『闘神将』
帝国最強の騎士、六鬼将序列一位『闘神将』アルデバラン・クリスタルは、かつて出来損ないの貴族もどきと呼ばれ、家族からすら忌み嫌われていた。
彼は、魔術師ならば誰もが持っている筈の力を持っていなかった。
アルデバランには、魔力属性がない。
彼は、周りの誰もが当たり前のように持つ力を持たずに生まれてきてしまったのだ。
故に、アルデバランは普通の魔術が使えない。
火も出せず、水も出せず、風を操る事も、土を操る事もできない。
雷も、氷も、光も、闇も、影も、植物も。
属性魔術と呼ばれる魔術は何一つとして使えなかった。
使えるのは、魔力があれば誰でも使える、属性魔術の括りからすら外された最弱の魔術、無属性魔術のみ。
そんな彼を、家族はいない者として扱った。
魔力と魔術の才能が絶対視される帝国において、アルデバランが抱えたハンデは余りにも重い。
貴族もどき、出来損ない、家の恥、落ちこぼれ、劣等種、ありとあらゆる罵倒を血を分けた実の家族から受け続ける日々。
誰も彼を認めてくれない。
誰も彼を救ってくれない。
それでも彼は努力した。
無属性魔術しか使えないのなら、それを徹底的に極めればいい。
魔術だけでは足りないのなら、剣術をはじめとした戦闘技術で補えばいい。
そうして、彼は努力を続けた。
何年も、何年も、何年も。
血の滲むような努力を続けた。
その末に、彼は皇族にすら匹敵する程の魔力量と、帝国全体でもトップクラスの戦闘技術を得るに至る。
しかし、それでもアルデバランが家族に認められる事はなかった。
それどころか、侮蔑の視線はますます強くなる始末。
幼いアルデバランには、何故そんな事になるのか理解できない。
ある日、遂にアルデバランは我慢できなくなり、父に向かって問いかけた。
何故、こんなに努力して、結果も出しているのに、あなた達は自分を認めてくれないのかと。
それに対して返ってきた父の答えは、
「うるさいッ! この出来損ないが! 何故、認めてもらえないかだと? お前が生まれついての劣等種だからに決まっているだろう! わかったらその面、二度と私の前に見せるな!」
叫ぶように一息に吐き出された罵倒だった。
差別問題というものはそう簡単に解決するものではなく、ましてや出来損ないが自分達よりも上だと認める事など、プライドばかりが高い貴族にできる筈もない。
それができる器の持ち主なら、始めから差別などしていないだろう。
結果、アルデバランへの侮蔑は嫉妬という感情によって増幅され、風当たりは強くなる一方だったのだ。
つまり、自分はどれだけ頑張っても誰にも認められる事はない。
彼は全てを否定されたのだ。
過去の努力も、現在の成果も、未来の可能性も、己の全てを。
それを突きつけてくる父の言葉は、幼いアルデバランの心を絶望に染めるには充分すぎた。
気づけば、アルデバランは父をくびり殺していた。
その後、絶望のままに自暴自棄となって暴れ回り、家族を皆殺しにし、護衛の騎士達を皆殺しにし、帝都にあった別邸を吹き飛ばして、駆けつけた中央騎士団相手に大立回りを繰り広げた。
彼は強かった。
誰も彼を止められなかった。
当時の六鬼将ですらも。
そんな彼を止めたのは、騒ぎを聞き付けてやって来た、帝国の若き第一皇子だった。
「素晴らしい」
皇子は暴れるアルデバランをその圧倒的な力で叩き伏せた後、開口一番そう呟いた。
それは、アルデバランが欲してやまなかった言葉。
自らを肯定してくれる言葉だった。
「お前程の逸材が何故埋もれていたのか理解できん。そして、お前程の逸材をただの賊として処刑するのは余りにも惜しい。どうだ? その才能、その力、私の為に使ってみないか?」
そう言って、若き皇子はアルデバランに手を差し伸べた。
それは、アルデバランにとって生まれて初めての経験だった。
生まれて初めて認められた。
生まれて初めて必要とされた。
この時、アルデバランは誓ったのだ。
自分の初めての理解者に、初めて手を差し伸べてくれたこの恩人に、生涯の忠誠を捧げようと。
そうして、アルデバラン・クリスタルは、後の皇帝アビス・フォン・ブラックダイヤの一の臣下となった。
