第二十五話 憤激・3
第二十五話 憤激・3
「――まったく、いつまで暴れるつもりなのかしら?」
クレアは思わず大きなあくびをしてまう。
レフィオーネは少し高い位置で滞空を続けているのだが、何もせずにただ飛び続けているのがもうかれこれ二時間は経っているはずだ。月夜の荒地には二体の怒り狂える鬼。手にしたこん棒を手当たり次第に振り回し、地面を踏みつけ、天に向かって咆哮を上げ続けている。ここまで暴れまわっているのはそれもこれも先生特製の罠によるものらしいが、これまで以上に奴らをキレさせるとは、一体どんな罠だったんだろうか。
上空を飛行するレフィオーネには気が付いているのか、いないのか、分からないが彼らはただひたすら癇癪を起したように暴れるだけだった。クレアとしてはこちらに何もしてこないので、疲れた体を休めるにはちょうどいいばかりに遠巻きから眺めている。
「それにしても、もうとっくに50時間以上は暴れ続けているのよね。どんな体力してるってのよ……」
クレア達も疲労が色濃くなっているが、それでも何度も交代を繰り返してそれぞれ休憩や睡眠はとっている。しかし、エンシェントオーガ達は作戦通り、ほとんど食事も睡眠もとっていないはずなのに、あれほど暴れる体力を残していた。最初よりは動きにキレが無くなっているが、それでも力強い一撃は健在のようだ。このままでは援軍の部隊と合流しても歯が立たないのでは、と思わず考えてしまう。
「いえ、弱体化しているのは確実だから、このまま続けるしかないわね……」
ふとした気の緩みか、これまでの疲労の蓄積からか、クレアは一瞬だけエンシェントオーガから目を離す。
この瞬間を狙っていたのか、それともただの偶然なのか。一体のエンシェントオーガが遥か上空のレフィオーネに向かって節くれだった左手の人差し指を向けていた。その指先がポッと光ったかと思うと、揺らめく陽炎のような空気の塊が一直線に走っていく。その塊がレフィオーネに当たった瞬間、突然スラスターの圧縮空気が止まってしまった。
「何?!」
クレアは突然の落下に驚くが、すぐに対処しようとする。しかし、何故かスラスターの出力が上がらず落下の勢いは止まらない。
「このタイミングで壊れたっていうの?!」
クレアは限界まで出力を上げようとするが、機体背部に搭載されている理力エンジンは静かなままだ。しかし地面と衝突する寸前、エンジンは突然息を吹き返したかのように吸気と排気を再開しだした。スラスターから再び圧縮空気が送りだされてなんとか墜落は免れたが、どうにもまだ調子が悪いようだ。
「いったいどうしたっていうのよ!」
思わず大声を上げてしまうが、機体の不調は直るはずもない。噴出される圧縮空気が弱いため、地面スレスレを不安定に飛び続けるしかない。
(長時間の稼働でどこかの部品が壊れたの? でも応急とはいえ先生とボルツさんがちゃんと点検してくれてるはずだし……)
原因を考えるクレアは視界の端にこちらへ人差し指を向けるエンシェントオーガの姿が映る。一体何の真似だろうか。そう思っていると再び指先が光り、揺らめく空気の塊がこちらに向かって飛んでくるではないか。クレアは嫌な予感がして急いで避けようとするが、今の出力では急な回避運動は出来なかった。空気の塊がレフィオーネのつま先にかすった瞬間、またスラスターは沈黙してしまう。
「奴ら、何をしたのよ!」
レフィオーネは急に崩れた姿勢をどうにか戻しつつ、地面を滑るようにして着地させる。このままではマズい。飛行可能という大きな優位性を失ったレフィオーネは羽を折られた鳥だ。スラスター無しの機動性はハッキリ言って低い。
「ユウ! 聞こえる?! ちょっとヤバいことになったわ、悪いけど急いで交代してくれる?」
「…………クレア、現在位置は?!」
良かった、無線は無事なようだ。手短に今いる場所と機体の不調について説明する。しかしモタモタはしていられない。大きな足跡を響かせながら二体のエンシェントオーガがこちらに近づいてくる。
「ユウ、気を付けて。奴ら、理力甲冑の調子を狂わせる何かを使うわ」
レフィオーネはスラスターだけでなく全身の動きが悪くなっている。もしや、理力の流れが悪くなっているのか?
