70 絶望を前に
「カハッ!?」
巨拳の一撃を食らって地面に落ち、あまりの衝撃に一瞬意識が飛んだ。
でも、なんとか身体は無事だ。
細かい傷はあるけど、重傷は負ってない。
代わりに、鎧が粉々に砕けてる。
どうやら、これがあったおかげで助かったっぽい。
だけど、それなら私みたいに全身鎧をガッチガチに着込んでた訳じゃない二人が心配だ。
見たところ、近くに二人の姿はない。
かなり上空から叩き落とされたから、落ちる途中ではぐれたのかも。
「━━━━━━━━━━━━━━━!!」
「ッ!?」
でも、二人の安否を確認する暇すらなく、ワールドトレントが追撃を放ってきた。
拳のように纏まっていた蔦をバラけさせ、上空から無数の蔦の鞭を繰り出してくる。
だけど、見るからにワールドトレントにも余裕がない。
蔦の攻撃はさっきまでの根っこ攻撃とは比べ物にならない程弱いし、大きさは当初の巨体が見る影もなく縮んで、元の100分の1くらいのサイズになってる。
せいぜい、全長30メートルくらいだ。
それでも獣王と同じくらいデカイけど、今なら絶対零度を使うまでもなく、氷獄吹雪の連打でも倒せそうなくらい弱ってるように見える。
なのに、今の私には、その程度の魔術を放つ為の魔力すら残ってない。
「『浮遊氷剣』!」
私は鎧の残骸を脱ぎ捨て、そこから六本の剣型アイスゴーレムを抜いて蔦を迎撃した。
今の魔力じゃこれが精一杯だ。
集中して身体中の魔力をかき集めたとしても、大技を放てるのは後一回が限界だろう。
勝つ為には、その一発で仕留めないといけない。
その為にはまず、レグルスとプルートの二人と合流しないと。
全員ガス欠とはいえ、三人同時攻撃ならなんとか倒せる筈だ。
あと、できれば他の騎士達も回収したい。
彼らも大技を連打しまくって疲弊してるだろうけど、それでも私達よりは余裕がある筈。
貴重な戦力だ。
是非とも回収したい。
「う、撃ってください!」
そんな事を考えていたら、なんともジャストなタイミングで、いくつかの魔術がワールドトレント目掛けて発射された。
それを指示したと思われる聞き覚えのある声。
そして、多くの魔術の中でも一際強力な風の魔術。
これは!
「マルジェラ!」
「ご、ご無事ですか!? セ、セレナ様!」
どもり症でコミュ障で、更に人を傷付けないと生きていけない精神疾患を発症してる私の部下が、実にいいタイミングで駆けつけてくれた。
まさか向こうから合流してくれるとは。
嬉しい誤算だ。
「私は無事です! そっちの被害はどうなってますか!?」
「せ、せ、戦死者及び、ふ、負傷者多数! い、今動けるのは十人ちょっとです!」
十人か。
元々の数が百人だったから、十分の一にまで減った事になる。
でも、今はそれで充分だ。
「あなた達は攻撃を続行し、少しでもあの化け物を弱らせてください! トドメは私達が刺します!」
「りょ、りょ、了解!」
ビシッと敬礼して、マルジェラは他の騎士に交ざって攻撃を始めた。
その攻撃が、確実にワールドトレントを削っていく。
効いてる。
間違いなくこの攻撃は効いてる。
何故なら、遂にと言うか、やっとと言うか、これだけ撃ち込んでようやくワールドトレントの回復力に陰りが見えてきたからだ。
さっきワルキューレ達が捨て身で放った魔術のダメージも回復しきってないし、騎士達の攻撃でもドンドン身体が削れてサイズが縮んでいく。
回復自体はしてるけど、ダメージが回復量を上回ってるんだ。
いける。
これなら、二人と合流しなくても私単体でトドメを……
そんな希望を見出だした瞬間、突如としてワールドトレントの身体が膨れ上がった。
「なっ!?」
そして、膨れ上がった身体から大量の、今まで以上の数の蔦を伸ばし、攻撃してくる。
あり得ない。
いったい、どこにそんな生命力が!?
まさか、本当に不死身……?
いや、そんな訳ない!
何か! 何かカラクリがある筈!
「ぐぁ!?」
「クソッ!?」
大量の蔦が上空から降り注ぎ、騎士の何人かを貫いて絶命させる。
その蔦は騎士を貫いた勢いのまま地面に突き刺さった。
あの蔦はすぐに引き抜いて、振り回して、他の対象を狙う筈だ。
注意しないと。
そう思ってたのに……何故かその蔦はずっと地面に刺さったままだった。
いや、その蔦だけじゃない。
よく見れば、攻撃を外して地面に刺さった蔦のいくつかはそのまま放置されてる。
なんで?
せっかく増やした手数を使わない理由なんてない筈……いや、待って、まさか。
「ハッ!」
そうか、わかった。
あの不死身っぷりと、バカげた魔力量のカラクリ。
根っこだ。
ワールドトレントは根っこを使って、そして今はあの蔦を根っこの代わりにして、大地から魔力を吸収してたんだ!
