73 眠る天使
転移陣を抜け、屋敷を抜け、氷で出来た私の城まで帰って来た。
そして、できるだけ静かに扉を叩く。
今の時刻は深夜だからね。
大きな音立てたら近所迷惑だし、何よりルナは寝てると思うから、起こしちゃう可能性がある。
でも、私がこうして深夜に帰宅する事はたまにあるので、こんな小さなノックでもメイドスリーの誰かが対応してくれる筈だ。
あの三人は、夜でもいつも誰かが起きててくれてるから。
「はーい……あ、セレナ様。お帰りなさい」
「ただいま」
予想通り、眠そうなアンが寝惚け目を擦りながら扉を開けてくれた。
どうやら、今日はアンが夜当番だったらしい。
でも、この感じを見るに半分以上寝てたみたいだ。
暗い上に服に隠れてるとはいえ、私の義足にも気づいてないし。
寝惚けて不審者を通さないか心配である。
まあ、私以外は扉じゃなくて門の方で止められるから大丈夫だとは思うけど。
「ルナは寝てる?」
「はい。今日は魔術のお勉強を頑張ってたので疲れたんでしょうねぇ。ぐっすりですよ。ぐっすり」
「そっか」
好都合ではあるけど、ちょっと寂しいな。
「アン、私はルナの顔を見てくるから、あなたはドゥとトロワを起こしてきて。大事な話があるから」
「ふぁーい」
まだ寝惚けてるのか、アンは私の真剣な雰囲気にも気づかず、気の抜けた返事をしながらフラフラとした足取りでドゥとトロワを起こしにいった。
その間抜けな姿を見て、ちょっと肩の力が抜ける。
大丈夫かな?
途中で眠気に負けないといいけど。
気を取り直して、私はルナの寝室へと向かう。
ちょっと前までは私かメイドスリーの誰かと一緒に寝てたルナだけど、最近は猫のしろまると寝るのがマイブームらしい。
そーっと寝室の扉を開けて中に入ると、今日も白い毛玉を抱いてルナは眠っていた。
寝顔可愛い。
「にゃ?」
しかし、抱かれていた毛玉こと、しろまるの方が私に反応して目を覚ましてしまった。
私は人差し指を唇に当て、「シー」と小さな声で言う。
猫のくせに空気を読んでくれたしろまるは、「仕方ねぇな」とばかりに丸まって再び眠り始めた。
相変わらず、謎の貫禄がある猫だなぁ。
まあ、しろまるはともかく。
「ルナ……」
私は眠るルナの髪を優しく撫でた。
起こさないように気をつけながら、優しく、優しく。
「うーん……おねえしゃまぁ……」
そんな私の手に、ルナが寝ながら頭を擦り付けてくる。
私の夢でも見てくれてるのかな?
確か、夢は自分の深層心理を見ているとかいう話をどこかで聞いた事がある。
そこに私が居て、その私を見てこんなに安らかな顔をしてくれるのは凄く嬉しい。
だけど、同時に酷く悲しい。
「ルナ……ごめんね」
私は小さな声でそう呟き、最後に一撫でしてから手を離した。
そして、その手をルナへと翳し、魔術を発動する。
「『氷結世界』」
細心の注意を払って発動した魔術。
対象をコールドスリープ状態にする氷がルナを包み込んだ。
安らかな顔のまま、ルナは少しだけ長い眠りにつく。
同時に、ルナの身体の中で不気味に蠢いていた闇の魔力も動きを止めた。
これで発動自体が停止してくれればいいけど、楽観はできない。
「セレナ様、二人を起こしてきましたけど……って、セレナ様!?」
私のやった事を見て一瞬で眠気が飛んだらしいアンが叫んだ。
ドゥとトロワも驚いてる。
でも、三人の動揺は思った程じゃない。
彼女達には前々から、いつかこういう日が来るかもしれないと話しておいた。
だから、突然の事態に驚きながらも、冷静さを失う程じゃないんだと思う。
実際、アンも叫んだ後にハッとして、二人と同じ神妙な顔になったし。
「三人とも、大事な話があるから聞いて」
「「「はい」」」
メイドスリーが息を飲む。
だけど、三人とも覚悟は出来てるって顔をしてた。
