71 逃げ延びて、生き延びて
「ッ……」
空を駆ける。
涙を堪えながら、泣きわめきたくなるのを我慢しながら、ミアさんの居る砦まで撤退するべく空を駆ける。
砦まで確実に持つように、魔力と速度を調整しながら。
拳と一緒に、手に持った物を強く握り締めながら。
後ろの方でもの凄い戦闘音が聞こえる。
レグルスとプルートが必死に戦ってくれてる音だ。
そして、しばらくした後、━━その音が不意に止んだ。
それが何を意味するのか、嫌でも理解できてしまう。
「ッ……!」
涙が溢れる。
あの二人は、決して善人と呼べるような人間じゃなかった。
レグルスが泣かせた女の人は数知れないし、プルートの思想の犠牲になった人達も数知れないだろう。
何より、二人とも多くの人を殺してきた。
それも、然したる罪悪感も持たずに蹂躙してきた。
善人どころか、どう考えても倒されて喜ばれる『悪役』側の人間。
でも、それでも、私にとっては大切な人達だったんだ。
最初は、後宮に囚われた姉様に近づく為にノクスに取り入って、そこで同僚になっただけの人達だった。
ゲーム知識である程度の人柄とかは知ってたけど、逆に言えば接点なんてそれくらいで、向こうにとっての私はただの新入りの小娘でしかなかった筈だ。
だけどあの二人は、いやノクスを含めた三人は、私に良くしてくれた。
ただの同僚以上に、ただの先輩後輩の関係以上に良くしてくれた。
姉様が死んで一番辛かった時期。
あの地獄の時間を一緒に耐え抜いたのはメイドスリーだけど、支えてくれたのはあの三人だ。
彼らは、私にとって間違いなく恩人だった。
そんな恩人の中の二人が死んだ。
しかも、私を逃がす為に死んだ。
悲しくない筈がない。
だけど、私は決して絶望しない。
絶望して、俯いて、前に進めなくなるような醜態は決して晒さない。
そんな事したら、私の為に命を懸けてくれた二人に顔向けできないから。
私は最後まで戦い抜く。
最後の最後まで生き抜いて、ルナを守る。
二人が繋いでくれた命を、決して無駄にはしない。
チラリと、背後を振り返った。
もう随分と離れた位置に、一本の巨大な木が生えている。
その木は、少しずつ本来の大きさを取り戻しながら、少しずつ動いていた。
私の方に向かって、少しずつ、少しずつ前進してくる。
逃げた私を追いかけようとしてる?
いや、多分違う。
私が飛んでるルートは、ミアさんが居る砦への最短経路だ。
そして、ワールドトレントがそのまま砦を踏み越えて真っ直ぐ前進した場合、最終的に辿り着く場所は一つ。
帝都。
ゲームにおける最終決戦の舞台。
ラスボスである皇帝が君臨する、帝国の中心部。
多分、ワールドトレントはそこを目指してる。
裏切り爺の執念が、思考の残滓が、あの化け物を最後の戦いの舞台へと導くだろうと確信できた。
ワールドトレントの移動速度は意外と速い。
それこそ、遠目にも移動してる事がわかるくらいに。
さすがに追いつかれる事はないだろうけど、下手すれば帝都に辿り着くまでに一週間もかからないかもしれない。
そして、裏切り爺がこの局面を最初から予期してたんだとしたら、恐らく……
近づいてくる決戦の足音を聞きながら、私は帝国へ向かって飛び続けた。
◆◆◆
「ミア、さん……」
「セレナちゃん!?」
私は約半日をかけ、疲労困憊になりながらもなんとか砦に辿り着き、驚愕する警備の騎士を急かしてミアさんを呼ばせた。
呼ばれてすぐに急行してくれたらしいミアさんは、ボロボロの私の姿を見て目を見開きながらも、迅速な判断で回復魔術をかけてくれる。
かなり楽になったけど、それでも疲労で意識が飛びそうだ。
「ありがとう、ございます」
「お礼なんていいよ! それより何があったの!? ボロボロだし、両足なくなってるし、セレナちゃん一人だし! ああ、いや、今はそれどころじゃないか!? 早く医務室! 医務室行こう!」
ミアさんがめっちゃ慌ててる。
その理由の大半が私への心配なところに人柄が出てると思うけど、今はそんな事考えてる場合じゃない。
「待って、ください」
疲弊し、息切れを起こす身体を奮い立たせて、私は私を抱き上げようとするミアさんの袖を掴んだ。
この情報だけは一刻も早く伝えないと。
だって、本当に一刻の猶予もないんだから。
なんとか息を整え、私は告げる。
「報告します。ガルシア獣王国首都へ向かった部隊は壊滅。犯人は獣王国ではなく、獣王国に潜伏していたプロキオン様です。彼は獣王国の切り札であった特大の魔獣因子を自らに打ち込み、ワールドトレントという巨大な化け物に成り果てて私達を倒しました。
