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私が何故金にもならない小説を書くのか

 小説を書くってのは大変です。

 私は大体一話を2000字~3500字くらいで書いていますが、2時間くらいは掛かってますね。

 思った事をスラスラ書くだけならもっと早いでしょうけど、実際はググって調べている時間が多いです。

 例えば私は男なので、女性の髪形の名前なんて知りません。

 そうなると調べものタイムになります。

 物語を書いていると頻繁にそういう知らない事が出てきます。

 で、それを仕事から帰って一息ついてからの夜の10時とか11時から書き始める訳で、出来上がりは日付を跨いでしまいます。

 残業して帰ってきて、また残業しているようなもんです。

 ついちょっと前に魔法銃士ルーサーの物語がブクマ100越えたばかりの底辺なので、当然書籍化とかして儲かる訳でも無いし、なろうコンの一次通過すら出来ません。


 じゃぁ何でこんな報われないボランティアを細々と続けるのか?

 それは現実が糞面白くないからです。

 多分私は世間の人々の中でもかなり少数派な人間だと思いますが、例えば野球。

 子供の頃は地域の決まりみたいなもんでやらざるを得ず、プレイする側もちょっとはしましたが、まったく面白いとは思えませんでした。

 当然プロ野球とかを見る方もです。

 ボールを投げる、捕る、打つ、塁を走る。

 どこにも原始的な本能を呼び覚ます興奮は有りません。

 まだ鬼ごっこやドッジボールの方が楽しかったです。

 サッカーも同様。

 バスケも同様。

 バレーボールやテニスも同様です。


 じゃぁそういった『健康的な』お遊び以外にどんな健康的な楽しみがあるか?

 酒やビールは飲めますが美味いと思った事は有りません。

 タバコは吸いたいと思った事も無いし、肺がんになるリスクを抱えつつ1000円近くするんでしたっけ? それに依存して金を放出し続けたいと思いません。

 ギャンブル、パチンコ、競馬。

 まぁ人生の経験として一度くらいは行っておいた方がいいのかなと思ったりしたことも有りますが、どうしても行きたいとも思えないので今の所行ってません。


 料理、今の所フグやアンコウとかは食べたことが無いので一度くらい行ってもいいかなと思いつつ、どうしても食べたいとも思えないので今の所行ってません。

 どうせ知れてるでしょ?

 食い物なんて大体同じです。

 涙を流して感動で体が震えるなんて無いでしょう。


 世の中つまらないですよね。

 世界がゾンビで溢れたらどれだけスリリングで興奮する事か。

 でも実際は人間が作り上げるこの世界の出来事なんて知れてるし、未知の冒険も無い。


 そうなって来ると残るはゲームとか小説しかありません。

 今はVRとかが有るので多分私が生きている間にスリリングな体験を出来るであろう事だけは幸運かも知れません。

 そして小説をどうせ書くなら非日常が一番楽しい。

 そうなってくると一番はSF、次点でファンタジーになるわけです。

 自分が楽しいと思える内容を書きます。

 一日の中で私の情緒はアップダウンを繰り返しますが、音楽で気分を盛り立てて、最高にハイな瞬間で書くのがベストです。


 本当は今の時代MMDとか有るのでドラマとかを個人で作ることも理論上は可能なんですよ。

 SFの近未来の世界で、ビルからビルへ飛び回るドラマを主観視点や後ろ視点でVRで見れるように作るのも理論上は可能。

 本当は私はそういうのがやりたいのですが、現実的には時間が無くて無理です。

 そして各種ツール類に習熟する時間もかかります。

 そして膨大な時間を使ってそれらを仮に実現したとして、それを見て共感してくれる観客がほとんどいないと空しいです。

 なんか作ってみたら大ヒットしちゃって凄い事になっちゃった。

 そんな人は羨ましいですが、私にはそんな先祖の加護は一切ついてませんので確実に無理です。

 じゃぁその大きな労力を掛ける創造物の根幹は何か?

 それは物語、つまり小説です。

 ここがスベったら話にならない訳です。

 そして小説を書くのは上記の創造物を作るのに比べればはるかに楽です。


 大勢の人々が行き交う未来都市で、主人公のアンドロイドはとぼとぼと歩いていた。


 文章なら書くのは十秒です。

 VRシーン構築するなら、町の構造モデリング、通行人を何人分もモデリングしてテクスチャを貼り、ボーンを入れて歩かせる。

 フリー素材を探しまくりつつ最悪自分で録音して効果音を集める。

 場面の構築に必要なプログラミングを行う。

 一人じゃ何の事前準備も整って無ければ三ヶ月掛かって出来るかどうか。

 そして作り上げた結果が『つまらん、ブラバ』じゃあんまりです。


 だから小説を書いています。

 読み専の人には分からない、作者側の感情を言わせて貰うと、長期間かけて構築した物語は、確かにそこに存在しているような感覚が沸いてきます。

 只の妄想だった登場人物が、本当に人格を持って人生を持って生きてくるような感覚があります。

 それを見て『わしが育てた』と悦に入るのは若干楽しいです。

 小説や物語なんて要するに嘘なんですが、多くの労力を割けばその嘘にリアリティを感じる気がしてきます。

 本当はもっと時間が有ればライブ感じゃなくちゃんとプロットを作って芸術作品を作れるんでしょうけど無理ですね。

 でもそこに心血を注いで完璧な納得がいくものを作れる幸せな人は、私よりもっと達成感を感じるでしょう。

 纏めると小説を書くのは、老人が盆栽や陶芸をやってるのと似たようなもんです。

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― 新着の感想 ―
[一言]  私も書きたい内容は頭の中に思い付くのですが、それを文章で表現すると頭が沸騰しそうになります。  やはり色々な作品を読みあさって、文章力や表現力を磨くしかないのでしょうね。
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