2.最強魔法を打ってしまった!
危ない!!
そう叫ぶ暇もなかった。
石像はスローモーションみたいにリサの上に倒れてくる。
あんなものがぶち当たったら、人間なんかひとたまりもない!!
リサがゆっくりと上を見る。
見開かれる瞳。
「リサ!!」
リサのところまで、あと十歩、三歩、一歩――間に合った!!
叫ぶと同時に、私はリサを両手に抱いた。
そのまま、勢いよく地面に転がる。
私とリサは何度かバウンドし、門外に出た。
大丈夫、これで逃げられた、はず。
「!?」
私はリサを抱いたまま、顔を上げる。
殺気が、消えない!!
「まさか、これ、魔法です……!?」
リサが震えて叫ぶ。
視線の先で、石像は――宙に、浮いている!!
たてがみがヘビになった獅子像が、横倒しになったまま浮いている。
浮いたまま、ゆっくり、ゆっくりとこちらへ頭を向ける。
胸が悪くなるほどの殺気……!!
「なるほど……魔法か。ならば、下手に逃げ回るより魔法で対抗するのがいいだろう。君、魔法は使えるな?」
私はとっさに囁いた。
リサはうろたえつつもうなずく。
「は、はいです! 少しなら、ですが!」
「よし。ならば私と共に、あれを魔法で跳ね返すぞ」
力強く言うと、リサはぎゅっと唇を噛みしめて石像を見た。
さすがは主人公だ、肝が据わっている。
平民ながらも魔法学園に来るくらいだ、才能もあるのだろう。
むしろ問題は私だ。
当然ながら、転生前の魔法経験はゼロ。
悪役令嬢は成績がいいものだと信じて、リサの真似をするしかない!!
と、そのとき。
『ギョオオオオオオオオオアアア!!』
「っ……!!」
地の底から湧き上がるかのような声!
私の腕の中で、リサが震え上がる。
石像が、鳴いた……?
気のせいじゃない。それどころか、表面がぬるぬるとした黒い鱗に覆われ始めている。
ぶるり、と身震いしたかと思うと、石像――いや、漆黒の獅子が、目の前に降り立った!
「な、なんですか、この魔力!! こんな……こんな魔法知らない、あんまりにもまがまがしくて強大……わ、わたし、私の力なんかじゃ!!」
リサが息も絶え絶えに叫ぶ。
次の瞬間、獅子からにゅるるるるるるる、と無数の触手が伸びた!
「き、きゃあああああ!!」
殺到する触手。
悲鳴を上げるリサ。
私はリサの襟をつかみ、自分の背後にぶん投げた。
「そこにいろ!!」
叫ぶと同時に、私は自分の制服からピンを抜き取る。
さすがは古風な衣装だ。思った通り、鋭利で長いピンで何カ所も留められている。
一本、二本、三本!!
襲い来る触手を避け、次々にピンで地面に縫い止めていく。
四本目の頭をわしづかみ、スカートを翻し、五本、六本目をヒールブーツで踏みにじる。
靴底に伝わる、骨の砕けるかすかな手応え。
覚えがあるぞ。こいつら、ヘビだ。
石像のたてがみに生えていたヘビが、自在に伸びて私たちを襲っている。
十匹ほど始末すると、ヘビの攻撃は不意に止んだ。
だが、まだ殺気は収まらない。
「本体が来るぞ、リサ!! 魔法で迎え撃つ! 構えろ!!」
「は、は、ははは、はい、です……!!」
涙目でリサが叫び、ブレスレットを顔の前に出して目を閉じる。
なるほど、あれがマジックアイテムか。
納得した直後、漆黒の獅子が跳躍する!!
私たちに向かって!!
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
悲鳴のような声。ぱっくりと空いた口には、なんと三重に牙が生えている。
私はヘビを放り投げ、自分のブレスレットに触れた。
どうにかして、リサを助けたかった。
彼女はこの世界の主人公だ。
主人公なくして、悪役令嬢の活躍なし。
私みたいな悪党に体を明け渡したシーラのためにも、守ってみせる……!!
強く願うと、ブレスレットがじんわりと熱くなる。
そして――。
『アッ』
変な声がした。
「ん?」
「……え、ええ……?」
私は目を細め、何度か瞬く。
背後をちらっと見ると、リサは派手に引きつっていた。
うーん、そうか、リサも意外か。
うーん。う……うううううーーーーーーーん。
これは………………なんだ???
「シーラさまぁ!! シーラさま、ご無事ですの!? わたくし、もはやシーラさまなしではひとときも生きていられませんの、責任を取って頂きませんと!!」
やっとヒルダが追いついてくる。
私はしばし目の前の『これ』を見つめてから、淡々と言う。
「無事だ。目下、問題はない。……石像が毛玉になったこと以外は」
「毛玉!? きゃっ、本当ですわ、獅子の赤ちゃん! かわいいですわねー、どなたかのペットかしら! さすがに魔法学園にペットを持ちこむのはどうかと思いますが、ええっと、あれ? さっき、門の石像がどうかなったんじゃなかったですの?」
ヒルダは毛玉を拾いあげて首をひねる。
彼女が抱いているのは、確かに獅子の子どもだ。
つまり、石像が、私たちの魔法で獅子の子どもになった。
え……ええ…………?