しかし、何故こんなタイミングで理力の流れを狂わせる攻撃を? もぅと早くに使っていればエンシェントオーガは有利に戦えたはずだ。
クレアは必死に機体を走らせながら考える。最初に調子が悪くなったときの状況は……上空でじっと止まっていた。そのあと、一体のオーガがこちらを指差し、何か光ったと思うと陽炎のように揺らめく空気の塊が飛んできた。そしてさらに調子が悪くなったということは……。
「そうか、どういう理屈かは分からないけど、あの攻撃は簡単に避けられてしまうのね」
空気の塊はあまり速く飛ばせないらしい。だから機敏に回避する理力甲冑相手にあの技は使えなかったのだ。しかし、上空で油断していたレフィオーネは格好の的だったのだ。
「慢心、ってやつね……」
後悔は後でも出来る。今はユウと合流しなくては。
理力エンジンの調子が少し戻り、腰から伸びたスラスターから徐々に風切り音が聞こえてくる。飛行は出来ないが、跳躍の補助にはなるか。
月明かりにその大きな影がレフィオーネに延びてきた。もうすぐ後ろにまでエンシェントオーガ達が迫ってくる。その顔は凄まじい怒りにも見えるし、獲物を捕らえる瞬間の笑みにも見える。
もう何度も振るわれているが、一向に劣化する気配がないこん棒が天高く掲げられた。その重量と恐るべき膂力によりその一撃は鈍器の範疇を越えている。
レフィオーネは圧縮空気を絞り出すようにオーガ達の一撃を右へ左へと懸命に避ける。しかし、こん棒が地面に叩きつけられる度に土砂や小石がまるで散弾のように飛び散り、華奢な機体に少しずつ損傷を与えていく。
「くっ! 離脱出来ない?!」
理力エンジンの調子はまだ悪い。それに加え、小石の散弾がスラスターを傷つけさらに圧縮空気が弱くなる。このままではジリ貧だ。なんとか状況を打破出来るようなものは……。
クレアは意を決してそのタイミングを図る。叩きつけられたこん棒が再び振り上げられた瞬間、不調の理力エンジンに活を入れスラスターを思い切り吹かせた。
垂直に跳躍したレフィオーネはエンシェントオーガの顔の高さまでくると、そのまま機体を反転させて相対させる。一瞬、エンシェントオーガがニヤリと笑った気がしたが、クレアは構わずに右手に持った長銃を持ち上げて引き金を引く。
乾いた銃声と共に、エンシェントオーガの顔から血が滴り落ちる。超至近距離で放たれた銃弾はオーガの左目を破壊し、脳髄にまで達し――――てはいなかった。
唐突に片目の視力を失ったオーガは混乱と怒りでその場に立ち止まり、こん棒を振り回す。
やった。倒せなくても、これで奴らの攻撃はいくらか弱まる。
「?! もう一体は?!」
左目を押さえて悶えるエンシェントオーガとは別のもう一体はどこに。
その瞬間、クレアは激しい衝撃に意識を失いそうになってしまった。
何が起きたのか分からない。体のあちこちが痛む。上下の感覚が掴めない。
痛みで意識が遠くなりそうになるが、なんとか目を開けて今の状況を把握しようとする。
前面のディスプレイがひび割れ、ノイズが混じった映像を映す。どうやら地面に横たわっているようだ。向こうの方ではエンシェントオーガが笑っているのか、厳めしい顔は口角をひきつらせ肩を震わせている。
……そうか、もう一体の方に殴り付けられたのか。僅かな記憶を辿ると、激しい衝撃の前に大きな拳が見えた気がする。こん棒で叩き潰されなかっただけマシではあるが。
機体は動くのか? 両手を操縦桿に伸ばそうとするが、力が入らない。腕の骨は折れていないようだが、このままではやられてしまう。
二体のエンシェントオーガが近づいて来るのが分かる。
……万事休す、か。
クレアは静かに目を閉じる。
「クレアーッ!」
突然、無線からユウの声が聞こえた。
それと同時に激しい衝突音が聞こえる。
思わず目を開けると、画面の中ではエンシェントオーガに飛び蹴りを食らわせている真っ白な機体が見えた。
「ユウ……あとは……たのむわ」
安心と疲れでクレアの意識はそこで途切れてしまった。




