12 運命の日
その日の事を、私は生涯忘れる事はないだろう。
忘れる事など決してできないだろう。
この日感じた全ての事を。
絶望を。
苦しみを。
悲しみを。
痛みを。
無力感を。
後悔を。
憎しみを。
怒りを。
殺意を。
私は一生、忘れる事がなかった。
◆◆◆
その日は、私が学園に入学して2年が過ぎた頃に訪れた。
その頃、私は三年生となり、何故か生徒会に所属する事になっていた。
これは、私が入学した時点で既に最上級生であり、その年度の終わりに卒業して行ったレグルスとプルートの後釜だ。
あの二人が卒業してもノクスは生徒会長を続けた、と言うか続けさせられた(聞いた話によると、生徒会長は一番身分の高い生徒が強制的にやらされるらしい)ので、それをサポートする側近もまた生徒会に入る必要があるんだとか。
生徒会役員は会長による使命制の為、私に逃げ場はなかった。
そうじゃなくても立場上断れなかっただろうけど。
そして、この2年で色々と状況が変わった。
まず、姉様がめでたく、と言っていいのかは微妙だけど、とにかく無事に出産を終える事ができた。
生まれたのは女の子。
姉様にそっくりの可愛い子だ。
皇帝に似なくて本当に良かったわ。
その子は事前に決めていた通り『ルナマリア』と名付けられ、私達はルナという愛称で呼んで盛大に可愛がった。
次に、学園を卒業したレグルスとプルートが破竹の勢いで出世し、早くも六鬼将の地位にまで上り詰めた。
六鬼将には序列があって、レグルスが序列五位、プルートが序列六位だそうだ。
その話を私に聞かせた時のレグルスは盛大にプルートを煽りまくり、プルートは終始不機嫌そうな仏頂面だった。
六鬼将の序列は戦闘力が最優先で考慮されるので、文武両道のプルートより、武一筋のレグルスの方が有利なのは仕方ないと思うんだけどね。
そんな感じで色々な事が変わりつつも、私の計画は順調に進んでいたのだ。
二年生に上がった頃には、私はすっかりノクスの腹心の一人として認識されていたので、ノクスの皇族としての仕事を手伝う為に城に行く事もあった。
その時に虫型の超小型アイスゴーレムを後宮の方へと放つ事に成功し、それを通して多少は後宮の情報を得られるようになって私は小躍りした。
この超小型アイスゴーレムはカメラみたいに使える訳じゃないし、会話とかも勿論拾えない。
でも、探索魔術を仕込む事に成功したので、周りにいる人間の気配を察知して警備の位置や見回りのパターンを知る事ができる。
あと、後宮内を動き回る事で内部のマッピングもできる。
更には、無機物故の気配のなさと、探索魔術を欺く機能のおかげで発見も困難という自信作。
よくこんな指の先サイズのアイスゴーレムに色々と仕込んだもんだよ、私。
それを城に行く度に後宮へと放って数を増やし、順調に警備の情報を手に入れ、もう少し情報を集めれば姉様救出計画を本格的に練る事ができるという段階まで来ていたのだ。
あと一歩。
本当に、あと一歩だった。
そんな時だ。
国外逃亡用の魔術が完成する寸前で姉様をかっさらわれた時のように、まるで狙い済ましたかのようなタイミングで、あの事件が起きたのは。
切欠は、後宮の行事の一つだった。
皇帝の子供を持つ妻達が、帝都の外にある由緒正しい神殿へと子供の成長祈願をお祈りしに行く、年に一度の行事だ。
去年、それに姉様が参加するという話を聞いた時は、帝都の外という魔獣や襲撃者が襲い放題な所に行くって事で気が気じゃなかったけど、そこは腐っても皇族絡みの行事。
