氷月将の初陣
「領主の首を取ったぞ!」
『ウォオオオオオオオオオオオオ!』
その日、勇気を振り絞って立ち上がり、憎き貴族達に反旗を翻した人々が、カルセドニ男爵領の領都にて勝利の雄叫びを上げた。
彼らの殆どは、この領地出身の平民の兵士だ。
ロクな装備も支給されず、貴族達からは使い捨ての駒どころか肉壁程度にしか思われていない名もなき戦士達。
それが彼らだった。
貴族の遊びで家族を殺された男がいた。
貴族の性欲発散の為に弄ばれた女兵士がいた。
貴族に死ねと言われるも同義の命令を何度も受け、その度に友を失ってきた老兵がいた。
それでも彼らは貴族に頭を下げ、怒りを飲み込み、平伏する他になかったのだ。
魔術という超常の力を扱う貴族に、ただの人である彼らが勝てる道理などなかったのだから。
だが、彼らは今その絶望を覆し、今まで彼らを何度も何度も踏みにじってきた貴族達を倒して、この地の貴族達の長である領主を討ち取ってみせた。
これは歴史的快挙である。
平民でも貴族と戦えるのだと、貴族を倒せるのだと、彼らはその身を持って証明してみせたのだから。
そんな彼らのリーダーの女性は感動の涙を流しながら、その力を自分達に授けてくれた存在に向けて精一杯の祝福を送った。
「革命軍、万歳!」
『万歳!』
戦士達がそれに続く。
そう。
彼らは自らを革命軍と名乗る組織、その末端だった。
彼らはつい最近、革命軍の末席へと加わった者達だ。
そして、革命軍の本隊が授けてくれた強力な力、魔導兵器と呼ばれる武器を使って領主達を倒したのだ。
当然、かなりの犠牲者は出た。
彼らに与えられた魔導兵器は量産品であり、貴族と戦うに当たっては必要最低限の性能しか持っていない。
それを数の暴力に任せ、夥しい数の犠牲を出す事を許容する事で、なんとか領主達を討ち倒した。
それが今回の戦いの本質である。
だが、そんな命令は革命軍本隊から出ていない。
今はまだ準備の段階であり、水面下に潜むようにと厳命されていたのだ。
本格的な革命開始の予定は数年後。
しかし、彼らはそこまで待てなかった。
それ程に、彼らのこの地の領主であるカルセドニ男爵への恨みや怒りは膨れ上がっていたのだ。
反逆する力を得れば一切の我慢ができなくなる程、彼らの堪忍袋の尾は既に限界だった。
まあ、それは殆どの領地で同じ事が言えるだろうが。
本当に帝国の闇は深い。
だが、そんな絶望の時代は終わる。
自分達の手で変えられる。
彼らは本気でそう確信し、その眼は未来への希望で輝いていた。
これは根拠のない自信などでは断じてない。
実際に、彼らは貴族の一派を潰してみせたのだ。
絶対と思っていた力の象徴を打倒してみせたのだ。
ならば、他の貴族を倒せない道理などない。
そう本気で信じる彼らは……
あまりにも無知だった。
「『氷結世界』」
その無知さを嘲笑うように、上空から氷結の裁きが降り注ぐ。
膨大な冷気の塊。
それに触れた者達が一瞬で氷漬けの氷像へと変わった。
その中には彼らのリーダーも含まれている。
彼女のいる位置を目掛けて、この裁きは飛んで来たのだから当然だ。
「空の上に何か居るぞ!」
その突然の事態に驚愕しながらも、少しは冷静さを保っていた戦士の一人が上空を指差した。
釣られて氷結をまぬがれた者達が空を見上げると、そこには翼の生えた氷のような全身鎧を身に纏う小さな少女がいた。
その少女は、まるで夜空に浮かぶ月のように、遥か高みから戦士達を見下ろしていた。
「新手の貴族か!?」
「こ、子供?」
「子供でも貴族なら敵だ! 撃ち落とせぇ!」
誰かがそう叫び、戦士達の殆どが一斉に魔導兵器を構え、放った。
魔力の塊である薄い光の弾のような物が魔導兵器から発射され、大量のそれが上空に居る少女へと牙を剥く。
「『浮遊氷珠』」
だが、それも少女には一発足りとて届かない。
少女の背中からソフトボールサイズの小さな珠が飛び出し、それが少女を守るような位置へと高速で飛翔する。
そして、珠は一瞬で分厚い透明な氷を纏い、それが盾となって少女への攻撃を完全に防いでみせた。
「『浮遊氷剣』」
反撃に、少女は腰に差した六本の剣を抜く。
手で握って抜いたのではなく、剣が独りでに鞘から抜けたのだ。
そのまま宙に浮かび続ける六本の剣。
それが不意に消えた。
そして次の瞬間、六本の剣はそれぞれ六人の戦士達の体を刺し貫いていた。
剣は消えたのではない。
彼らが目で追えない程の速度で襲って来たのだ。
「ギャ、ギャアアアアアアアア!?」
剣に貫かれた戦士達が激痛に絶叫を上げる。
だが、少女は手を緩めない。
剣は即座に刺し貫いた戦士達の体を貫通して、再び姿を消す。
そして、戦士達を見えない斬撃が襲い、彼らは急速な勢いで死んでいった。
反撃に魔導兵器の弾を撃つも、ダメージを与える事はおろか、少女をその場から一歩足りとも動かす事すら叶わない。
そこで彼らは理解した。
この少女には勝ち目がないと。
かつて貴族達に向けていたのと同種の感情を少女に抱く。
それは、絶対的な強者への恐怖だ。
まるで魔導兵器を手に入れる前に戻ったかのようだった。
彼らはまたしても絶対に勝てない化け物と出会ってしまったのだ。
以前は頭を垂れて平伏し、惨めに命乞いをする事で生き永らえた。
だが、今は問答無用で殺されている。
命乞いをする暇すらない。
なら、彼らに取れる手段は一つしかない。
「に、逃げろぉ!」
背中を向けて逃げる事。
恐怖に支配された彼らは逃げる事しかできなかった。
しかし、それすら叶わない。
彼らが逃げた先には、氷で出来た大量の鎧が待ち構えていた。
鎧が手に持った剣を振りかぶり、逃げた者達を斬り捨てていく。
必死にそれを潜り抜けて門に辿り着こうとも、そこには彼らが倒した辺境騎士団とは比べ物にならない程に屈強な騎士達が待ち構えている。
彼らに逃げ場などなかった。
哀れで、惨めで、貴族の気分次第で簡単に死んでいく弱者達。
その姿は、まさしく殆どの貴族達が馬鹿にして見下している、平民の姿そのものであった。
そこにはもう、自らの手で絶望の時代を終わらせようとした、誇り高き革命戦士達の姿はなかった。