1.転生してしまった!!
転生してしまった。
あきらかに……転生してしまった!!
私は呆然と辺りを見渡す。
美しいモザイクタイルの広場。
背後にはファンタジーな彫像が水を吐く噴水。
手入れされた樹木。ゴシックとロマネスクとロココと新古典をぶん殴って破砕し再構成したみたいな建物。ファンタジーな制服で笑い合う学生たち。
「これは、どう見ても、乙女ゲーの魔法学園……!」
「シーラさま!! ご無事ですか!?」
「!!」
背後から声。
とっさに全身を緊張させる。
殺気――は、ないな。
振り向くと、制服姿の少女が肩で息をしていた。
さらさら黒髪ロングヘア、垂れ目、顔は真っ青、手にはシーツを持っている。
「シーラさま……本当に、本当に申し訳ございません!! わたくしがおそばについていながら、シーラさまが噴水に落ちるのを阻止できなかったなどと……首を切られても足りない罪ですわ。せめて百回は死刑にしていただきませんと!!」
「噴水? 言われてみれば、濡れているか」
私は自分を見下ろした。
結構なグラマーで、背も高い。髪はゴージャスに波打つ赤毛が腰まで。
健康状態もよさそうだ。魔法学園の制服はびしょ濡れだが、大して寒くもない。
私は腕組みをする。
「つまり、シーラというご令嬢は噴水に落ちて、運悪く死んでしまったわけだ。水は浅いが、人間は洗面器の水でも死ぬからな。シーラの魂は体から抜け去り、代わりに異世界で死んだ私の魂が入った……ならば私は、彼女の人生をなぞってやるのが礼儀か?」
私がつぶやくと、少女はどんどん青くなる。
彼女は泣きそうな顔で、バサッと私にシーツをかけた。
「し、しししししシーラさまは生きておられますわよ!? そうですとも、万が一にも学園で第一王子エーリクさまの婚約者にしてヴィンテルヴェルト公爵家のお嬢さまが亡くなったら、おそば仕えの私は、わ、わた、わたし、私は、私は……死……死……万じゃ足りない……永久死……」
「落ち着け、顔色が死後一ヶ月だ。とにかく理解した。私は第一王子の婚約者にして公爵家のお嬢さま、君はやたらおびえやすい取り巻き。となれば、シーラは悪役令嬢だな?」
私はシーツで髪をぬぐいながら聞く。
取り巻きはもはや灰色の顔色で答える。
「あくや……あ、あ、悪、役……? だ、だだっ誰がそんなことを…………? そんなことを口に出したら不敬罪ですし、万死……だめ、死じゃたりない、死より怖い、うすぐらくて寒くておぞましい場所で永遠の苦しみと血のちぎりを交わす…………うぐぐ……」
話にならないが、状況はわかった。
私は乙女ゲー世界に転生を果たし、悪役令嬢となってしまった。
転生直前のことはよく覚えていないが、私が死んだのは確実だろう。
転生前の私は、死神と呼ばれた暗殺者だった。
幼いころに戦争で両親を亡くし、二人の仇を討つために女殺し屋の道をひた走ってきたのだ。殺して、殺して、殺して、殺して……きっと誰かに殺された。
うっすらと思い出せるのは、血の臭いと、アスファルトの硬さ。
痛み。痛み。痛み。ぼやけていく、五感。
死んだら楽になれるのかな、そんな、淡い希望。
そして、視界がぱっと明るくなって、神っぽい誰かの声がした――。
神は何か、大事なことを言っていたような……。
「シーラさま……。あの、私を怒鳴って踏みつけたりはなさらないんですの?」
「しない。君、名前は?」
「へ? あ、ああ、大変なことがあった後ですものね、私のような虫けらの名前は忘れてしまわれて当然です! わたくし、シーラさまのヒルベルタ・エルスベルヘンと申します!」
ヒルベルタか。自己評価はやたらと低いが、きれいな子だ。
髪もきちんと手入れされているし、おそらく貴族階級。目にも知性の光がある。
手駒にする価値は――あるな。
私は静かに問う。
「ヒルベルタ――ヒルダ、でいいいか。君は私に忠誠を誓っている人間だな?」
「は、はい……もちろんです。あの……シーラさま? 本当に、殴る蹴る水に浸けるなどのお仕置きはなさらないんですの? 今回のことは、わたくしがぐずでとろい芋娘だったせいです。芋は泥水にぶちこまれても当然ですわ」
戸惑った顔で告げるヒルダ。
どうやら生前のシーラはとんだ暴君だったらしい。
彼女の人生をなぞるには、まずは、支配だ。
ヒルダ。
君を、手に入れる。
私はシーツを放り出し、彼女に近づいていく。
視線はヒルダの瞳だけを見つめる。射貫くように。
