前半
木漏れ日の下、行われた葬儀はひっそりと貧しいものでした。今日、貧しい農夫が一人やすらかな眠りについたのです。粗末な手作りの棺となくなった農夫の息子たちはただただ、絶望に身を浸していました。……何故なら、彼ら三兄弟は、すねかじりのごくつぶしであり、今まで何も言わずに養ってくれた年老いた父親の死によって、今までの生活が失われたことを実感し、不安と恐ろしさに身を震わせていたからです。先の見えない不安。……これから、どうやって生きていけばよいのか解らない怖さにただただ、兄弟たちは、目の前が真っ暗になるようでした。
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末っ子のイワンは、引きこもりでした。父親が病気で倒れた時、その父親の傍にいたのは、イワンのみで、長男のバジルと次男のロイは、その日もまた、それぞれ酒場で友人とは名ばかりのあまりよくない人々とトランプで賭け事をしており、今日もまた、家には帰ってはいませんでした。
末のイワンは、怯える眼差しで、弱弱しくなっていく父親をただただ呆然と見つめていました。父親は、完全に息を引き取る前に言いました。
「……イワン、私にはもう、ほんのわずかしか時間は残されていないだろう。……ほかの兄弟も心配だが……私は、イワン、引きこもっているお前が一番心配だよ。良いかい。お前たちがいきなり一人で生きていくには大変なことだろう。必ず三人で力を合わせなさい。ゆとりが出たら独立も良いだろう。けれど、私が残したものをきちんと生かしなさい。……お前たちがまだ小さな頃に、植物の育て方、考え方、天候の見方、土の作り方だけは叩き込んである筈だ。困ったときは、私の書棚に残してある私の今までの技術の写しを参考に勉強し、対処しなさい。良いかい。今年の収穫した作物はもうお金にしてある。それは、イワン、大事にしなさい。行き成り全てを使ってしまってはいけない。……そして、これは、それぞれの兄弟たちへ渡しなさい。この書付はイワン、お前に。良いかい。」
……そう、言い残しかけたまま、父親は、声をなくし力なく魂が抜けたようになり、粗末な硬いベッドの上でやすらかな眠りにつきました。イワンは、呆然としたまま、父親から言われた言葉と、渡された兄弟と自身に残された手紙を胸に抱えたまま、ただただ、呆然としていました。
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そのまま、いつの間にか空が薄明るくなるまでイワンは、ただただ、魂が抜けたようにぼんやりと、粗末な木の椅子に身体を預けて。ただただ預けて。傍には横たわった父親。なにもかもがとまってしまったように静かでした。そのまま、いつの間にか眠ってしまっていたのかもしれません。イワンは、何かが激しく壊れる音で目を覚ましました。目を開けて反射的に見た方向には、ボロボロになった兄たちが大きな台所脇に置いていた大きな水がめに倒れこみ壊してしまっていました。随分と殴られたのでしょうか。兄二人は、まるでぼろ雑巾のようにそこに転がっていました。イワンは、その様子を目にしても兄たちを可哀想と思える心の状態を持てていませんでした。ただただ、心の奥の最後の何かがぽっかりと空いてしまったような気がしていました。そのまま、イワンは何も言わずにまた粗末な木の椅子に座りただただ目を閉じました。まるで現実逃避をするように。
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それでも、そのままの状態で目を閉じているのも昼までが限界でした。イワンはおもむろに立ち上がると、まだ倒れて気を失っている兄たちに、割れた水がめの底に残っていた冷たい水をひしゃくで汲むと、ばしゃりとかけました。びっくりして目を開けた兄二人は、ただただ呆然と末のイワンを見つめています。そのままの状態でイワンは、言いました。
「……兄さんたち、父さんが死んだよ。……兄さんたちが帰ってこなかった昨日の晩に。兄さんたち、僕らは、今日から僕らで生きていかなきゃならない。生きていかなきゃならないんだよ!」
最後は悲鳴のようになったイワンの声を聞き、痛む身体を引きずりながら起き上がった兄たちは真っ青な顔で言いました。
「……父さんが……」
イワンは、無言で、父が亡くなる際に兄弟たちに渡した手紙を兄二人にも手渡しました。
兄たちとイワンは、そのまま絶望した気持ちで手紙の封を切り開き読み始めました。
父が渡した手紙には、イワンに最期に話した言葉と、そして、最後の方にこう書かれていました。
『バジル、ロイ、イワン。私は、今までお前たちに黙っていたが、私は、昔、大悪党だった。その悪行で金銀財宝を手に入れたが、お前たちの亡くなった母さんの為に足を洗い、この貧しいながらも一国一城の農夫として清く正しく生きてきたのだ。そんな私の財宝はあの世には持っていけないだろう。お前たちにその財宝を引き継いで貰いたい。しかし、これには条件がある。その財宝は、あの収穫が終わった畑に隠してあってな。お前たちの3人の内、一番早く掘り起こして見つけた者にその財宝を好き勝手にする権利をやろう。これを私の遺言としよう』
と、書かれてあったのです。
三兄弟は、目を見開き、震える手でその手紙を捧げ持つとあるものは飛び上がり、あるものは嬉し気に笑い出し、イワンは、ほっとしたのか涙を流し、文字通り、狂喜乱舞しました。もう日暮れに近くなっていましたが、早いもの勝ちとばかりに兄二人が痛む身体にムチ打ちながら駆け出し、引きこもりで、幼少の頃から外に全く出なくなっていた外がこわい引きこもりのイワンですら、遅れてでしたが、負けずに飛び出しました。まるで、今まで何とも思わなかった畑が、光り輝いて見えるようでした。