第二十二話 白狼・1
第二十二話 白狼・1
今日もホワイトスワンは大地を走る。
クレメンテの街を出てから数日が経ち、一行は大陸を順調に北上している。
「うう、なんか今日は冷えるな……」
ブリッジに向かうユウは体を震わせている。日を追うごとに気温が下がっている気がするが、まだ冬には早いはずだ。
「ずっと北上してるし、山に登ってるから気温が下がるのかな」
ユウはこの大陸の地図を思い出し、クレメンテを北上していくと大きな山が立ちはだかっているのを思い出した。この辺の標高が分からないので体感になるが、とっくに10℃を下回っているんじゃないだろうか。そんな事を考えながらブリッジに入るとボルツが操縦席に、その横に先生が立っていた。
「ユウ、ぶるぶる震えてどうしたんデスか」
「いや、めっちゃ寒いからですよ……」
先生とボルツはちゃっかり温かそうな上着を着こんでいるから平気なのだろうが、ユウは着の身着のまま異世界に召喚されてしまい、服などろくに持っていない。こちらの世界に持ってきたものなど、バイクと今は充電が切れてタダの板切れになったスマホくらいだ。
「先生、もうかなりの高緯度です。それにこの辺りはデルトラ山脈が見える頃ですからね? 年間を通じて平均気温が低いんですよ、ここは」
ホワイトスワンは大陸を北上し、北の海岸沿いにグレイブ王国を目指す。その道中、大陸のやや北側には東西にデルトラ山脈が伸びている。この山脈は裾野は広くなだらかな高原にもなっているので、この地域は酪農や高原野菜の栽培が盛んになっている。
しかし、高原を超えて山間部に入ると途端に険しい山々が姿を現す。高い標高は年間を通じて気温が上がらず、山頂部は常に真っ白な雪で覆われている。切り立った山肌は人の行く手を遮り、さらには独特の魔物が多く住み着いている。
そのため、古来よりデルトラ山脈は人間を寄せ付けず、ある種、神聖視されている。しかし、険しい山脈を避けていけばそこまで交通路としては支障がないので、ホワイトスワンは他の旅人や行商人と同様に山を迂回して高原を抜ける道を辿っているのだ。
「いや、ほら僕は服をもってないんですよ。ついこの前こっちに来たんだから」
「ああ、そうでしたっけ? 不憫な奴デスね」
先生が捨てられた子犬か子猫を見るような目をしている。不憫な子扱いされてしまった。
「ユウ君。次の町か村で防寒着を買いましょう。この辺りの町なら上から下まで一式揃うはずです」
ボルツはホワイトスワンを操縦しながら地図を横目で見て次の拠点を探す。
「えーと、朝出発してからこれだけ時間が経ったから……この位は移動してて……一番近いところは……」
だんだんと前方よりも地図の方に視線が移るボルツ。あの、よそ見運転は危ないですよ? ながら運転は事故の元なんですよ?
ユウの心配を余所に、ボルツは地図を見ながら器用に操縦桿を操り、ホワイトスワンの巨体を右へ左へ障害物を避けていく。時折、理力甲冑の何倍はあろうかという巨木をかすめながら走るのでユウは気が気でない。
「あー、ユウ君。一番近い村はこれから三日後の所にありますね。それまで我慢してください」
三日後? 三日もこの寒さに耐えなくちゃいけないのか? ホワイトスワンのブリッジから見える外の景色が少しずつ白くなっていく。だいぶ標高が上がってきたせいか、雪がチラつきだした。
「すみません。僕は次の村まで自分の部屋に引きこもってるので、その間の食事はみんなで何とかしてくださいね」
「ちょっと! この中で一番料理が上手いユウが引きこもったら駄目デスよ! 私を餓死させるつもりデスか!」
「いえ、もうそろそろ限界です。寒いです。というかなんでこの艦には暖房が付いてないんですか!」
ホワイトスワンは長期間の作戦行動を想定しているため、一通りの生活に必要な設備はそろっている。しかし、何故か冷暖房は完備されておらず、特にここ最近は寝るときに布団にくるまって寝なければ寒くて仕方がない。
「いやぁ、ホワイトスワンは試作艦デスからね。実際に運用してこそ改良点が見つかるというものデス」
先生はこういう事は仕方がないという風に言うが、要するに設計の段階で気が付かなかっただけだろう。……天才のくせに、こういうところは抜けているというか。
「ムッ! ユウ、今この天才を馬鹿にしましたね?!」
「うっ?! イヤ、そんなことはありませんよ? ただ、天才でも気が付かないこともあるんだなぁ、と」
すると先生の顔が見る見る間に赤くなり、ほっぺたをぷくりと膨らませる。
「うっさいうっさいデス! この天才を馬鹿にすると怒りますよ!」
まるで子供のように怒り出す先生。本当に中身はユウよりも年上なんだろうか。このままでは手当たり次第に物を投げつけてきそうなので、ユウはブリッジから退散することに決めた。
標高が高いせいか、さっきまで晴れていたかと思ったのが急に曇ったりする。山の斜面を昇る気流のせいで天気が不安定なのだろう。
しかし、これはちょっと異常じゃないのか?
