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人が作り上げた世界、価値の生産

 今頃になってようやく分かってきたことが有ります。

 人間が生きるのは、所詮人間が作り上げた世界の中なんです。

 以前に書いたように、ノーベル賞だったりレコード大賞だったり、オスカー賞だったりと言ったものは結局のところ、大勢の人間が「凄いねー」「偉いねー」と褒めてくれる、その褒めてくれる人の数が格段に大きいだけに過ぎません。

 映画や小説、レコードの売り上げ数のランキング一位、累計一位という物も同様に、大勢の人間が買ってくれたと言うだけ、お友達がお金を払って自分の作ったものを買ってくれた事の延長線上にあるだけです。

 世のトップの世界に今までは神秘性や絶対性を感じて居ましたが、それは幻想だったと言う事です。

 例え風呂桶いっぱいの金塊を持っていようとも、それが人々にとって価値の無い時代であればただの石ころに過ぎません。

 小説で物凄い大傑作を書いたところで、大勢の人間が脳死で読めるお笑いラノベを評価して大勢がそちらを評価するのであれば、それは不当な評価だったのではなく、人間の支配するこの世界でそちらの方が価値が有ったのです。

 ワンルームのアパートに住む私はまるでバットマンのブルース・ウェインやアイアンマンのトニー・スタークが住む城の様な豪邸に憧れますが、それは人の世界の中での相対評価に過ぎません。

 今の私は300年前や1000年前の将軍よりも豊かな生活をして、夢の様に美味しい物を毎日食べています。


 私は孤高の世界で真実や真理に憧れ、求めるような傾向が有りましたが、私が人間である以上、最高の真実や真理は人間社会、同じ手足をもって顔を持ち、99%以上同じDNAを持った単一生物のある意味兄弟たちの中で、頂点に立つことにあったのです。

 孤独に到達する高い塔の頂上は、只の不毛の地でしか無かったのです。


 そして人間社会では様々な価値が生産されており、それは物質的な真実とは乖離した状態でやりとりされています。

 例えばVtuberなんて、無数の他者が連日苦しみ、残業を繰り返し、体を壊して作り上げたゲームを、他者が作り上げたプラットフォームで楽しく遊んでいるだけです。

 物質的な真実からすれば何も生産はしていません。

 しかし人間社会の中では無数の人々を楽しませ、価値を生産してそれを売りさばいているのです。


 人間関係でもそうです。

 物質的な真実を言えば、人間など例え老人であろうと未熟です。

 ほんの数世紀前までは魔女狩りをやったりしてますし、現代ですらオカルト詐欺が横行しているのですから。

 しかし例えば褒める、叱る、煽てる、追い立てる、様々な活動を通じて様々な架空の価値を生産してきました。

 サーバルちゃんが言う「すっごーい」という言葉、この一言で多くの価値を生産しているわけです。

 小学校の教師が良く使う、金賞シール、銀賞シールといったシールも接着剤がついた只の紙切れに過ぎません。

 私は小学生の当時から、そんなシールなどは空虚なまやかしに過ぎないと思っていました。

 純粋に喜んでいた子供が何割居たかは不明ですが。

 しかし今の歳になって初めて、その金賞シール、銀賞シールという物は世界の真理であったのだと気が付きました。

 架空の世界で、実際は只の非常識で社会人経験の無い教師であろうとも、目上の超越的存在によって祝福を受け、大勢のクラスメイトから称賛を得た証である金賞シールという価値を、教師は生産していたのです。


 どちらかというと職人タイプの私は、物質的な価値と人間社会的な価値の違いと、どちらが果たして世界での普遍的な価値なのかという商人的な悟りを、もっと早く知っておくべきだったのかも知れません。

 人との関わり、意思や感情の共有が苦手な私にとっては、この世界は砂漠だったと言う事です。

 まぁ分かったからと言って自分が面白いと思えない物を書くのは苦痛でしかないのでやりませんが。


 そして現在が過去の文明未発達な時代よりも本当に豊かになり、価値の高い物に溢れているかというとそうとも言い切れません。

 例えば昔の日本、江戸時代やそれ以前の時代では砂糖は貴重品でした。

 今でこそお菓子類など無数に存在し、飴ならまだしも羊羹なんてクドくて旨くない、和菓子も同様。

 歴史あるお菓子はマズイだけ……という感覚を持っていました。

 でももし江戸時代であれば、これらの甘い菓子は現代よりはるかに高い価値を持っていたに違いありません。

 飴細工とか様々な花や動物をかたどった和菓子は、見た目も美しく、食べると天国の様に甘い。

 現代よりもはるかに高い価値を、現代の数多の菓子類と比べ物にならない宝石に匹敵するほどの価値を持っていたはずです。

 そう考えれば現代社会において、和菓子は大きく価値を下げたのです。

 そして人間が菓子から受ける幸福の量は、実は相対的に大幅に減った、ひもじくなったと言えるのかも知れません。


 人に評価されるような価値を生産するには、人間社会向けの価値を追求し、なおかつその価値が絶対的な物ではなく流動的であることをしっかり意識して、様々な手段で高める事を考えなければいけないのかも知れません。


 まぁ、小説で言うならば飴と鞭、ストレスとカタルシスを上手く与えて、より飴の価値を上げないといけないですね。

 そこが相対性の部分です。

 読者が逃げない程度に、文章で読者の心をぶん殴らないといけない。


 と、思った事を書いてみました。

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