13 『死影将』
私の背後で何かが蠢いている。
そんな事にはとっくの昔に気づいていた。
ただ、そんな事よりも姉様の方が百億の百億乗大事だっただけだ。
姉様を失った悲しみで、動く気にもなれなかっただけだ。
そして、影が遂に姿を現す。
それは、私が最初に氷漬けにした男だった。
大鎌を持った中高年の男。
姉様を殺した男。
そいつが、私の作った氷を砕いて脱出してきた。
「驚いた……まさか、これ程の魔術師がこんなにも早く援軍に来るとは」
私は遂に涙が枯れ、生気を失った目でそいつの事を見た。
その顔には見覚えがあった。
━━六鬼将序列四位『死影将』グレゴール・トルマリン
ゲームの登場人物であり、今回の行事の護衛に付いていた筈の六鬼将。
それが、姉様を殺した男の正体だった。
「君は……確か、セレナと言ったな。ノクス皇子の側近に加わった天才魔術師の話は聞いている」
グレゴールが何か言っている。
酷く耳障りだ。
「エミリア殿は君の姉だったな。本当にすまぬ事をした。
許してくれとは言わん。理解してくれとも言わん。
だが、私にも事情というものがある。
譲れない事がある。
本当に心苦しいが、私の犯行を見られた以上、君も生かしてはおけない」
グレゴールが何か言っている。
姉様を殺したクソ野郎の言葉だ。
聞く価値がない。
耳に入れる事すらおぞましい。
こいつに対する嫌悪感が膨れ上がった時、悲しみがカンストして疲弊しきった私の心に、ドロリとした暗い感情が生まれた。
憎しみ。
怒り。
そして、殺意。
そうだ。
こいつが姉様の仇なんだ。
殺さなきゃ。
殺さなくちゃ。
かつて、私が姉様に言った言葉を思い出す。
『もし姉様が死んだら、私は早急に全ての仇を討って後を追いますからね』
あの時の言葉を実行しよう。
こいつを殺し、こいつの関係者を皆殺しにし、そして全ての元凶である皇帝を殺して、私は姉様の所に逝く。
「斬り捨て御免」
呟くようにそう言って、グレゴールは私に接近してきた。
その手に、姉様を殺した大鎌を持って。
「『氷獄吹雪』」
私は姉様を抱き締めたまま、氷結世界の上位魔術である氷獄吹雪を放った。
氷結世界よりも遥かに強力で、凍らせる事ではなく氷殺する事を目的とした、地獄の吹雪。
当然、レグルス相手に使った時よりも威力が高い。
一切手加減していないのだから。
「これ程とは……!? 『影切断』!」
グレゴールはそれを、大鎌に纏わせた影による斬撃で迎撃した。
影属性魔術。
皇帝が得意とする闇属性魔術の劣化版。
だが、劣化版とはいえその威力は充分に脅威。
影の斬撃は氷獄吹雪を真っ二つに切り裂いた。
魔力による現象は魔力による現象で干渉する事ができる。
だから、影で冷気を裂くなんていう怪奇現象が発生するのだ。
「ぐっ……!? なんという威力!?」
だが、それでも私の魔術を完全に防ぐ事はできなかったらしい。
散らし損ねた冷気がグレゴールの身体に到達し、その表面を凍てつかせる。
どうやら、私は魔術の威力だけなら六鬼将すら上回るみたいだ。
しかし、グレゴールだって相当強力な魔術と魔力量を持っている。
確か、公爵家の傍系出身だったっけ?