「なぁ、ヨハン。ちょっとその上着を貸してよ」
「え? 嫌ですよ。寒いんだから」
「くっ……じゃあ、クレア?」
「……貸さないわよ変態」
変態呼ばわりされてしまった。いや、こっちは薄着を無理やり重ねて着ているんだぞ?一枚くらいは貸してくれてもいいじゃないか。
ホワイトスワンは高原を順調に進んでいた。今の季節、かなり冷え込むことはあるが、そんなに心配するほどではないだろう。そう言ったクレアはモコモコの暖かそうな上着とズボンを自室から取り出していた。ヨハンも自前の防寒着を着ている。
先ほどまでは雪がちらつく程度だった。寒さも我慢出来なくはなかった。それが今では、外は猛吹雪。それによりホワイトスワンの内部もかなり寒くなってきていた。
「……クレア。この時期は心配するほど寒くならないんじゃなかったっけ?」
「……知らないわよ、自然のやることなんだから」
三人はあまりの寒さに、ひとまず食堂に待避していた。さっきまでいた格納庫は金属製の床や壁をしているのと、ユウが破壊したハッチはまだ直していないので寒風吹きすさぶ空間となってしまっている。とてもじゃないが我慢できる範囲を大きく超えて冷え込んでしまった。今頃、アルヴァリスは吹き込む雪で真っ白になっていることだろう。……あとで雪かきしなくちゃいけないのかな。
ユウはとりあえず即席で作った簡単なスープを啜る。……もう冷たくなってきてる。あまりの寒さでスープはすぐに冷めてしまい、ユウはガタガタと寒さに震えていた。
「まぁ、ここまで吹雪くなんてそうある事じゃないわね、きっと。今年は冬が早いのかしら?」
「こっちの辺りはあまり知らないンスけど、雪ってこんなに降るもんなんですか? アルトスじゃあ、もう何年も積もったこと無いし」
クレアとヨハンの出身地であるアルトスは大陸のほぼ中央に位置しており、冬でもそこまで寒くはならないので滅多に雪は積もらない。なので、ヨハンはこんなに雪が降っているのは初めて見るのであった。
「いつも話に聞く、雪遊びってやつをやってみたかったけど、ここまで寒いとちょっとなぁ……」
最初は興奮ぎみにはしゃいでいたヨハンも、さすがにこの寒さには参っているようだ。
「そういや、去年の冬はスキーとかスノボに行けなかったな。こっちの世界でもあるの?」
ユウは昔、学校のスキー体験授業で滑って以来、毎年同級生らとスキーやスノーボードを滑りに行っていたので、ある程度は自信がある。
「うーん、スノボってのは分からないけど、この辺に住んでいる人たちはスキーで雪山を移動するって聞いたことがあるわよ。こういう、細長い板を足につけるんでしょ?」
クレアは手を目一杯に広げてスキー板の形を作ってみせる。
「そんな長い板でどうするんスか? それじゃあまともに歩けないでしょ?」
どうやらヨハンは知らないみたいなので、ユウはスキーの滑りかたを簡単に教える。
「へぇー。なんか、楽しそうっスね。あっ、理力甲冑にそのスキー板っての取り付けたら、操縦しながら滑れませんかね?!」
「やめときない。アンタの場合、どうせ派手に転んで機体をバラバラに壊すのがオチよ」
クレアはレフィオーネをヨハンに激しくヘッドスライディングされた事をまだ根に持っているようだ。
「まあまあ。……でも、あんまり雪が積もった状態で敵が来たらどうすんの? 足を雪に取られて動けないんじゃ?」
クレアは食堂の窓から激しく吹雪く外を眺める。
「確かにそうね……。こっちにも理力甲冑は配備されてるはずだけど、雪上装備なんてあるのかしら?」
(そういえば、雪国の人や雪山に登る人はかんじきを履くらしいけど、理力甲冑にも履かせるのかな?)
ユウはアルヴァリスに巨大なかんじきを履かせた様子を想像して、どことなく抜けたような格好に思わず吹き出してしまう。
「何やってんのよ、ユウ。……あら? 停まったわね?」
クレアの言う通り、ホワイトスワンは理力エンジンと風切り音を小さくさせてその場に停止し出した。この吹雪で太陽の位置は分からないが、まだ夜営には時間が早いはずだ。
三人は何かあったのかと、ブリッジに急いだ。
ブリッジでは先生とボルツが何か話していた。
「先生、ボルツさん! スワンが停まっちゃったけど、なにかトラブルでも?!」
「あー、いや、まあ、ある意味トラブルデスかね。ちょっと吹雪が強すぎて視界が確保出来ないんデスよ。もうこれは一旦、吹雪がおさまるのを待つしかないデスね」
確かに、ブリッジから見える外の景色は白一色で、このまま進むには危険なようだ。
それから一行は大人しく吹雪が止むのを待つしかなかった。この悪天候がいつまで続くか分からないので、そこそこ残っている備蓄は節約することになった。吹雪が止んでも、次の村まで三日はかかるのだから。
「ユウ~! このスープ温かいのは良いんデスけど、具が無いデスよ~。それに塩の味しかしません~」
「そりゃあ、そうですよ。だって塩しか入れてないんだから」
「それじゃあ、ただの水に塩入れて温めただけじゃないデスか!」
「そう思って昆布の出汁も入れてます」
乾燥した昆布のような海藻を水で戻して、それで出汁を取ってみた。見た目も味も昆布のようだし、多分、昆布なんだろう。ただし、量は少なめにしているから、かなり味の薄い昆布茶といったところか。
「この二、三日は塩とかのミネラル、それと炭水化物。人間が生きていくうえで必要最低限の栄養が主な献立ですからね。みんなわがままを言わないように」
本当はここまで節制しなくてもいいのだが、さすがにこの吹雪では帝国も魔物も襲ってはこないだろう。最低限の活動が出来る程度に食事を制限しても問題ないはずだ。
……いえ、決して誰も上着をくれないからって、ちょっと意地悪してやるとかそういう憂さ晴らしとかじゃあ決してないんですよ?




