勇者の目覚め
それは、俺の15歳の誕生日に突然起こった。
本当になんの、なんの前触れもなく幸せが壊れた。
「アハハハハ! もっと泣け! もっと叫べ! もっと絶望した顔を私に見せろぉ!」
火だ。
あの男が放った火の球が全てを焼き尽くしていく。
平凡な幸せを燃やし尽くしていく。
生まれ育った村を。
そこに住む人達を。
知り合いが焼け死ぬのを見た。
友達が焼け死ぬのを見た。
そして、優しかった父さんが火に包まれるのを見た。
「逃げろ、アルバ! お前だけは生きてくれ!」
火の球に焼かれながら父さんがそう叫ぶ。
俺は突然起こった悲劇に頭が追い付かなくて、ただ呆然としていた。
そうしている内に父さんが死んだ。
火の球があっという間に父さんの体を焼き尽くし、ただの焼け焦げた死体に変えてしまった。
「あ、ああ……」
そこに来てようやく目の前の現実を頭が理解し、絶望の声が出た。
全部燃えてしまった。
優しかった父さんも、ずっと暮らしてきた家も、精根込めて耕した畑も。
妹みたいに思っていたアニーも、皮肉屋だったチャドも、笑顔が可愛かったセシルも、おっちょこちょいだったチャーリーも、よく果物をくれたニックおじさんも、旦那さんとののろけ話が長かったクレアおばさんも。
全部、全部、全部、全部。
「あー、すっきりする! やはりストレスが溜まった時はこれに限るな!」
全部、目の前のこいつに燃やされた。
皆、こいつに殺された。
こいつに。
こいつに。
「お? 生き残りがいたのか。これはうっかりしていた」
「お前が! お前がぁ!」
それしか言葉が出なかった。
だから、その言葉にありったけの憎しみと怒りを込めた。
そんな俺の声をこいつは……
「あー、うるさい。声が大きい。耳障りだそ。平民のくせに私の機嫌を損ねるとは無礼極まりない奴だ」
心底鬱陶しそうに聞いていた。
なんなんだ、こいつは。
人を殺しておいて、なんでそんな顔ができるんだ。
こいつは人じゃない。
人なんかじゃない。
醜悪な鬼だ。
悪辣な悪魔だ。
「喚いてないでさっさと死ね。『火球』」
そして、男が俺に向けてあの火の球を放ってきた。
それを見て、俺は……
「ハッ!?」
そこで唐突に目が覚めた。
ここは街にある宿屋の一室だ。
故郷の村じゃない。
あの悪夢のあった場所じゃない。
だけど、今のがただの夢だった訳でもない。
もし、これがただの悪夢だったなら、目を覚ませば消える幻想だったのならどんなによかったか。
「父さん……! 皆……!」
涙が溢れてくる。
あれはただの夢じゃない。
たった数日前に起こった現実を夢に見ただけだ。
全部燃えてしまった。
皆死んでしまった。
俺は皆の墓を作って、焼け落ちた村を出て、この街にやって来たのだ。
「うっ……! うっ……!」
涙が止まらない。
なんで、なんでこんな事になったのか、こんな事になってしまったのかが未だにわからない。
俺達はただ平和に、穏やかに暮らしていただけだった。
誰かに恨まれた覚えもないし、ましてや殺される理由なんて全く心当たりがない。
……いや、この考え方は間違ってる。
あいつは恨みとか殺意とかを持って俺達を殺した訳じゃない。
まるで遊びのように、楽しくて仕方がないと言わんばかりの顔で俺達を殺した。
正真正銘の鬼だった。
正真正銘の悪魔だった。
そして、正真正銘の化け物だった。
そんな奴に目をつけられたのが運の尽きだったのだろうか?
たったそれだけの理由で皆殺されてしまったのだろうか?