それも六鬼将に選ばれる程に、その才能を磨いてきた男。
身体の表面を凍りつかせた程度じゃ止まらない。
「『影槍』!」
グレゴールの足下の影から、細く鋭い影の槍が複数本、私に向かって伸ばされた。
あれを食らえば、私の身体強化を貫いて致命傷になるだろう。
迎撃。
「『氷壁』」
氷の壁で影の槍を受け止める。
それで完全に防げた。
でも、氷の壁の内側に影が出来てる。
なら、使ってくるだろう。
ゲームにおいて、グレゴールの動きの中で一番厄介と言われた切り札を。
「『影潜り』!」
出た。
自分の影の中に潜り、近くの影から現れる短距離限定瞬間移動。
それを使って、グレゴールは私のすぐ側に現れた。
「貰った!」
グレゴールが大鎌を振るった。
確実に私の胴を真っ二つにする軌道を大鎌が走る。
でも、そう来るのは読めていた。
だったら、怖くもなんともない。
私は更なる強力な魔術を、至近距離からグレゴールに浴びせた。
「『絶対零度』」
「なっ!?」
氷獄吹雪の更なる上位魔術である、氷属性の最上級魔術『絶対零度』。
抵抗を許さず全てを凍てつかせる、私の最強魔術。
ただし、最上級魔術故の発動の難しさから、私の魔力操作技術を持ってしても、発動には一秒以上の準備時間がかかる。
グレゴールなら、その隙を突いて私を斬る事ができただろう。
でも、氷壁で視界が塞がったせいで、私がこの魔術の準備をしている事に気づかなかった。
それが、グレゴールの敗因。
そうして、グレゴールは今度こそ完全な氷像となった。
私は氷のベッドを作って、そこに姉様をそっと下ろし、氷像となったグレゴールへと近づいて行く。
「ああああああああああああああ!」
そして殴った。
身体強化を纏った拳で、何度も何度もグレゴールを殴った。
中身ごと氷像が砕けて塵になるまで、殴って殴って殴り続けた。
なんで、グレゴールが姉様を殺したのか。
それはわからない。
ゲームでのグレゴールは、ただ皇帝やノクスに忠実なだけの狗だった筈だ。
この近くには、姉様だけでなく護衛や他の側室と思われる奴の死体も転がっていた。
何故、皇族に忠誠を誓っている筈のグレゴールがこんな暴挙に出たのか。
その皇族の命令か。
姉様達が死んで得をする奴が身内にいたのか。
あるいは脅されて仕方なくやったのか。
それはわからない。
わかりたくもない。
たとえどんなに崇高な目的があったとしても、どれだけどうしようもない事情があったとしても、姉様を殺して許される筈なんてない!
だから殺した。
だから殺す。
こいつだけじゃない。
姉様の死に関わった全ての人間を。
無理矢理姉様を後宮という危険地帯に連れ去った皇帝。
姉様を皇帝に売り飛ばしたクソ親父。
グレゴールの背後にいるかもしれない黒幕。
そして、そして、━━姉様を守れなかった無能な私。
全部殺して、最後に私を殺して、あの世に行くのだ。
グレゴールの身体を粉々に砕き終え、奴が持っていた大鎌を残して完全にこの世から消えた後、私は姉様の元へと戻った。
もう魂の宿っていない、姉様の脱け殻となった亡骸に。
そして私は、姉様に最後のキスをした。
そのまま私は姉様の亡骸を氷漬けにし、一瞬で粉々に砕いた。
姉様だった氷の粒子が、空に溶けて消えてゆく。
こんな腐った国に、革命で踏み荒らされる国の土に姉様を埋葬する訳にはいかない。
それならせめて、天使の姉様に相応しく、自由な空に葬ってあげたかった。
姉様が消えた空を見上げ、私は思う。
待っていてください、姉様。
私もすぐに姉様の所に行きます。
姉様のお側に戻ります。
全ての仇を討ち、やり残した事を清算してから。
そう、やり残した、事、を……
その瞬間、私の脳裏に姉様とのある会話がフラッシュバックした。
『セレナ、この子をよろしくね』
『はい!』
そうだ。
そうだった。
私には仇を討つ事以上にしなければならない事があった。
あの子を、ルナを守らなければ。
姉様の忘れ形見を守り、育てなければ。
復讐は、その後だ。
私の怨みよりも、優先させなければいけない。
私は、我が身を焦がすようなドス黒い感情に無理矢理蓋をした。
血が滲む程に強く拳を握り締め、復讐に走ろうとする心をなんとか自制する。
「姉様……」
姉様。
どうやら私はまだ死ねないみたいです。
姉様の娘を、私の大切な家族を、今度こそ必ず守ります。
守り抜いてみせます。
だから、だからどうか空の上から見守っていてください。
いつか、私が本当にやるべき事を全てやり終えて姉様のお側に戻った時は。
その時は、どうかいつもみたいに抱き締めて、頭を撫でてください。
この無能でどうしようもない妹を、どうか許してください。
お願いです。
私は肌身離さず身に付けているペンダントを。
10歳の誕生日に姉様から頂いたペンダントを握り締め、もう枯れたと思っていた涙を再び流しながら、姉様の待つ空を見上げた。