第四十四話 大脱走
第四十四話 大脱走
空気が細い管を通り、鋭い独特な音を奏でている。幾度かの曲がり角を通ると、無数の板がついた七色に輝く羽根車を回す。勢いが乗ったそれは高速で回転しており、甲高い風切り音を狭いケース内に響かせた。
羽根車を支える軸は別の部屋へと伸びており大小様々な歯車に接続されていて、さらに発動機へとその動力を伝えている。適度な回転数に落とされた運動エネルギーは発動機を介して電気エネルギーへと変換される。その電気エネルギーは各種装置や無線、人工筋肉を冷却と保存する為の循環液を送るポンプを駆動させている。
それとは別に、七色の歯車が回転させて高密度に圧縮した空気は別のこれまた複雑に入り組んだ狭いケースに送られる。これは断熱圧縮により高温となった空気を冷却させる為の装置で、入り組んだケースは熱伝導率の非常に良い金属を使用している。
ほどほどに冷まされた圧縮空気はさらに次のケースへと送られる。その空間は小さな板が無数に並べられた奇妙な部屋だった。板は層状に、かつ整然と配列されており、圧縮空気はその隙間を縫って通り抜ける。この板は操縦士と人工筋肉を繋ぐケーブルにも利用されている、理力を伝導させる特殊な金属が使われているという。
この板の隙間を圧縮空気が通るとき、空気に含まれる理力が特殊金属を介して吸収され、機体各所へと伝えられる。その理力の一部と操縦士から送られる理力が合わさり、七色の羽根車を回転させる動力に使われている。これこそが先生の開発した理力エンジン、その機構の心臓部だ。
「……という仕組みでこの理力エンジンは稼働しているデスよ。ユ……ウチの専用操縦士は特殊な訓練を受けているので出力が五割増しになっているのデス。それと普通の操縦士だと始動するときにちょっと必要な理力が大きくなるんデスが、これはエンジンの調整と予備バッテリーでなんとかなるデス。ま、それは後で解説しましょう」
ここはグレイブ王国の技術開発省。そこが管理する工廠の一つだ。
ホワイトスワン隊がグレイブ国王の姪にあたる人物、ネーナを誘拐してから一週間。彼女の身柄を無事にマーティン外務大臣に引き渡した後、予定通りに理力エンジンの量産が開始されたのだった。だが、その量産体制はすでに整っており、王国の管理する工房はフル稼働でエンジン製造を進めている。なので量産第一期は初期設定を残すばかりとなっている。
これほど短い期間で理力エンジンが量産出来たのには理由があり、実は理力エンジンの設計図、及び生産工程についてのデータ群はすでに王国へと秘密裏に届けられていた。これは量産に掛かる時間を少しでも短縮させようと、先生とバルドーが計画段階から提案していた事だった。もちろん万が一の事を考えてあり、もっとも重要なエンジンの心臓部を構成する部品の細かい調整などは先生が現地到着するまで秘匿することになっていた。
つまり先生からすれば、グレイブに到着した時点で理力エンジン量産は八割方は完了しているはずだった。なので例のネーナ誘拐事件を引き起こす事になった王国の事情と協力拒否はまさに寝耳に水だったのだ。理力エンジン量産に関する協力体制の取引云々は全てバルドーに一任されており、そのバルドーが王国に出し抜かれた結果なのだろうか。
「あのタヌキジジイの事だから、最初からこれも織り込み済みだったのかもしれないデスね」
と、後に先生は恨みがましく呟いていた。その辺の事情もあったため、王国の関所で先生は荒れていたのだろう。
「さて、今回はこんな所ですかね。残りはは昼メシ食ってから続きをやるデス。今日渡した資料を忘れるなデスよ。それじゃあ解散」
それと同時に先生の周りにいた技術者はバラバラと散っていく。彼らは先生から貰った理力エンジンに関する資料を読みふけり、互いに意見を交換している。その様子を見ながら、先ほどまでアルヴァリスの理力エンジンを動かしていたユウは機体から降りて先生の下へと歩いていく。
「お疲れ様です、先生」
「お、ユウもお疲れデス。それじゃあ私達もメシにしますか。今日は食堂行きましょう」
今日の昼食にはエビフライが出るんデスよ、と先生は工房の外へ向かいながら話す。