「腹立たしい……!」
だからこそ、アルデバランは革命軍に怒り狂う。
腹立たしい。
その全てが腹立たしい。
主の慈悲で生き延びたくせに、それを仇で返したプロキオンも。
大した力も持たない弱者の分際で、本気で主に牙を剥いてきた身の程知らずの平民どもも。
そして何より、革命のキッカケとなったリヒトとその息子が。
敬愛する主の天敵のような血筋が。
心の底から腹立たしくて仕方がない。
だが、今最も腹立たしい存在はその誰でもない。
目の前でアルデバランの攻撃を避け続け、ちょこまかと鬱陶しく攻撃を続けてくる、この女だ。
「やぁあああッ!!!」
その少女、ルルはアルデバランからすれば名も知らぬ塵芥の一つに過ぎない。
だが、強大な力を相手に必死で戦い続けるその姿が、かつてアルデバランが邪魔に思い、排除してきた女達と嫌に被る。
一人は、リヒトの妻であり、アルバの母親だった女だ。
目の前の少女と同じく気の強い女だった。
15年前の帝位継承争いの時も、最後の瞬間まで諦めずに不敵な笑みを浮かべて抗い続け、華奢な女の身でアルデバランの足止めを完遂して、夫と子供を逃がし切った豪傑。
アルデバランは結局、最後の最後まであの女の心を折る事ができなかった。
そして、もう一人はリヒトとよく似た理想を抱いていた少女だ。
優しさなどという下らない感情に支配された女だった。
虐げられて当然の弱者に手を差し伸べ、そんな弱者が、いや、誰もが傷つかなくていい世界を夢見ていた。
そしてその少女は、そんな優しい世界に少しでも近づけるように努力を惜しまなかった。
吐き気がした。
その理想は、余りにもリヒトに似ていたからだ。
それだけではない。
そんな理想をアルデバランは受け入れられなかった。
あの綺麗事を聞く度に、拒絶反応が出た。
アルデバランは、自らを絶望の中から救い出してくれた主に感謝している。
だが、それが優しさからの行為だとは欠片も思っていない。
主が自分の才能に価値を見出だし、そして自分が主に価値を示せたからこそ、アルデバランは絶望の中から這い上がる権利を与えられたのだ。
自分は努力し、成果を出し、価値を示して、その果てにようやく救われる権利を得た。
それがアルデバランの誇りだ。
アルデバランの根本を支える考え方だ。
故に、アルデバランはこう思う。
努力もせず、努力したとしても成果を出せないような者には、己の価値を示せないような弱者には、救われる権利などない、と。
なのに、あの少女はそんな事関係ないとばかりに万人を救おうとする。
伸ばした手が届かない事もあった。
力が足りずに救えない者もいた。
だが、あの少女が手を差し伸べる事を止める事だけはなかった。
そんな少女の姿に感化されたのか、それともただ利用しようとしただけなのかはわからないが、少女の周りには彼女を助けようとする者達が集っていく。
怖じ気が走る光景だった。
これでは、まるでリヒトの再来だ。
しかも、リヒトの時と違って帝位を争う必要がないからか、主まで興味深そうにしながら傍観に徹する始末。
アルデバランは危機感を覚えた。
今はまだいい。
少女に主を打倒する力などなく、そんな野心もない。
何より、少女は争いを嫌っていた。
たとえ、プロキオン辺りが争いの道に誘おうとも、首を縦には振らないだろう。
だが、そんな事はリヒトの時とて同じだった。
あの男もまた、最初は主との友好を望んでいたのだ。
兄である主を立て、自分はその裏方に回って、二人で国を良くしていけたらいいと言っていた。
しかし、それは叶わぬ夢だった。
リヒトと主では、決定的に思想が食い違ったのだ。
まるで水と油のように決して相容れない。
いや、そんな生易しいものではない。
あれはさしずめ『朝の光』と『夜の闇』だ。
朝の光の中に夜の闇の居場所はなく、夜の闇の中に朝の光の居場所はない。
水と油のように、決して相容れないながらも、隣り合って共存できる関係とは違う。
どちらかが思想を貫く限り、もう片方の思想は消え去るしかないのだ。
どちらか片方しか生きられないのだ。
リヒトはどこかでそれを悟ったのだろう。
だから、最終的には兄に向かって牙を剥いた。