……ふざけるな。
そんなの認められない。
認められる訳がない。
でも、そんな事を考えたところで皆は帰って来ない。
認められなくても飲み込むしかない。
悲劇を受け入れるしかない。
仇は討った。
墓も作った。
もうこれ以上、皆の為に俺ができる事は何もない。
父さんは俺に生きろと言った。
なら、いつまでも悲しみを引き摺ってウジウジしてる訳にはいかない。
そんな事してたら、焼け落ちた家から持ち出してきたなけなしの貯金がすぐに底を尽く。
そうすれば生きる糧も得られなくなるだろう。
その前に仕事を探して新しい生活を始めないと。
俺は両手で思いっきり頬を叩いた。
そして気持ちを入れ換える。
前を向け。
生きていくという事は、前を向いて歩き続ける事だと父さんが言っていた。
だから立ち止まってはいけないと。
なら、俺は歩き続ける。
「父さん。俺、頑張るよ」
俺は遺品として持ってきた、父さんが肌身離さず大事にしていたペンダントを握り締め、そう宣言した。
そして朝日を浴びるべく、木で出来た宿屋の窓を開けた。
だが、目に飛び込んでくるのは朝日ではなく夕焼けだ。
……そういえば、街に着いたのは今日の朝だったな。
それから宿屋に直行して、作ってくれた食事を食べてから倒れるように眠ったんだった。
なら、起きるのが夕方になるのは当たり前か。
「これは仕事探しは明日からだな……っ!?」
そう呟いて、なんとなく二階にあるこの部屋から下を見下ろした時、俺のトラウマを刺激する物が宿屋の前に停まっていた。
馬車だ。
商人とかが使ってる安物じゃなくて、驚くほど豪華で、びっくりするくらい逞しい馬を繋いだ馬車。
それは、俺達の村を襲ったあの男が乗っていた馬車によく似ていた。
父さんの話では、あれは貴族の乗り物らしい。
あれを見ているだけで動悸が激しくなり、頭が憎しみに支配されそうになる。
でも、違う。
あの馬車は、俺達の村に来た馬車とは別物だ。
全くなんの関係もない。
だから、この憎しみをあの馬車にぶつける訳にはいかない。
それはただの八つ当たりだ。
そうして、俺が自分の気持ちをなんとか飲み込もうとしていた時。
「お前、気に入った。ワシの玩具にしてやろう。ありがたく思え」
「え……あ……」
あの男によく似た声で、あの男によく似た言葉が馬車の方から聞こえてきた。
咄嗟に視線を向けると、そこでは豪華な服を着たデップリ太った男が、この宿屋の看板娘さんの腕を掴んでいた。
看板娘さんの顔色は、この部屋からでもわかるくらい青ざめている。
身体も小刻みに震えている。
助けなきゃ。
反射的にそう思った。
あの人はいい人だ。
今日の朝、全てを失ったショックを引き摺って宿屋にやって来た俺を気遣ってくれた。
その優しさに触れて、人の優しさに触れて、俺は少しだけ前を向く事ができたんだ。
その人があんなに怖がっている。
だから、助けなきゃ。
俺は急いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りて宿屋の入り口へと向かった。
でも、その時には既に馬車は発進していた。
凄いスピードで、あっという間に見えなくなっていく。
そして、この場に看板娘さんの姿はない。
周りの人達は沈痛な顔をして馬車の去って行った方を見詰めている。
間に合わなかった。
「クソッ!」
俺は思わずそう叫んでいた。
そして、思わず言ってしまった。
後から考えれば、とてつもなく酷い事だったと思える事を。
「どうして助けなかったんですか!?」
俺は叫んだ。
周りの人達に向かって。
この時は、それが正しいと疑う事なく。
でも、その言葉に返ってきたのは……
「助けられる訳ねぇだろ!」
悲痛に満ちた声。
その直後、俺は肩を掴まれた。
痛い程の力で。
「俺だって助けたかった! いや、俺が誰よりも助けたかった!
でも、仕方ねぇんだよ!
この街で、いやこの国で貴族に逆らう事なんかできねぇんだ!
俺達はただ耐えるしかねぇんだよ……!」
涙を流し、血を吐くように叫んだのは、この宿屋の主人だった。
看板娘さんに「お父さん」と呼ばれていた人だった。
そんな人が、実の娘を見捨てるしかないと涙ながらに叫ぶ。
なんだ、それは。
なんなんだ、それは。
「それは、いったいどういう……」
「……ああ、そういやお前さんは村出身の田舎者だったな。なら、知らねぇのも無理ねぇか」
そうして、宿屋の主人さんは俺に教えてくれた。
何も知らなかった俺に教えてくれた。
この国の残酷な真実を。
この国には、貴族という偉い人達がいる。
その人達は魔力という強力で特別な力を持ち、それ故に俺達平民を見下している。
多くの貴族が平民を玩具のように扱うそうだ。
今の奴みたいに拐って行ったり、ちょっと機嫌を損ねただけで殺したり、あるいは遊び感覚で殺したり、魔獣の餌にしたり。
そう。
俺の村を襲ったのは、そんな貴族の一人だった。
あいつだけが悪魔なんだと思ってた。
でも、違ったんだ。
あいつと同じような奴がこの国には沢山いる。
そして、俺達と同じような悲劇がこの国にはありふれている。
「そんな……!?」
そんな事が許されていいのか!?
そんな事が許されているのか、この国では!?
そんな、そんな事って……!
俺がこの国の底知れない闇を垣間見た時、地平線の彼方に夕陽が沈んで、夜がやって来た。
俺は初めて、この夜が暗闇に包まれたこの国そのもののように思えて、血が凍るような恐怖を覚えた。