「しかし、ああして講義の様子をみていると本当に先生って感じがしますね?」
「それはドウイウ意味デスか。私は天才だから教えるのも天才級なんデスよ!」
「いや、変な意味じゃなくて……もしかして、昔は本当に教師をしていたとか?」
「……フッフッフッ、ユウはどう思いますか? あ、でもこんな超絶美人女教師が大学なんかで教鞭をとっていたらみんな勉強どころではないデスね! いやぁ、私ってば、罪作りなオ・ン・ナ」
「あぁ、ハイハイ。それで、本当はどうなんですか」
「スルーするとはいい度胸デスね、ユウ。さて、実際はどうなんでしょう? その辺はご想像にオマカセって奴デスよ」
そう言いつつ先生の歩みが早まる。と、いつの間にか目的の食堂前まで来ていた。ここは工房に勤務する技術者の為の小さな食堂だが、先生やホワイトスワンのメンバーも利用を許可されていた。というよりもその立場上、国賓以上の警備体制で先生は監視されている。もちろん先生の行動を危惧しての事ではなく、これは以前アルトスでの暗殺未遂の事もあり油断は出来ないとユウが提案したのだった。これにはマーティン外務大臣も難色を示したが、最終的にユウとクレアに押し切られた。
そのお陰で、たとえ王都であっても先生の周囲には常に警備の兵がまとわりつき、そうそう街の飲食店などは利用出来なかった。そんな先生にとってここの食堂はホワイトスワンと工房内以外で羽を伸ばせる数少ない場所になっていたのだった。
席に着き、先生の目当てであるエビフライ定食を二つ頼む。給仕が運んできた少し冷たい水を一口飲むと先生は窓の外を眺めて言った。
「そういえば今日はまだデスかね? アレ」
「ああ、アレですか。街の方も騒がしくないし、今日はもう無いと思いますよ」
「いや、きっとまだあるデス。アイツはそう簡単に諦めるようなタマじゃないと私は感じるデス」
ふと、ユウは何かを感じる。机の上に置いてあるコップの水がわずかに波紋を作る。非常に小さいが、地面が揺れているのだ。
「ひょっとしたら、丁度今からかもしれませんよ?」
やおら外が騒がしくなった。どうやらここの工房からほど近い理力甲冑の格納庫で何か騒ぎが起きているようだ。
「後で誰かに聞いてみますかね。とりあえず今は目の前のエビフライ! デス!」
先ほどと同じ給仕がエビフライ定食二人前を運んできた。大きなエビフライの皿にパンとスープにサラダという、ごくありふれた組み合わせだ。このエビはグレイブの特産の一つで、大陸北部の近海から水揚げされたものらしい。大ぶりな身はプリプリで、甘味が強いのが特徴だとかでグレイブを始めとした近隣の土地ではよく食卓にのぼる食材だ。
「おっ、衣はサクサク、身はプリプリでメチャクチャ美味いじゃないデスか!」
先生は早速、エビフライを頬張りその大ぶりな身を噛みしめる。衣とエビの割合も程よく、味も噂通りの甘さと旨味が口いっぱいに広がる。
「うん、確かに美味しいですね。ここまで美味しいのは僕のいた世界でもそうそう無いんじゃないかな?」
「きっと、作り方や揚げ方なんかは大昔に帝国ホテルのシェフにでも教わったんでしょう。このタルタルソースもなかなかイケるデスね」
「ん? 帝国の?」
ユウが質問しようとした瞬間、机がガタリと跳ねる。いや、地面が大きく揺れたのだ。
「何デスか一体、ゆっくり食事も出来ないデスよ!」
「先生、多分アレのせいです」
ユウが指し示したのは、窓の向こうに立つ一機の鈍色をした理力甲冑だった。警備にしては挙動がおかしく、辺りを警戒しているようだ。と、どうやらその周囲を別の理力甲冑に数機がかりで取り囲まれているらしかった。
「お、今日は理力甲冑を強奪したようデスね。ここまでやって来たのは新記録じゃないんデスか?」
「日に日に手口が巧妙になっているらしいですよ。三日前はお城から搬出されるゴミに隠れて脱出を図ったとかなんとか」
「……凄い奴デスね、ネーナは」
外の取り囲んでいる理力甲冑の一機から声が聞こえる。外部拡声器の音が少し割れており、耳に痛い。
「お嬢様! 危険ですから早くステッドランドから降りてください!」
「お黙りなさい、ディック! あなた達こそ、私の行く手を阻むのは許されませんわ! いいからそこをお退き!」