魔力というものは人体だけに宿るものじゃない。
魔獣の一部にも魔力を持ってる種類はいるし、自然の中にも魔力はある。
ただし、自然界の魔力は人体や魔獣みたいな生物に宿るものと違って、かなり希薄だ。
昔はそういう魔力を引き出して魔道具とかのエネルギーとして使おうっていう研究もあったみたいだけど、コスパがあまりにも悪すぎて取り止めになったって、学園に居た頃に読んだ本で知った。
でも、植物その物みたいな存在と化したワールドトレントなら、大地から引き出せる魔力量も半端ないだろう。
何せ、そういう生態の生き物なんだから。
思い出すのは、前に見た革命軍の拠点。
あれにも、拠点の運用に必要な最低限の量とはいえ、大地から魔力を吸い出すシステムがあった。
あれは、あくまでも拠点に魔力を貯めるものであって、そこから自分の身体に魔力をチャージしたりできる訳じゃないから失念してた。
でも、今気づけたんなら対策が打てる!
「『氷剣乱舞』!」
私は剣型アイスゴーレムを操り、そこにインプットされた動きの一つを使って、手当たり次第に地面に刺さった蔦を斬り裂いた。
今、ワールドトレントの本体は私の絶対零度で根っこごと凍りついてる。
動いてるのは、凍り損ねた一部だけだ。
つまり、この蔦さえ切ってしまえば、地面との接続が切れて自前の魔力でしか回復できなくなる。
そして、その自前の魔力は今までの攻防で尽きる寸前の筈だ。
回復速度が落ちてたのがその証拠。
蔦を全部切って、回復を封じて、その上でトドメを刺せば確実に葬れる。
まだ勝ち目は残って……
「━━━━━━━━━━━━━━━━━!!!」
「え!?」
そう思った瞬間、地面から何かが飛び出してきた。
腕だ。
さっきまでワールドトレントが形作ってた蔦の集合体みたいな腕とは違う、完全に木の材質で出来た腕。
それが地面から突き出して、まるで墓場からゾンビが出てこようとしてるみたいな状態になってる。
そして、その腕が勢いよく地面に叩きつけられた。
ちようど、掌に潰される位置にいた私を狙って。
「くっ!?」
身体強化を全開にしてなんとか避けたけど、木の腕による攻撃は終わらない。
今度は叩きつけた腕を横向きに薙ぎ、その掌で地面を抉りながら、やっとの思いで避けた私を再度狙ってきた。
無理矢理の回避行動で体勢の崩れてた私に、これは避けられない。
魔力もほぼ空で、氷剣は蔦を切る為に遠くへ飛ばしてしまった。
防ぐ手段すらない。
「セレナ様!」
「あ……」
せめて少しでもダメージを軽くしようとガードを固めた私の身体を、近くに居たマルジェラが強く押した。
そのおかげで私は腕の攻撃範囲から逃れ、九死に一生を得た。
代わりに、マルジェラが腕による薙ぎ払いの餌食となり、強烈な打撃を受けて死んだ。
「マルジェラ……!」
マルジェラが、死んだ。
人の絶望した顔が大好きで、人を痛めつけるのが大好きという度しがたく精神疾患に似た性癖を持ってたけど、それを決して味方や無辜の民に向ける事なく、性癖以外はどもり症くらいしか欠点のなかった優秀な騎士が。
直属部隊の中では一、二を争うくらい真面目で、それなりに仲の良かった部下が、死んだ。
でも、悲しんでる暇はない。
ここは戦場。
親しい人だけ死なないなんて、そんな事はあり得ない。
敵を殺し、味方も殺され、その屍を踏み越えていった先にしか道のない地獄。
それが私の居る場所だ。
そして、私のピンチはまだ終わっていない。
「━━━━━━━━━━━━━━━━!!!」
「くっ!?」
今度はもう一本の腕が私の真下から伸びて来た。
横に転がって避け、追撃の薙ぎ払いはマルジェラが稼いでくれた時間で呼び戻した氷剣を突撃させて軌道を逸らした。
その隙に氷翼を展開し、空中へと逃れる。
でも、そう簡単に逃がしてはくれなかった。
未だに上空に存在するワールドトレント本体から大量の蔦の鞭を放ち、地面にある二つの腕も枝を伸ばし、上下からの挟み撃ちで私を狙ってくる。
速度は出ても小回りの利かない氷翼では避けきれない。
六本の氷剣に衛星のように自分の周りを回らせて迎撃したけど、手数が違い過ぎた。
六本の氷剣で、百を優に越える蔦と枝を防ぎきれる訳もない。
氷剣の防御を抜けた攻撃が、氷翼を砕き、私の脇腹を貫いた。
「痛ッ!?」
凄まじい痛みが脇腹から伝わってくる。
傷もヤバイけど、そっちは回復魔術で治せるだろう。
本当にヤバイのは今の状況だ。
脇腹を貫いた蔦はすぐに氷剣で切り離して、氷翼も修復したけど、一瞬でも捕まったせいで動きが止まってしまった。
その隙を見逃さず、地面にあった巨大な腕が、私を握り潰そうと迫り来る。
避けようとしたけど、避けきれなかった。
腕の指先が、私の両足を掴んで握り潰す。
「あああああ!?」
肉が潰れ、骨が砕ける感触と、凄まじい激痛に思わず悲鳴を上げてしまった。
だけど、痛がってる暇すらない。
腕に捕まり、完全に動きが止まった今の私は格好の餌食だ。
一秒でも無駄にしたら、次の瞬間には全ての攻撃を食らって圧殺されるだろう。
止まる訳にはいかない。
早く抜け出ないと!
