物語に対する私の好み
世の中には様々な媒体で、様々な人の創作した物語が有ります。
人気な物、有名な物は確かに見てみると苦痛を感じて離脱する事無く見続ける事が出来ます。
それだけ人に受けているのだから、創作物としては商業的に満点の出来なのでしょう。
ただし、やはり私には好みがあり、『見れる』と『好き』は違います。
日本の創作物の物語に多くて私が好きになれないのは、ほぼ100%が妄想で出来た産物です。
人物の言動、エピソードなどが完全に記号化したお約束だけで出来ており、表現しにくいのですが見ていると熱病にでもかかったような気だるさとか、リアリティが欠片も無くて生き物の本能としてのかすかな不安感や焦燥感を感じます。
これは、どんな何億円掛かって、何千人が携わった物語であろうとも、その大元の物語を作り上げたのはちっぽけな一人の人間であり、その人の限界が物語の限界だからです。
ただ一人の人間の脳内で世界の全てが描かれているから、迫りくる未知の外敵の様な物を感じさせない、脳の目を覚まさせてくれる刺激が無いからです。
子供の頃は、多数の物語をチープだなとか、ご都合主義が過ぎるなとか、女で釣り過ぎだとか批判的に感じていることが良くありました。
ただ、実際に自分がいくつかの小説を書く側になってみて、初めて創作する側の苦しさとか物語を白紙から作る難しさを感じ、今ではそう簡単な物では無いと体感はしています。
そして物語とは、実際に存在する無限大の事象の中から、作者が表現したい事象のみを切り出して繋ぎ合わせた物だから、感性や嗜好が合わない人間には違和感を与えるという事はなんとなく分かってきました。
話を戻しますが、じゃぁ私がどんな物語が好きなのか?
社会の中の様々な要素の、リアリティのある極意を教えてくれる物。
リアリティが重要で、完全な嘘っぱち概念でも物凄くリアリティが有って練り込まれた嘘なら引き込まれますし、稚拙な妄想と感じれば完全に萎えます。
リアリティのある失敗が描かれていて、人はどういう事を失敗したらどんな状況に陥ってしまうか、じゃぁそれを回避するにはどうすべきだったかが描かれている物。
十代の人間だけで作られた世界感では無く、実際の社会のように赤ん坊から老人までが存在する物。
有能から馬鹿、善人から悪人まで存在する世界、皆同じ様なのばかりなら本能が違和感を感じさせます。
物語に合わせて深みのある哲学的な思考が繰り広げられ、それが只の妄想に留まらない物。
只無為に時間を過ごすだけでは無く、そういう自分の成長を助けてくれる栄養素のある物語が好きです。
勿論それに加えて爽快で、面白い物というのは大前提です。
あとは冒険心を満たしてくれる物ですね。
正直なところ、現実社会ではインターネットも動画配信なども発達していて、大抵の事はすぐに知る事が出来る上に、大企業の発達や物資輸送技術の発達と効率化で、物の生産や建築を行うのに統一された規格のものが全国的に使われ、地域特性等も感じられません。
コンクリートもアスファルトも、建物の外観も屋根も町の風景もどこへ行っても大体同じです。
既に自分の年齢になれば、新種生物発見とかで自分が知らなかった珍しい外観の動物が見つかれば驚きで、ほぼ大体の物は知っています。
でもだからと言って物語の中で妄想で出来た怪物を出せば喜ぶかというと、その怪物にリアリティが無ければ多分本能的に感じ取って稚拙な妄想と感じてしまいます。
ここでのリアリティは、その怪物の生息状況や歴史、人との関わりの歴史、体の造りと生存戦略など。
自分で明確に意識はしなくても、それらを総合的に脳は判断して稚拙な妄想と判断してしまうのだと思います。
後は、それを見た主人公がどういった印象を受けるかというのもリアリティに関わってきますね。
ドラゴンが登場して目の前に居る。
「強そうだな! よし、この剣と盾で戦うぞ」
なんて風に、実際は思考回路が動かないでしょう。
別なものに目がいって、別な事が気になって、別な情動が沸いて来る。
紙と鉛筆をもって、もやっとした情報からもやっとした物語創造という嘘をつく側の視点で表現されていたら、多分本能的に違和感を感じます。
まぁコメディやギャグならいいと思いますが。
そして主人公が読者に変わって、色々な強い情動を感じてくれるもの。
そしてそれに共感出来る物。
色々な情動を体験するというのも冒険の一つです。
あとは周囲の風景やガジェットが完全妄想であっても面白いと感じる物もあります。
それは登場人物の掛け合いで、個性がしっかりと描けていて、違和感を感じさせない漫才のような物語ですね。
登場人物の趣味嗜好がリアリティという栄養素を持ちつつも、気性や育ちによってどんな思考回路で物をしゃべって、どんなことに驚き、怒り、嘆き、悲しみ、どんな強い点を持っているのか。
様々な人間を知ってないと描けないから物凄く難しい事だと思います。
そしてそれは本当にリアリティのある物なら、現実の人間関係でも通用するから、私の心が栄養素と捉えるのだと思います。