「いくらお嬢様の命令でもそれは聞けませぬ! というよりも、何がご不満なのですか?! 城での生活は何一つ不自由なく快適にお過ごしできるように皆、尽力しております!」
「だから、それが不自由なんですの! 私はもっと自由な存在でありたいのです! 囚われの鳥かごを脱し、自由な空を翔ける! 嗚呼、きっとこれはその為の試練なのですね! 私、負けない!」
「お嬢様、変なことを言ってないで早く城へ戻りましょう!」
自分の世界に入り込んでいるネーナを取り囲んでいる警護の操縦士も大変なのだろう、今にも泣きそうな声でお嬢様と呼び続ける。
「そうですわね、さしあたってはクレメンテの街なんかが最初の目的地にいいですわ。そこの貴方、クレメンテはどちらの方角ですの?」
突然、質問された理力甲冑の操縦士は思わず答えてしまう。
「えっ?! ク、クレメンテならここからだとずっと東ですが……」
「分かりましたわ。とりあえず東に向かえば良いんですのね!」
「ハリー、答えんでいい! お待ちくださいお嬢様! クレメンテまでは馬車で半月は掛かりますぞ! 理力甲冑でもそう大して変わりませぬ!」
「うぐ、半月……いえ、いえ、それくらいで私はへこたりはしませんわ! そ、それに一度くらいは野宿というものを経験して見たかったんですもの!」
半月もかかるなら野宿は一度で済まないのでは、とユウは心の中でツッコむ。それにしてもユウと先生はこの騒動でも落ち着いてエビフライを食している。食堂にいる他の技術者や料理人、給仕も特に驚いた様子は見受けられない。
それもそのはず、ネーナの脱走騒ぎはこの一週間のうちにこれで二十三度目を数える。もはやこの騒動は王都の日常と化してしまったのだ。
はじめのうちはユウ達や王国の者も慌てて探し回ったが、五度目の頃から皆一様にまたかと思い始め、十度目を越えた辺りからそれは日課となっていた。毎度毎度、騒ぎが大きくなるため、王都の人間も次第に慣れていくのも無理はない。
「きっと、あの屋敷でも彼女は脱走を繰り返していたんでしょう。だからあんなに警備の者がいたんですよ」
何度目かのネーナ捜索に駆り出されたレオがボソリと言っていた言葉を思い出す。確かに、いくら名門貴族とはいえ片田舎に疎開した先であれほどの警備は異常といえるほどの規模だった。恐らく、あの警備の者たちもさぞや苦労したのだろう。
「それにしても、ネーナは操縦が上手いですね。本当にあれで貴族のお嬢様なんですかね?」
「ヨハンが言うには、どうやら昔から理力甲冑を乗り回してたんじゃないかって言ってましたね。ステッドランドの操縦席に入った時、やけに手慣れた様子だったらしいデスし」
「ああ、ひょっとして屋敷の警備に理力甲冑がいたのってもしかして……」
「ま、ただのワガママ娘じゃないって事デスよ。いくら素質があっても理力甲冑を動かすのは結構大変デスからね。アイツ、見た目の割にガッツがあって私は好きデス」
(変人同士、気が合うのかな……)
「ユウ、言いたいことはハッキリ言った方がいいデスよ?」
「い、いえ? なにも思ってないですよ!?」
若干引き攣った笑みを浮かべるユウを先生はジトっとした目で見る。
「そ、それより! ホラ、戦闘に入りましたよ!」
ユウは無理やり話題を逸らそうと再び窓の外を指さす。見ると、ネーナの乗るステッドランドは徒手空拳のまま両手を構える。少し腰を落とし、上半身を横に向けて半身だけを相手に向ける。その立ち振る舞いは静かで滑らか、まるで生身の人間を思わせる。
「うーん。アレ、空手デスかね?」
「どうなんでしょうか、僕は実際に見た事ないんでよく分からないですけど」
すり足でジリジリと、取り囲んでいる理力甲冑の一機に近づくネーナ機。相手はネーナを取り押さえるために剣や小銃は装備しておらず、盾を左腕に取り付けているだけだった。
飛び掛かってくるのを警戒してか、盾を前面に構える警護の理力甲冑。ネーナ機が自身の間合いに入った瞬間、周囲に轟音が響き、突風とも思えるような激しい風が巻き起こる。機体の左足を軸足にし、相手の理力甲冑の頭部目掛けて右足を蹴り上げる。いわゆる、上段蹴りだ。
