第二章
酷い雨だ。
仕事が終わり、駅へ向かっているところに豪雨に遭ってしまった。
近くにシャッターが下りているパン屋さんがあり、雨宿りが出来そうな屋根があったのでそこへ避難した。
肩の少し下まで伸びている髪に水滴が滴っている。
上に着ているピンクのカーディガンや白のスカートもかなり濡れてしまった。
鞄からハンカチを取り出して髪や服を拭いているが、気休めにしかならなそうだ。
「これやばいなぁ…。傘持ってないんですけど…」
思わず独り言を言ってしまう。
すかさずスマホの天気予報を確認。
あと少ししたら弱くなるそうなので、ここで待つことにする。
30分経っても雨は変わらず、びしょ濡れでもいいかと帰る覚悟をしているところへ男の子が走って来た。
4歳…5歳くらいに見える。黒髪でほっそりとした子が私の隣で同じように雨宿りをし始めた。
「大丈夫…?」
そう問いかけながら、持っていたタオルで男の子の髪を拭いた。
「さっき私が使ったので申し訳ないんだけど、風邪ひいちゃうから」
急に拭かれてびっくりした様子だったが、話しかけたのが嬉しいのか小さく笑ってくれた。
「大丈夫だよ。ありがとう……ございます。」
敬語が苦手なのか、あとから敬語にしたお礼をもらった。その姿が可愛くて私もつられて笑う。
「私は香月 奏って名前なの。君はなんて言うの?」
「ぼくは…しょう…。翔と言います…。」
どこか自信がなさそうに答えてくれた。
「翔くんか、宜しくね!翔くんはどこから来たの?寒いからお家帰ろう?」
私の問いに翔くんは答えてくれない。
この質問をしてからしばらく下を向いていた。
「翔くん…?どう…したの…?」
「あの……ぼく…おねぇさん……」
翔くんは顔を上げて、私に何かを伝えようとしてくれているのは分かった。
けどそれ以上何も話してはくれない。
雨が小雨になってきた。このままでは解決しなさそうだったので、近くの交番にでも相談しに行く。
交番のドアから覗くと中に2人の警察官がいた。
私が覗いているのに気付いたのか、警察官の1人が私に話しかけようと立ち上がる。
そのタイミングを確認して私も交番の中へ入った。
「こんにちはー。何かありましたか?」
笑顔で話し掛けてくれたのは40代の男性警察官。
翔くんと私を交互に確認して近付いて来た。
「こんにちは。香月と申します。こちらの男の子が迷子みたいでして…こちらにご相談させて頂きました。」
ここに来るまでの間、翔くんは私の手を離さなかった。警察官が近づくと、より握っている手の力が強くなる。
「きみ…お名前を教えてくれるかな?」
今度は30代くらいの男性警察官が翔くんに近付いた。
「翔…です。」
翔くんの答えを聞いて、2人の警察官が目を合わせて頷いた。
「香月さん、大丈夫ですよ。先程、この近くにある天使の家さんから連絡が来ていましたので。今から見つかったと連絡して来ますよ。」
40代の警察官の方は杉野さんという名前らしい。杉野さんは変わらない笑顔で電話をし始めた。
天使の家というのはこの辺りにある児童養護施設のことだ。この子は…施設の子だったのか…。なんですぐに帰れるところで迷子だったんだろうと考えていたら、翔くんが突然交番の外へ私を連れて行く。警察官の方は焦った様子でしたが、私が大丈夫ですと小声で伝えると止めないでいてくれた。
交番を出てすぐのところで翔くんは私の方へ向いた。
「おねぇさん…ぼくは…おかあさんにあいたい……。おねがい……。おねぇしゃん…ぼくを…たすけて…くれる……?」
大粒の涙をこぼしながら、私へ強く助けを求めていた。ずっと、ずっと、おねぇさん…と言いながら…。
その姿を見て思わずすぐに、翔くんを抱きしめた。
「うん…大丈夫だよ。分かった。」
施設には何か良くないことがあるのか、それ以降ずっと翔くんは泣いていた。
もちろん私にはその理由は分からない…。
連絡がつきましたと杉野さんが知らせに来てくれたが、大泣きしている翔くんを見てびっくりしていた。
翔くんがなかなか落ち着かないので、施設の方が来るまで一緒に待つことにする。
そのうち施設の方が交番へ来た。
翔くんのことを見つけてはすぐに駆け寄って頭や顔を撫でる。
「翔くん!良かった…。怪我とかないね?」
翔くんが頷くのを確認して警察官の方へ話掛けた。
「すみません!わたし天使の家の寺内と言います。翔くんのことで連絡をもらいまして…ありがとうございました!」
杉野さんはまた変わらない笑顔で頷いた。
「いえいえ、こちらにいる香月さんが翔くんを連れてきてくれたんですよ」
寺内さんはそれを聞いて私の方へ振り返った。
その時に初めてちゃんと顔を見たけど、素朴に綺麗な人だなという印象。薄いメイクに黒くて長い髪を一つ結び、ワンピースが似合う人だと思った。
「本当にありがとうございます。何とお礼をしたらいいか…」
お礼という言葉を聞いてはっと気付く。
つい寺内さんのことを観察してしまっていた。
「そんな、とんでもないです!大したことではないので、お礼とかは大丈夫です。」
いえ、でも…という寺内さんの言葉を遮ってお礼は断り続けた。何度も頭を下げ、お礼を伝えていた寺内さんはようやく翔くんと一緒に帰って行った。
手を繋いで連れて行かれる翔くんは、見えなくなるまで私のことをずっと見ていた。
たすけて…くれる……?
うん…大丈夫だよ。分かった。
さっきの言葉が頭から離れない…。
助けるって…どうすればいいの…?
本当に私が、私なんかが他人の人生に何かしてもいいのか…どこまで本気にしていいのか…
家に帰ってからPCを開いて児童養護施設のことを調べた。とりあえずそこを出られたらいいのか…と思って調べていた。あそこを出してあげるには養子にしないといけないのかと思っていたが、調べて初めて里親ということを知る。養子は戸籍も一緒にして本当に自分の子供として迎え入れることに対して、里親は預かるに近い制度だった。これなら戸籍とかもいじらず、本当にお母さんに会えた時にすぐに一緒に暮らせるようになる。これだと思った。
条件とかも色々あったけど、これなら私でも里親になるかもしれない…。