そして現在、プロキオン様の成れの果てであるワールドトレントがこの砦を目指して、更に言えば、恐らくその先にある帝都を目指して進軍して来ています。早ければ数時間以内にここへ到達してしまうでしょう。迅速な対応をお願いします」
「…………………へぁ?」
ミアさんがショートした。
許容範囲を越える情報を伝えられて頭が真っ白になったのかもしれない。
でも、さすがは歴戦の六鬼将と言うべきか、すぐに瞳に理性が戻り、頭パー状態から帰ってきてくれた。
「えっと……ちょっと待って。つまり、何? どういう事?」
だけど、まだ混乱状態らしい。
寝耳に水どころか、寝耳に大津波みたいな話を聞かせちゃったんだから、それも無理はないと思う。
だから、私は簡潔に伝えた。
「獣王とは比べ物にならない化け物が数時間以内にこの砦を襲撃してきます。現状の戦力では恐らく討伐不能です。一刻も早く対策を決定し、実行してください」
「……………オッケー。わかった。理解したよ。正直、理解したくなかったけど」
そして、ミアさんは一瞬にしてこの砦を預かる将として相応しい真剣な顔になり、すぐに周りの部下へと指示を飛ばし始めた。
「部隊を二つに分ける! 片方はすぐに後方の街に急行! 避難誘導に当たって! もう片方は私と一緒に化け物の相手! ただし、討伐じゃなくて時間稼ぎを優先! 最後は砦を放棄しての逃走も視野に入れるから! あと、戦えない文官はセレナちゃんを連れて転移陣で帝都に避難して! ついでに、できれば援軍要請も出して! 各自行動開始! 時間ないみたいだから急いで!」
『ハッ!』
そんなミアさんの指示に、砦の全員が一切の反発なく従う。
ここにも腐った貴族意識に染まった奴はいるんだろう。
なのに、そういう奴らですら表立ってミアさんに反抗する事はなかった。
命令の中には、内心で見下しきってる平民の避難まで含まれてるのにだ。
これが、ミアさんの力か。
帝国には勿体ない人材だよ。
そして、ミアさんは指示を出しながら私の身体を抱き上げ、近くに居た避難組の文官であるシャーリーさんの方にパスした。
「ミアさん……」
「心配しなくていいよ、セレナちゃん。アタシはしぶといのが取り柄だからさ」
そう言って、ミアさんはグッと力こぶを作りながら笑う。
その顔に悲壮感はなく、命を捨てようとしてる感じもしない。
自分が生きた上で仕事を全うするという、私が見習うべきプロ意識をミアさんからは感じた。
ああ、なんかこの人は普通に生き延びそう。
そう思う事ができた。
「それじゃ、シャーリー。セレナちゃんをお願いね」
「了解です」
そうして、ミアさんは颯爽と自分の仕事へと戻った。
逆に私は、シャーリーさんに抱えられて転移陣へと向かう。
だけど、まだ私にもミアさんの助けになれる事がある。
「シャーリーさん」
「なんでしょうか?」
シャーリーさんは、相変わらず疲れ切った社畜の顔で、それでも集中力を振り絞った真剣な顔で私を見た。
この人もプロだ。
だからこそ、申し訳ないけど新しい仕事を頼む事ができる。
「今から今回の敵、ワールドトレントが私達との戦闘で見せた戦術、生態、そして弱点を可能な限り話します。それをミアさんに伝えてください」
私の言葉にシャーリーさんは、「ハァァァァ……」と幸せが根こそぎ逃げ出しそうな盛大なため息を吐いた後、全てを諦めたような仏の顔で頷いた。
「わかりました。また仕事ですね。ホント休めない。休む暇がない」
「ごめんなさい……」
もうそれしか言えない。
本当に申し訳ない。
「いいんですよ。この非常時ですし、ミア様の助けになると思えば悪くありません。ただし、貸し一つですからね。その内返してください」
「……はい。必ず」
また死ねない理由が一つ増えた。
生きて、シャーリーさんに貸しを返す。
生きて、ミアさんとまた会う。
心に刻んだ。
その後、私からワールドトレントの情報を聞いたシャーリーさんは、私を帝都の城の医務室に預けてから、砦へトンボ帰りしていった。
非戦闘員とはいえ、あの人だって常人とは比べ物にならないくらい強い魔術師の一人。
そう簡単には死なないと思いたい。
そして、自分にできる事をやり終えて、気力も体力も魔力も尽きた私は、医務室のベッドの上で、電源が切れたように気を失った。
◆◆◆
次に起きた時、私の目には医務室じゃない天井が見えた。
でも、知らない天井じゃない。
割と見慣れた天井だ。
仕事でよく行き来してた。
ここは確か……
「起きたか」
そうして、ボンヤリと天井を見上げていた私の右目に、心配そうな顔で私を見詰める一人の青年の姿が映った。
過保護な上司にして、私の恩人の一人である青年、ノクスの姿が。