ユウはその動きの速さと正確さに思わず見とれてしまう。理力甲冑はなるべく人体と同じような構造になるよう工夫されているが、特に足や腰の関節の可動域は僅かに差が生じる。そのため、新人操縦士の訓練では理力甲冑で歩く事によってその違いを体に覚えさせるという。
(比較的、人間に近い構造のステッドランドとはいえ、あんなに綺麗な蹴りが出来るなんて……)
ユウの素人目にもその蹴りのキレは鋭く、実際、それを受けた理力甲冑の頭部は首からもげてしまいどこかへ飛んで行った。一体、このような技術と技はどこで学んだのだろう。それとも帝国貴族の子女はこうした空手の一つや二つ、習得しているのが普通なのか。
「ところでユウ。理力エンジン量産もあと数日で目途が付きそうデス。なのでそろそろ次のお仕事に取りかかろうと思うんデスよ」
「次の仕事? クレアからは次の任務なんて聞いてないですけど?」
「そんなもんは後回しデス。それより、私のアルヴァリスとヨハンのステッドランド、いい加減に修理しなくちゃいけないんデスが……」
先生は最後のエビフライの尻尾を口に頬張りむしゃむしゃと咀嚼する。
「今までの戦闘で色んなデータが取得できたので、それを元に機体の最適化をしたいんデス。平たく言うと改造デスね。ついでにあちこちガタがきてるステッドランドもただ修理するだけじゃ面白くないデスからね、ヨハンの戦い方に合わせた機体にしようと思うんデスよ。いやぁ、ここの工房が作ったっていう理力甲冑を見てたら色々とアイデアが湧いてきたんでこの機会に形にしておきたいんデス!」
改造。その妙に心震える単語を聞いたユウは急にソワソワしだす。
「も、もしかして……レフィオーネみたいに飛行機能を?!」
「いや、それは無理デス。アルヴァリスじゃ重すぎて実戦に向かないデスよ」
先生は両の手を交差させて大きなバツを作る。一瞬のうちに希望を打ち砕かれたユウはがっくりと肩を落としてしまう。
「全く、落ち込み過ぎデスよ。飛行は出来ないけど、私が今考えているのは…………で、これは…………を可能にし、ユウの戦い方に合ってると思うんデス。ユウはどう思いますか?」
「なるほど。確かに戦闘中、そこら辺がなんとかなればいいなって感じてましたね。でも本当に出来るんですか?」
「理力エンジンのデータもたくさん蓄積できましたし、ここならユウに合わせた新造のエンジンを作れると思うんデス。そうすれば出力に余裕が出来るし、この改造プランも実現するデス」
「あ、そうだ。ついでにあの大剣の鞘も作ってくださいよ。今のままだと抜き身で危ないから」
ユウが言っているのはかつて、エンシェントオーガが使っていたナイフの事である。なんの手違いか、あの激戦の後にアルヴァリスと一緒に回収されたのだが、鞘は付いてこなかった。そのため、ホワイトスワンの格納庫に仕舞う時や出撃する際、少々不便な思いをするのは少なくない。
「そうデスね、それと背中にマウント出来るラッチを増設しましょうか。こんな感じでユウからも要望を出して欲しいんデス。全部は無理デスが、なるべくならユウが戦いやすいようにしてあげたいデスからね」
「じゃあアルヴァリスに飛行形態とか変形機能を……」
「無・理! デス! どんだけ空を飛びたいんデスか! それならクレアに頼め! デス!」
ユウの思いは儚くも、空しく消えていった。その窓の向こう、ネーナの乗るステッドランドは今、四機がかりでなんとか取り押さえられている所だった。その周りには無数の理力甲冑の残骸が。一応、操縦士は無事のようだが、どの機体も的確に人体の急所付近を破壊されているのが分かる。
「は~な~し~な~さ~い~!」
「お前達、絶対に離すなよ! このまま機体を押さえ続けるんだ! よしトム、今のうちに機体のハッチをこじ開けろ!」
通算、二十三度目の脱走も失敗に終わってしまった。しかしネーナの目は未だ闘志に燃えており、早くも次なる脱走計画を練っているのであった。
「私はこの程度で諦めたりはしませんわ! 待っていなさい、未だ見ぬ自由よ! あっ、ちょっ、待っ、無理やりハッチを開けるのは不躾でなくて?!」
ちなみにその数時間後、二十四度目の脱走計画も失敗に終わったのは言うまでもない。




