髪からヘアピンを抜く。ここから、解錠までにかかった時間は三十秒。
一度死んでも、腕は鈍っていないようだ。
きぃ、とかすかな音を立てて裏口が開く。
埃かぶった事務室を音もなく通り抜け、閲覧室へ。
それにしても……ずいぶんと立派な図書館だな!
天井は高くて立派な天井画が描かれているし、広い室内には、まだ本の詰まった書架が立ち並んでいる。高い位置にある窓から光が差しこみ、埃がきらめく――。
「鍵開けの魔法は使わないんだな。朝の大技で疲れたの?」
書架の奥から、聞き覚えのある声。
エトだ。
かなり距離がありそうなのに、私の気配を察したのだ!
「あれくらいなんでもない。魔法よりピンでの鍵開けのほうが得意なだけだ。なにせ私は、シーラではないからな」
どきどきする胸を抱えながら、私は閲覧室に入りこむ。
どこだ。エトはどこにいる?
大体の場所はわかるが、本が声を吸収するせいで、正確な位置がわかりづらい。
「へえ? もうシーラのふりはしないんだ。信用されてるなあ、僕」
笑うような、甘い声。
少しも油断していない声。
すてきだ。愛しい。ますます胸が高鳴る。
私は、声がうわずらないよう注意して言う。
「君の殺気だけは信用している。君は、美しい人殺しだ」
「美しい……ひとごろし? あははははは! へえええ、こんな地味な黒髪、黒目が好みなの? 僕、そんなこと言われたの初めてだ!」
笑いに無邪気さがまじる。
私は頬が熱くなるのを感じながら、淡々と告げた。
「君はいつだって、殺し、殺される可能性を考えている。そういう人間は見ればわかる。ここだってそうだ。君がこの場所を選んだのは、私から姿を隠す障害物が多いから。こうも本棚だらけでは、直線で間をつめられない。大ぶりな攻撃、やみくもな魔法攻撃なら可能だが、そんなものは避ける自信があるんだろう。……君の自信は、美しい」
「……すごい。すっごい褒めてくれるね、君。僕、なんだか嬉しくなってきちゃった。――嬉しいから、ひとつ教えてあげる」
エトの声のトーンが落ちる。
こつり、と靴音がした。
こつり。こつり。こつり。
エトが歩いている。歩きながら、語り続けている。
「魔法っていうのは、拳や剣での攻撃以上に視覚に縛られている。君が闇獅子に魔法を当てたときも、僕の背後で爆発を起こしたときも、君は魔法をかける場所を睨んだだろう? あれが大事なんだ」
「それくらいの情報なら、魔法の教科書から獲得済みだ。人間は直接見えるものにしか魔法をかけられない。実体がないもの、遠くのものをイメージするだけで魔法をかけるられるのは、大賢者レベルの熟練者のみであるという」
私が返すと、エトは残念そうな声を出した。
「なんだ、もう知ってたの。僕が教えてあげようと思ったのに、つまんなーい。でも、これを知ってるなら、僕がやってることの意味もわかるね?」
言葉が途絶えた直後、書架の間に人影が現れる。
――エト。
黒髪に黒曜石の瞳を隠した、第二王子。
朝方とはあまりに違う、気圧されるようなオーラ。
私は息を詰める。
エトはにっこり笑って、自分の胸に手を当てた。
「こうして僕が君の前に出てくるのは、捨て身だっていうこと」
「君。私に、殺されたいのか?」
問う声が、欲望でかすれる。
エトは目を細めたのだろう。
肉食獣の視線をこちらへ向けて、エトは囁く。
「君を、僕のものにしたい」
なんてことだ。なんて……なんて、こと。
心が芯まで震え上がる。
私はどうにか声をしぼり出す。
「私が、何者かも知らないのに?」
「僕が美しい人殺しなら、君も美しい人殺し。『テ』の生命魔法の使い手にして、おそらくは転生者。それくらいはわかるよ。たまにあるからね、魂が別世界から飛んでくること」
なんと、転生者だというのはバレているのか。
しかし、そんなに転生者が来る世界というのもどうなんだ?
湧き上がる驚きと疑問を押し隠し、私は続ける。
「君は変わっている。私なら、別世界の人間を欲しがろうとは思わないな。常識も倫理感もまったく別かもしれない」
エトはちょっと苦笑し、首をかしげた。
体格は大体青年なのに、動きやらなんやらが少年くさい。
かわいい。かわいい。
かわいいぞ!?
「それはそう。だけど君は、最初から僕を見ていなかった。僕をただの無能と思って、自分の手柄を全部僕に譲ろうとした。君は僕の敵じゃない。それだけで充分なんだよ、僕にとっては」
えっ…………………………。
あっ…………………………。
あああああーーーーー……、そういう?
そういう判断だったのか。
それは、すまなかった。私、ばっちり君を殺す使命を負っている。
あのときはまだ、忘れていただけで……なんか、ゴメン。
しかし、なんだな?
この言い方からして、めちゃくちゃ敵が多い境遇にいるな? エト。
ふむ。……ふむ。
こいつが、私以外に殺されるのは、困るな。
考えつつ、私は答える。
「だが、私は悪党だぞ。金のためだけに動く」
「嘘だ」
「何?」
顔を上げると、ばちっと目が合った。
強い力で、ぎゅうっと視線を引きずりこまれて、動けない。
エトは言う。
「転生前がどうだったかは知らない。だけど、石像からリサを助けたときの君は、完全に自分の本能に従っていた。君の魂がやりたいことをやっていた。そういうのは見ればわかる。君は、君の本能は、君の魂は、リサを、出会ったばかりの別世界の他人を、助けたかったんだ。……そういう相手なら、交渉の余地がある」
………………ばかな。
ばかだ。そう、ばか。ばかばかしい。
ばかばかしい、そんなわけがない。
目の奥が熱い。反射的に感動しかけている。
こんなのは、お決まりのセリフだ。
私は、殺し屋。殺すだけの女。
私は低い声で言う。
「案外楽天的なんだな、君」
エトは制服のズボンのポケットに手を突っこみ、気楽に微笑む。
「君が転生者だってこと、『テ』の最強魔法を使うことは、みんなに黙っていてあげる。むしろ、今後も全部僕のせいにしていい。その代わり、君は僕を手伝うんだ」
ふむ。あり得ない取引ではないな。
殺しのタイミングをみるためにも、この世界に慣れるためにも、エトと協力関係になるのはありかもしれない。
「手伝って何をする?」
「ちょっとした盗み。何を盗むかは、まだ教えてあげない。……今日は君も疲れてるだろ? 少し時間をあげるから、考えてみてほしい。言っておくけど、僕は役に立つよ?」
解答を急かさないあたりも、妙に信用したくなる男だ。
逆に、すぐに『はい』と言いたくなる。
はやる気持ちを抑え、私は言う。
「どうだかな。私は単独での潜入任務に慣れている」
「それは頼もしいね。だけど、一筋縄ではいかないかもしれないよ。くれぐれも、『シーラ』には気をつけることだ」
エトは言い、薄い唇に人差し指をあてた。