だから、今回も最終的にはそうなる。
あの少女が自分の道を貫くのなら、最後には必ず主と敵対する。
アルデバランはそう判断した。
そして、少女の排除に動いた。
アルデバランは恐れたのだ。
あの少女が、本当にリヒトの再来になってしまう事を。
かつて、リヒトは主をあと一歩の所まで追い詰めた。
勢力で圧倒的に劣り、殆どの配下を失い、妻は死んで、一番の忠臣にまで裏切られた状態で。
最後の決戦。
リヒトと僅かに残った手勢を、主自らが率いるアルデバランを含めた最精鋭部隊で包囲した時。
早々に手勢が全滅し、それでも孤軍奮闘を続けたリヒトの剣は、主の喉元にまで迫った。
リヒトは強かった。
最後の最後、命を捨てて特攻してきた時、アルデバランが大怪我と引き換えに腕を潰していなければ、あるいは主を打倒していたのではないかと思ってしまう程に。
アルデバランはその光景がトラウマとなった。
主を、唯一の理解者を失いかけた恐怖は、決して忘れられるものではない。
アルデバランはその光景を、二度とあってはならない事態として心に刻んだ。
故に、リヒトの時のような事にならないように、少女が力をつける前に、速やかに消さねばならなかったのだ。
そうして、アルデバランは一人の少女を、エミリア・アメジストを殺した。
動かせる手駒の中で最も強く、かつ自分へと足がつかない戦力である当時の六鬼将序列四位『死影将』グレゴール・トルマリンを使って。
工作は完璧であり、誰もアルデバランが暗殺事件の背後にいたとは見抜けなかった。
まさか天下の六鬼将序列一位が、たった一人の小娘を恐れて殺したとは誰も思わなかったのだ。
その暗殺でグレゴールを失い、その代わりにエミリアの妹であるセレナが六鬼将になったのは想定外だったが、まあ、その程度であれば問題はない。
セレナはエミリアと違ってリヒトを思わせる行動は取らなかったし、プロキオンをはじめとしたエミリアにすり寄っていた者達の事も避けていた。
姉を殺された恨みは深いようだが、それに任せて妙な事をさせない為の首輪は主がつけた。
ノクスも手綱を握る事に成功している。
従属させた他国の兵士のようなものだ。
気にする必要はあるが、気にしすぎる必要はない。
こうして、アルデバランはエミリアの排除に成功した。
だが、不安の種を刈り取り、これで安心だと思っていたところに現れたのが反乱軍だ。
最初は、平民の寄せ集めなど取るに足らない敵だと思った。
しかし、プロキオンがその黒幕だと判明し、更にはリヒトの息子が生きてその組織に所属しているとわかった事で、反乱軍はエミリアなど比べ物にならない脅威であると認識せざるを得なくなる。
その矢先に起こったのが今回の騒動だ。
ガルシア獣王国の技術で化け物と化したプロキオンがレグルスとプルートの二人を殺害し、セレナを瀕死に追い込み、ミアの足止めを振り払い、反乱軍全体を巻き込んで、急転直下の帝都決戦。
決戦前にセレナの意識は戻ったものの、帝国は六鬼将四人を欠いた状態で戦わざるを得なくなった。
これには、急展開すぎて、さすがのアルデバランも唖然とした。
そして、その次にふつふつと沸いてきたのは怒りの感情だ。
またしても、またしても、リヒトの系譜が主に牙を剥いてきた。
許せる事ではない。
おまけに、リヒトの息子はアルデバランを無視して主の元へと走り、自分は今まで散々煩わされてきた女達と似た少女に足止めされているなど。
腹立たしい。
心の底から腹立たしい。
故に、アルデバランは決断した。
「……何人か逃がす可能性はあるが、致し方ない」
そう呟いて、アルデバランは戦い方を変える。
今までは、これ以上の敵を通さない為に立ち塞がるように立ち回っていたが、それでは決着までの時間がかかり過ぎてしまう。
ここは多少のリスクは飲み込み、早急に目の前の敵を殲滅してリヒトの息子を殺しに行くべきだと判断したのだ。
そうして、アルデバランは強く大地を踏み締めた。
「『神速』」
次の瞬間、凄まじい踏み込みと、それを後押しする衝撃波によって、アルデバランの身体が目で追えない程の超速にまで加速する。
更なる悪夢が、革命軍に襲いかかった。