道中の魔獣はほぼ完全に駆除されてるし、警備と護衛は六鬼将を含めた精鋭が務めるし、ノクスが気を回して姉様の周辺に自分の息のかかった騎士を大量に配置してくれたので、その年の行事は何事もなく終わった。
つまり、今回は二回目という事になる。
そして、警備は前回と同じだし、ノクスが気を回してくれてるのも前回と同じ。
だから、私は緊張しつつも心のどこかで油断していた。
姉様に渡したセレナ人形から救難信号が届く、その瞬間まで。
「っ!?」
「? どうした、セレナ?」
その時、私はソワソワしながら生徒会室でノクスと共に仕事をしていた。
だから、私が急に顔色を変えたのを見て、ノクスが不思議そうに問いかけてくる。
でも、その問いに答えている暇などない。
セレナ人形から救難信号が届いたという事は、一刻を争う事態が発生しているという事なのだから。
私は椅子と机を蹴り飛ばしながら立ち上がり、そのまま窓をぶち破って生徒会室の外に出た。
「セレナ!?」
「『氷人形創造』!」
ノクスの驚愕の声をガン無視し、私は即座に杖を取り出して鳥型のアイスゴーレムを作り出し、それに飛び乗る。
そのまま全力で魔力を使ってアイスゴーレムを動かした。
魔術で作り出した現象は宙に浮かべる事ができる。
火球や氷弾なんかがいい例だ。
他の魔術でできる事なら、ゴーレムでできない道理はない。
つまり、私のアイスゴーレムは鳥型である事なんか関係なしに空を飛ぶ。
杖をゴーレムに押し付けて、そこから随時魔力を流し込み、その全てをスピードを出す事に使う事で、鳥型アイスゴーレムは音速を超える超スピードで飛んだ。
上に乗ってる私は身体がバラバラになりそうだったけど、身体強化で無理矢理身体の強度を上げて耐える。
そうして、セレナ人形が送って来た大まかな位置情報を頼りに飛んでいると、数分もしない内に後宮の一団と思われる連中を発見した。
でも、そいつらの様子がおかしい。
まるで何かから逃げるみたいに、統率を失いかけた動きで移動している。
そして、セレナ人形が救難信号を送っているのはこの先だ。
つまり、この一団の中に姉様はいない。
なら、こいつらに用などない。
私は更にアイスゴーレムへと魔力を流し込み、加速する。
それに耐えきれずアイスゴーレムが壊れ始めたけど、救難信号はもう目と鼻の先。
だったら、ここで使い捨てても惜しくはない。
そう考えた瞬間、━━突如、セレナ人形からの救難信号が途絶えた。
「姉様!」
私はただ姉様と叫びながら、焦燥でおかしくなりそうな頭と、早鐘を打ち過ぎて破裂しそうな心臓の鼓動を感じながら、アイスゴーレムに送り込む魔力を更に強める。
もはや、いつもの精密操作など見る影もなく、効率を捨て、ただただスピードを出す為だけに膨大な魔力を使う。
そのあまりの魔力に耐えきれなかったのか、杖にヒビが入った。
アイスゴーレムがドンドン原型を失っていく。
構うものか。
そうして、遂に私は辿り着いた。
救難信号の出ていた場所へと。
そこで、見てしまった。
転がる護衛達の死体。
そして、
━━襲撃者と思われる男の持った大鎌に貫かれた、姉様の姿を。
「『氷結世界』ォ!」
私は反射的に魔術を使った。
最高出力の氷結世界の冷気が、姉様ごと襲撃者を凍らせようと牙を向く。
その出力に耐えられず、遂に杖が壊れた。
関係ない。
「こ、これは!?」
襲撃者の男は姉様から大鎌を引き抜いて避けようとしたが、避けきれずに氷像となった。
そっちはどうでもいい。
それより姉様だ!
早く姉様を助けないと!
