13.君は、全部僕のせいにして
「…………!!」
僕は息を呑む。
貴族たちも、息を呑む。
寝台の上にコルネリウスがいる。
コルネリウスは血まみれだった。
真っ白な寝間着を、大量の鮮血に濡らしていた。
どう見たって、人間ひとり死ぬくらいの血が出ていた。
なのに、コルネリウスは寝台から飛び降りて、明るく笑って両手を広げた。
「ごらん!! 奇跡だよ。奇跡が起こったんだ!!」
なんて張りのある声だろう!
こんな兄の声、一度も聞いたことがない。
こんな、こんな……。
「見て、わたしは美しいだろう? ああ、不思議だ。こんなにも心が晴れ晴れとしている。ほとんど生まれて初めてくらいに。わたしは、神の手によって『リリン』の国から戻ってきた。この国の王に……この大陸の王になるよう、神に選ばれたんだ!!」
こんなに晴れやかに笑って、こんなにはつらつと動く、兄。
こんなに明るくて――――空っぽの目をした兄を、僕は知らない。
「コルネリウス兄上」
僕は、貴族を掻き分けて前に出た。
兄のきらめくだけの瞳に僕が映った。
「お前――」
兄はしばし僕を見つめて、ぱあっと大輪の花が咲くみたいに笑った。
「エトアルト!! エトアルト、わたしはお前の愛を、忠誠を覚えているよ。見ておくれ、わたしは美しいだろう? これからはわたしの時代だ。きっとお前をしあわせにする。共に行こう、エトアルト。今こそ、お前の本当の忠誠を見せてくれ!!」
そのとき僕は確信した。
これは、兄じゃない。
この、まがまがしい美しさをまとった男は、コルネリウスじゃない。
コルネリウスは、僕のことを、かすれぎみの優しい声で『エト』と呼んだ。
コルネリウスは、さみしくて、悲しくて、弱くて、暗い目をしていた。
そんな兄を、僕は愛していた。
僕の愛していた兄は、死んだんだ。
そして、魔物が、帰ってきた。
兄の姿を取って――。
「何を黙ってる!! 第一王子の快癒に、『テ』の奇跡に、言うことはないのか!!」
母の叫びが耳を打った。
貴族たちが、はっとして背を正す。
「お喜びを申し上げます!!」
「生きておられた!」
「素晴らしい、奇跡だ……!」
ばらばらと上がる声。
上がる熱量。
拍手。
拍手。
拍手。
みんなの口が開く。
「「「「「第一王子のご快癒を、我ら一同、心よりお喜びを申し上げます!!」」」」」
心より、お喜びを。
この、兄に、心からのお喜びを。
……なあ。
それで、いいのか?
お前らにとっての『生きている』って、こんなのか?
こんなので、いいのか?
こんなのが、『生きている』なのか。
こんなのが、嬉しいのか。
……そう。
じゃあ、殺す。
僕が、殺す。
それしかないだろ。僕しかいないだろ。
僕は、コルネリウスが死にたがっていたのを知っていたんだ。
お前らが見て見ないふりをするなら、僕が。
僕だけが、兄を、殺す。
邪魔はさせない。
お前らにも、両親にも、あらゆる敵にも、コルネリウスのふりをしてここにいるものにも!!
■□■
「…………っ」
僕は小さく首を振り、回想を振り払った。
足音をひそめ、女子寮の敷地内を駆け抜ける。
なんだって、あの日のことを思い出したんだ。
シーラのせいか?
シーラを――転生者の入ったシーラを、殺してあげる、なんて言ったから。
あの子ってああいう話をすると、あんまりにも……あんまりにも。
あんまりにも、ものすごく、かわいいんだけど、あれってなんなの!!!???
「……? 誰かいるの?」
「!!」
うっ、まずい、寮監の見回りだ。
僕は素早く茂みに身を隠し、ブレスレットに触れる。
僕は木。僕は土。ここに自然にあるもの……。
「……風ね、きっと」
寮監の夫人はぼそりとつぶやき、カンテラを手に通り過ぎていく。
さすが、僕の擬装魔法は一級だ。
正直、魔法で得意なのはそれだけだった。
幼いころから暗殺者に狙われ、逃げ隠れすることが多かったからかもしれない。
あとは、生まれつき魔力がほぼ無尽蔵なこと、無尽蔵な魔力を他人に分け与えられることだけが、僕の強み。
残りは身体能力でカバーしてきたけど、転生者の魔法があれば話は変わる。
彼女の魔法さえあれば、コルネリウスを殺せる。
本当に、殺してやれる。
シーラはそのための便利な道具。
――そのはずだったのに。
なんでだ!? なんであんなに可愛くなっちゃったんだ!?
生前のシーラは日々ツンケンしていて、高圧的で、そのわりに頭が悪かった。
いつだって兄の言いなりで、瞳の奥がおびえていた。
なのに、今のシーラはどうだ。
まずは、めっちゃくちゃ足が速い!
あのひらひら制服で、よくもそんなに走れるな!? 馬車並みだぞ、あの速度。
以前のシーラは、運動全般全部ダメだった。
ダメだって知られないために、魔法学校の運動の時間を全部自由時間に代えさせたくらい、とにかく全然ダメだった!
今のシーラは動きもキレッキレで、ダンスの名手みたいに優雅だ。
瞳には確かなきらめきと自信があるし、機転も利く。
そのうえ……自然に、僕と女生徒を助けた。
心が、きれいだ。
あんな腹心がいたら、僕は、コルネリウスを殺したあとも――。
「……やめよう」
僕は小さく首をふり、腰をかがめたまま茂みを出た。
女子寮の壁に向かって、折りたたみ式のフックつきロープを投げる。
フックは壁の上のトゲに引っかかる。
僕はするりと壁を乗り越え、雨樋を伝って男子寮の建物を上った。
昨晩も、僕はこうして、シーラの屋敷まで行った。
シーラの様子を見に行ったんだ。
コルネリウスのことも心配だったし、シーラが魔法を使うのも心配だった。
シーラは案の定、魔力切れを起こして倒れていた。
倒れている彼女は、まるで子猫みたいで。
あんまりにも無防備で――しあわせな夢をみているのが、わかった。
柔らかな体を寝台に横たえると、彼女は言ったんだ。
『好き、だよ』
って。
ものすごく、きれいだった。
宝石みたいだったし、赤ん坊みたいだった。
この世の善、そのものだった。
……あれは、誰への好き、だったのかな。
わからないけど。君は、きっと、誰かを健やかに愛することができるひとだ。
「……僕は」
屋根の上を渡りながら、僕はつぶやく。
僕は、好きじゃない。
僕は、誰も好きじゃない。
君のことも、全然好きじゃない。
僕はまともな愛を知らない。
だからきっと、誰も愛せない。
でも――あの子は違う。
殺すとか殺されるとかでうっとりするのは変な趣味だけど。
あの子はきっと、美しい愛に包まれて育った子だ。
だからこそ、神にご褒美をもらって転生してきたんだろう。
そんな子を、よくもこんな血なまぐさいことに巻きこんだな、僕は!
せめて、全部終わったら、あの子がしあわせに生きていけるようにしよう。
あの子を、必要以上に傷つけたくない。
汚れ仕事は、僕が引き受ける。
あの子は全部全部僕のせいにして……しあわせに、生きていけばいいんだ。
……それにしても、痛い。
さっきからずっと、胸が痛い。
ひとのしあわせを祈るのって、胸が痛むんだな。
僕は、初めて知った。