どんな事を言われても受け止める。
そして、なんとしてでも自分の役割を全うする。
そんな覚悟を感じた。
だからこそ、私は今の状況を包み隠さず三人に伝える。
「つい先日、革命軍が死力を振り絞って最後の進軍を開始した。明日の夜には帝都に到達し、帝国と革命軍による最後の決戦が始まると思う」
私は話を続ける。
「今回の革命軍はもう後がない。だからこそ、形振り構わず持てる力の全てを吐き出してきた。その戦力は今までの戦いの比じゃない。正直、帝国が負ける可能性もあると思う」
戦力的には帝国の方が断然有利だ。
いくら革命軍にワールドトレントがいるとはいえ、帝国には皇帝も、序列一位の人も、ノクスも、私も、最精鋭騎士団もいる。
ワールドトレントに蹴散らされた時とは比べ物にならない戦力が帝都には揃ってる。
だけど、今回の相手はワールドトレントだけじゃない。
もう後がないからこそ、死を恐れぬ死兵となりかねない10万の革命軍がいる。
しかも、その中には消えたエメラルド公爵騎士団も、残りの特級戦士も、そして勇者アルバもいるだろう。
敵は決して雑兵の集まりなんかじゃない。
だからこそ、あり得るのだ。
万に一つの可能性、帝国の敗北という未来が。
「ただ帝国が負けるだけなら別にいい。むしろ、皇帝が討ち取られてルナの呪いが解けるなら万々歳。……だけど、そんな戦いに参加したら、私も命の保証ができない。危険な賭けに出る必要もあるかもしれない。少なくとも、今までの戦いより私の死亡率は断然高いと思っておいて」
「そんな……!?」
「そう、ですかぁ……」
「…………!」
メイドスリーの顔色が変わった。
アンは目に見えて動揺し、ドゥは悲しげな顔をし、トロワは無言で歯を食いしばる。
だけど、三人とも決して下は向かない。
……やっぱり、強いなぁ。
だからこそ、この三人には安心して背中を預ける事ができる。
「前にも言ったけど、皆にお願いしたい事は一つ。私に何かあった時、アイスゴーレムを通して伝えるから、そうしたらすぐに国外脱出用の魔術を起動させて、ルナと一緒に遠い国に逃げる事。そして、そこでルナをしっかりと育て上げる事。……もしもの時は、ルナをよろしくね」
「「「ッ!」」」
私がそう言った瞬間、三人が泣きそうな顔になった。
でも、涙を堪えて三人とも頷いてくれる。
よかった。
これで少し安心できる。
「じゃあ、話はおしまい。明日の夜に備えて、今日はしっかり寝ておいてね」
そう言って、私は最後にもう一度氷の中で眠るルナを見てから、部屋を出ようとする。
夜明けまでには戻れって言われてるからね。
もう、そんなに時間がない。
とりあえず、予備の鎧とか色々持ち出さないと。
「セレナ様!」
だけど、そんな私をアンが大声で呼び止めた。
「絶対にセレナ様も生きて帰って来てくださいね! 絶対に! 絶対に!」
「セレナ様がいなくなったら、ルナ様は泣きますよ~。それが嫌なら死ぬ気で生き残ってくださいね~」
「もしもの時の事はお任せください。けれど、絶対にそんな事態にはしないでください。……ご武運を」
三人が、それぞれの言葉でエールをくれる。
それは、とても勇気づけられる言葉だった。
あの日、姉様が死んだ時、擦りきれる寸前だった私に力をくれたように。
今回もメイドスリーの存在は、私は一人なんかじゃないんだと再確認させてくれて、気力を奮い立たせてくれた。
だから、私はそんな三人に振り返り、精一杯の笑顔でこう告げる。
「うん。もちろんだよ。だから皆、━━行ってきます」
そうして、私は帰るべき場所を飛び出した。
鎧を着込み、武器を携え、切り札を忍ばせ、絶対に生きて帰って来るという覚悟で決戦に赴く。
そして、この翌日。
満月の光が夜を照らす月夜の晩。
遂に、ワールドトレントと革命軍が帝都へと到達した。