すごいな、魔法。ほとんど神の力では!?
私は思わず感嘆の声をあげた。
「リサ! 君の魔法の才能はすさまじいな。石像を本物の獣にし、ついでに若返らせるとは。もはや生命の禁忌に触れるような技じゃないか。このシーラ・ヴィンテルヴェルトでもたやすくできることではないぞ。……おそらく、な」
「違います。これ、絶対リサじゃありません」
「ん?」
見ると、リサはこの上なく深刻な顔だ。
「絶対絶対絶対、リサにこんな力はないです!! 唯一神『テ』の神使ででもないかぎり、古の虚無魔法を簡単に打ち砕いちゃうとか、そんな化け物級の力は持っていないはずです。持ってちゃ、いけないんです!!」
ほう、これは異常事態か。
リサのせいではないとすると、異常事態の原因は……。
…………………………。
………………私か?
私の魔法が、化け物級だったということか!?
そんなことってあるか? いくら悪役令嬢とはいえ、これはチートってやつでは?
自問自答しているうちに、リサがすごい目で見つめてきた。
「……あの。これをやったの、あなた、ですよね。あなた……一体、何、です?」
誰、ですらない。モノ扱い。
黙っていると、リサはおびえた顔になる。
「いや、むしろ、あなたさま……? というよりは、神……? 神さまなんです……?」
モノすら超えた。神扱い。
「何を言う、私はただの悪役令嬢……」
私は一応反論を試みる。
が、リサはぶんぶんと首を横に振った。
「まさか!! こんな聖なる力を持った方が『悪』なはずないです!! どうしよう、えーと、えーと、お師匠さまに知らせないとです、ああああ、でももうこの学校に入学したんだから、えーと、えーと、えーと、すだ、学園長に知らせないとです!! とにかくとにかく知らせないと!!」
……まずい。
まずいぞ、これはまずい。
ゲームに疎くてもわかる。
主人公が入学する段階でこんなイベントが起こる乙女ゲーはない!!
悪役令嬢のくせに、こんなところで主人公より目立ってどうする!!
私は必死に周囲を見渡し、目に入った人物を指さして叫んだ。
「落ち着くんだ、リサ。今の魔法は、彼の必殺技だ!!」
「えっ!?」
愕然として振り返るリサ。
視線の先にいたのは、めちゃくちゃ地味な男子生徒だ。
リサと同時に校門を目指していた彼は、終始隅っこで縮こまって震えていた。
ひとまず、全部こいつのせいにできないだろうか。
リサは彼を見て叫ぶ。
「必殺技!? 魔法に必殺技なんてものがあるんです!?」
驚くところ、そこか!?
続いて、ヒルダも叫んだ。
「まあ……! そうだったんですのね、エトさま! さすがはリムランデルン王国の第二王子、きっと素晴らしいお力を隠しておられるのだろうと、わたくしたち、いつも噂していたんですのよ!!」
第二王子!?
まさか、こんな地味な奴が第二王子……!?
異常なほどオーラがないというか、存在感がないというか、ほぼ無だぞ、存在が。
体格は悪いわけではないんだが、前髪が長すぎて目元も見えないし。
私がまじまじ見ると、エトはしゃがみこんだまま頭に鞄を載せて顔を隠した。
「そんなこと、できるわけない……、僕、その、ほんとに、虫けらだから……」
また虫けらか!!
ヒルダに続いて、どうしてここにはこんな虫けら志望が多いんだ!!
「彼に魔法の気配はありません。やっぱり赤毛のお姉さまがやったとしか……」
リサは難しい顔でエトと私を見比べている。
私はとっさに両手を組み合わせると、転生前の演技力で、ぶわっと涙を放出した。
「エトさまのお力は、強すぎて我々には感じ取れないのだ!! ひょっとしたら、エトさま自身も今までお気づきにならなかったのかもしれない。だが、私は見たぞ。魔法をふるわれたその瞬間、エトさまが唯一神『テ』そのものと化して光り輝くのを!! エトさまは覚醒された……世界に光を与えるために、生まれ変わられたのだ……!!」
大仰なセリフ。涙で光る瞳。弱々しい震え。
ゴージャス美人の悪役令嬢がこれをやればド迫力だ。
人間は案外押しに弱い!!
特に、こういう地味な男は押すに限る!!
果たして、数秒後。
「………………ふ」
お、これは?
「う……うふふふふふふふふふふふふふふふ」
ふむ。こうきたか。
エトは華麗に鞄を放り出し、すっくと立ち上がった。
「ふ、はははははは!! なるほどーーー、そういうことか! ついに僕、真の力に目覚めちゃった、ってやつだ。いやぁ、思ってたんだよね~、僕はこのままじゃ終わらない、って。いつかこういう日も来るぞーって。毎晩妄想練習しといてよかったなぁ!!」
ラッキー。
こいつ、バカだ。