「……!!」
ヒルダは私を見つめ返す。
おびえつつも、何かを期待するような目だ。。
獲物の、目だ。
――私は、狩人。
殺し屋ランクナンバー1の女にして、悪役令嬢。
もう一歩、ヒルダに近づく。
「シーラ、さま……?」
ヒルダが小さく震える。
そんなヒルダに――私は、やわらかく微笑みかけた。
「あっ……」
ぼんっ、とヒルダの顔が赤くなる。
私は言う。
「では、ヒルベルタ・エルスベルヘンに命じる。黙れ。黙って、私の言うことを聞くんだ」
「は、はい! っ……むぐ」
ヒルダは叫び、慌てて自分の口をふさぐ。
周囲の学生がちらりとこちらを見た。が、それ以上の騒ぎにはならない。
私は悪役令嬢らしいふるまいができているようだ。
私は続ける。
「ヒルダ、君は私のそば仕え……すなわち私の『持ち物』だ。そうだな?」
「――――――――」
必死にうなずくヒルダ。
従順でかわいらしい。君はもっと、自分の愛らしさを知るべきだ。
知って、武器にするんだ。
私は囁く。
「ならば、自分を卑下しすぎるのはよせ。私は私の持ち物をけなされるのを好まない」
「――――――――!!」
「それに、君は充分美しいぞ。健康そうだし、頭もよさそうだし。顔中に泥を塗りたくって、ヤブ蚊に刺されつつ十日も山にこもっているような女殺し屋より、百倍きれいだから安心しろ」
「――――――――!?!?!?!?」
「なんでそこで真っ赤になるんだ。あ、もう喋っていいぞ」
「シーラさま…………わた、わた、し……一生、ついていきます、わ………………」
口を開いたヒルダは、完全に目がハートマークになっている。
よし、この少女は制圧した。
では次だ。
「ああ、ついてこい。で、話は変わるが」
「なんなりと!!」
キラッキラのヒルダに、私は耳打ちする。
「最近、平民の転校生が来なかったか?」
「さすがはシーラさま、よくご存じで!! ちょうど今日ですのよ! 地方の魔法使いの推薦で、どこの馬の骨ともつかない平民の女がひとり転校してくるとか。平民に魔法なんか、とんでもないことですわ!」
やっぱりだ。
魔法学園ものの乙女ゲー転生は、大体主人公であるヒロインが学校に入学するところから始まる。
悪役令嬢は、ヒロインのライバルポジション。
ヒロインをいじめ倒し、最終的に有力者男性の協力を得たヒロインに断罪される役だ。
……と、いうところまではわかっている、のだが……。
問題は、私が乙女ゲー未経験なところである!!
なぜかというと、ゲームは時間がかかる。
転生前の私は殺し屋だ。各国の言語や文化、世界情勢などを頭に詰めこみまくっていたせいで、ゲームをやる暇が全然なかった。
ただ、ラノベは読んでいる。
ラノベは『今の流行を研究しよ~』と思って読んで、結構はまった。
だから、私の乙女ゲーと悪役令嬢知識は、ラノベから得たもののみ!!
……正直心許ない。
これでちゃんと悪役令嬢イベントをこなせるのか。
若くして死んだシーラのためにも、即死は避けてやりたい。
まずはヒルダを使って情報収集、ヒロインの動向をくわしくチェックして様子を見よう。
他に私がやるべきことは…………。
何か、神に注文をつけられた気はするが…………。
ま、いずれ思い出すだろう。
私が記憶を探っていると、ヒルダが校門を指さして叫んだ。
「シーラさま! あれが転校生ですわ、ド平民のリサ!!」
「なるほど。少々常人離れした速度で駆けてくる、あれか」
魔法学園は高い塀に囲まれており、門は金属製。門柱には異形の石像が座っている。
そろそろ登校時間が終わるのだろう。巨大な歯車が全自動でギリギリ回り、門が閉まっていくところだ。
そこへ滑りこもうと走ってくる生徒が二人。
地味な男子学生と、やたら足の速い女子生徒。
女がヒロインだろう。
転校初日から遅刻とは、ドジっ子属性か……と思った、そのとき。
首筋が、ピリッと痺れた。
慣れきった感覚。研ぎ澄まされた五感が鳴らす警報。
――殺気。
「えっ、シーラさま? どちらへ!?」
叫ぶヒルベルタを背後に、私は地面を蹴った。
全力疾走。
果たしてこの体、どこまで速度が出る?
………………………えっ、こんなに出るのか!?
世界のせいか、シーラの身体能力がすごいのか、体がびっくりするほど軽い。
すさまじいスピードで、私は校門に近づいていく。
ヒロインのリサが、私に気づく。
その頭上で、門柱にすえられた石像が、ぐらり、と、ゆらぐ――。