私はアイスゴーレムを乗り捨て、冷気に巻き込まれて氷漬けになった姉様の元へと走った。
この魔術の良いところは非殺傷魔術であり、極めれば医療行為にも使えるところだ。
氷漬けにしたという事は、即ちコールドスリープ状態にしたという事。
外から氷像を破壊しない限り、中の人は仮死状態で生き続けるのだ。
すぐに姉様を覆っている氷だけを砕き、中の姉様に向けて無属性の上級魔術『回復』をかける。
この世界の回復魔術は、あくまでも本人の自然治癒能力を高めるだけ。
だから、部位欠損とかは治らない。
でも、逆に言えば自然に治る傷ならなんでも治せるという事だ。
それに、私の魔力量と魔力操作技術を使って行使される回復魔術は、恐らく、この世界でも十指に入る性能を持っているだろう。
それを使えば、こんなお腹を突き刺された程度の傷はすぐに治る。
筈だった。
「なんで!?」
なのに、姉様の傷は一切治らない。
傷が全然塞がらない。
コールドスリープの影響が残ってるからか出血量は凄く少ない。
だから、今傷を塞げば助かる筈。
なのに、その肝心の傷口が全く塞がらない。
「なんで!? なんで!? なんで!?」
この現象を説明できるとしたら、可能性は二つしかない。
私の回復魔術の腕が悪いか、あるいは……
いや、考えるな!
治る!
助かる!
絶対に助ける!
その為に磨いてきた力でしょ!?
変な事考えてないで、もっと強力な魔術を使え、セレナ!
「『回復』! 『回復』! 『回復』ゥ!」
でも、どんなに強い魔術を使おうとしても、回復魔術はこの回復しかない。
なら、それに籠める魔力量を上げるしかない。
この魔術をもっと強くするしかない。
なのに、それなのに。
強くしても、どんなに強くしても、姉様の傷口が塞がる事はなかった。
「あ……魔力が……」
そして、そこである事に気づいた。
気づいてしまった。
姉様の身体が魔力を纏っていない。
魔力を生まれつき持つ者は、無意識に魔力で身体能力を強化している。
それはどんな時でもだ。
寝ていても、弱っていても、気絶していても、生きている限り身体は魔力を纏い続ける。
そう、生きている内は。
「あ、ああ……」
そこまで考えてしまった瞬間、頭が理解を拒んでいた現実を理解してしまった。
回復魔術が効かないもう一つの可能性。
それは、死体に回復魔術を掛けても意味がないという事。
当然だ。
回復魔術は、あくまでも本人の自然治癒能力を高めるだけ。
その自然治癒能力の源である生命力を失った死体に掛けても、効く訳がない。
「あああ……」
つまり、姉様はもう、
「あああああ!」
目を覚まさない。
傷口は塞がらない。
だって、だって、
姉様はもう、死んでしまったのだから。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
私は泣いた。
姉様の亡骸にすがり付きながら、絶叫するように泣き喚いた。
姉様が死んだ?
私の天使がもういない?
なら、私はなんの為に生まれてきた?
今までなんの為に力を磨いてきた?
なんの為に生きてきた?
……役立たず。
役立たず! 役立たず! 役立たず! 役立たず! 役立たず!
「うぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
私は泣いた。
ただ泣いた。
絶望を、
苦しみを、
悲しみを、
痛みを、
無力感を、
後悔を、
噛み締めながら。
泣いて、泣いて、泣き続けた。
この時、私は思い知ったのだ。
この世界はどこまでも残酷で、その残酷さは当然私にも適応されるのだという当たり前の事を。
仮初めの平和は、こんなにも簡単に崩れ去ってしまうのだという事を。
文字通り、身を以て思い知った。
そして、脳裏に姉様との思い出が蘇る。
まだ帝都に来る前、実家で一緒にいた頃の記憶が、その頃によく浮かべていた姉様の笑顔が、最も鮮やかな記憶として蘇った。
ああ、思い返せば、あの頃が一番幸せだった。
家族どもには虐められてたけど、姉様が側にいて、姉様と一緒に国を出る未来を夢見て頑張っていた、あの時間が。
戻りたい。
叶う事なら、あの頃に戻りたい。
でも、時間は回帰しない。
姉様はもう戻ってこない。
それがわかってしまうから、辛くて、悲しくて、涙が止まらない。
私は泣いた。
泣いて、泣いて、泣き続けた。
背後で蠢く影に気づいていながら。