「うっ!」
私は覚悟を決め、氷剣で両足を切り離して脱出する。
傷口を回復魔術で治し、更に即席で氷の義足を作る。
失った足は二度と戻らない。
でも、これで被害は最小限にできた筈だ。
「━━━━━━━━━━━━━━!!!」
そうして抜け出した私を、ワールドトレントは執拗に狙ってきた。
またしても蔦を振るい、枝を伸ばす。
……このままじゃラチが明かない。
さっきより距離を取ったおかげでギリギリ回避は成立するけど、それだっていつまた捕まるかわかったもんじゃないし、こうやって逃げ回ってるだけでも確実に魔力は消費していくんだ。
しかも、こうしてる間にも向こうは徐々に回復していってる。
さすがに元の大きさに戻るまでには数日単位の時間がかかるだろうけど、今だって上空の本体と地表の腕二本を合わせたら結構なサイズだ。
それがドンドン太く長くなってる。
このままだと、こっちは大技を撃つ為の魔力も失って、向こうは大技でも仕留められないくらいに回復して、勝ち目が完全になくなる。
その前になんとかしないといけない。
でも、私は避けるだけで精一杯だ。
将棋で例えるなら、今の私は連続の王手から必死に逃げてる状態。
他の事をする余裕がない。
回避以外の行動をした瞬間に詰む。
私一人じゃ、もうどうにもならない!
「『火炎剣』!」
「『水切断』!」
「あ!?」
内心で弱音を吐いてしまった瞬間、そんな不甲斐ない私を助けるように、炎の斬撃と水の刃が、私に迫る蔦と枝を斬り払った。
私は即座に今の魔術の発射地点へと急接近する。
そこには、血塗れの身体で、だけどしっかり五体満足で立ってる先輩二人の姿があった。
「レグルスさん! プルートさん! 無事だったんですね!」
「ああ、なんとかな。だけど、お前は……」
「……手酷くやられたようですね」
二人が心配そうな目で私を見た。
今の私は、両足の切断に加えて、脇腹にも魔力節約の為に回復しきれなかった深手がある。
身内には優しい二人なら、そりゃ、そんな顔にもなるか。
「私も大丈夫です。まだ戦えます。向こうも確実に弱ってるんですから、三人一緒に大技を放てばきっと……」
「━━━━━━━━━━━━━━━━━!!!」
そんな私の言葉を否定するかのように、ワールドトレントが新しい動きを見せた。
地中から伸びてた二本の腕が大地を掴み、その間から何かが出てきた。
まるで墓場から蘇ろうとしてるゾンビみたいに、二つの腕で自らの身体を持ち上げるように、地中から何かが出てきた。
それは、歪な人型をしていた。
二本の腕と同じく、木の材質で出来た人型の胴体。
ただし、頭はなく、足は完全に普通の木の根っこだ。
そんな歪な身体に上空にあった本体、いや本体だと思っていた蔦の集合体が覆い被さり、まるで鎧のようにその全身に蔦を絡ませた。
信じられない。
こいつ、地面の中で新しい身体を作ってたんだ。
「こりゃねぇだろ」
「ないですね」
「…………」
あまりにもあんまりな光景に、レグルスが乾いた笑みを浮かべ、プルートが死んだ魚の目で同意する。
私は口を開く気にすらなれなかった。
絶望だ。
これは紛れもなく絶望だ。
今この瞬間、私が想定してた勝ち目は消えた。
今のワールドトレントの全長は、元のサイズと比べれば遥かに小さいものの、それでも全長100メートルを超えてる。
あれを上級魔術数発で仕留めるのは無理だ。
ヤバイ、このままじゃ死ぬ。
私は死ぬ訳にはいかないのに。
死なないって、ルナと約束したのに。
切り札は……ない事もない。
でも、これを使うのは死とほぼ同義だ。
ここで、こんな奴を相手に命を引き換えになんてできる訳ない。
だけど、もうそれ以外に手が……
「よし!」
そんな絶望を前にして、レグルスが不自然に明るい声を出した。
そして、衝撃的な事を言い出す。
「セレナ、お前逃げろ」
レグルスのその言葉に私は……
「………………は?」
そんな間の抜けた声を出す事しかできなかった。