第十九話 試作機・1
第十九話 試作機・1
…………ウォン……ウォン……ウォン…………
低く周期的な音が聞こえる。部屋に備え付けられたコンプレッサーの音だ。部屋の中央にある大きな作業台は工具や何かの薬品、データが纏められているノートに筆記用具で散らかっている。床には大きな水槽のようなものがいくつか置いてあり、中には薄い青色の液体と、白っぽい管のようなものが何本か浮いている。水槽以外にも床は技術書やメモ用紙、空になった薬瓶など、足の踏み場もない。外はすっかり日も落ちて暗くなっているが、部屋ではまだ作業している人間がいた。
ボサボサに束ねた長く、金色の髪。ここ最近は洗っていないのか、着ている白衣の袖は少し汚れている。保護メガネの向こうには青い瞳が爛々と輝いている。
「ヨシ、10番と12番は良さげデスね。逆に5番と6番、7番は……駄目っぽいデス、コリャ。」
先生は新型の人工筋肉を開発するべく、様々な実験を繰り返している。ここはクレメンテの工廠で、その一部を間借りしているのだ。工廠を管理する軍の技術部とすったもんだの末、人員と物資、部屋と機材を強奪…………いや、借りることに成功した。
すでに新型の開発を開始してから一週間が経つ。新型といっても、従来の人工筋肉の製法から大きくは逸脱することは無いと予想されていたが、その目論見の通り、この短期間である程度は目途が付いた。本来ならば、これに加えて主原料であるネマトーデという魔物の養殖法も確立しなければいけないが、今回は後回しになっている。とりあえず先生が製法をまとめ上げ、その後の養殖法は軍に丸投げする予定である。
先生は肘まである手袋をはめ、10番の札が掛けられている水槽から白く細長いひも状のものを取り出して眺める。これを束ねて人工筋肉にするのだが、これから強度や収縮率、その他もろもろの数値を測定する予定だ。実際に測定するのは軍の技術者に任せるが、今日はもう遅い。準備は明日にしようと先生は机の上に開いていたノートを閉じる。
「先生、ご飯が冷めますよ」
扉が開き、ユウが顔を出す。もうこんなに時間が経っていたのか。確か、少し前にもボルツが夕食に呼びに来ていたはずだ。
「今日の分はケリがつきました! もうそろそろ完成デスよ~!」
「へぇ。結構早かったですね。さすがは先生」
「んっふっふっふ~! もっと褒めてもいいんデスよ~!」
「ああ、天才天才。これでいいですか? それじゃあスワンに戻りますよ」
ユウのおざなりな褒め方でも先生は機嫌が良さそうだ。白衣を脱いだ先生は机の上の少し空いた場所にばさりと投げる。
二人はホワイトスワンに帰るため、街の大通りを歩いている。夜も更けてきたにも関わらず、相変わらずここは人が多い。
「そういえば先生。人工筋肉もいいですけど、クレアの理力甲冑はどうなったんです?」
クレアの乗っていたステッドランドは前回の戦闘で破損してしまっている。見た目よりも損傷が酷く、修理するよりも新しく作った方が早くて安上がり、という事で廃車ならぬ廃甲冑になってしまった。しかし、予備の理力甲冑などそうそう転がっているはずもなく、どうやって調達しようかと悩んでいたところ、先生が話をつけてくるという事で一任していたのである。
「ああ、それなら大丈夫デスよ。そっちも明日くらいには返事が来る筈デス。そしたらボルツ君と機体の調整に入りますよ」
ユウはちゃんと交渉が進んでいたことに少し驚いた。ずっと先ほどの研究室に籠りっきりだったので、いつの間にと思ってしまう。しかし、よく理力甲冑を融通してくれるような当てがあったものだ。先生は連合に亡命してからまだ日が浅いはずなので、そういった人脈などは無いと思うのだが。
「それにしても、よく理力甲冑の当てがありましたね。そんな簡単に譲ってくれるもんじゃないでしょう?」
先生はその問いにニヤリと不敵な笑みで返す。
「フフン。実は当てなんか無かったデス」
え? それじゃあ、どうやって調達出来たのだろうか。
「シンの乗っている理力甲冑を覚えているデスか? あの黒いやつ」
「シンさんの? グラントルクですか。あの機体は強力ですよね」
ユウは黒い重騎士の姿をした理力甲冑を思い出す。接近戦に特化された設計により、従来の理力甲冑よりも厚い装甲と馬力を備えた強力な機体だが、そのせいでシンやユウのような強い理力の持ち主しか操縦できないという欠点を持つ、連合が独自に開発している試作機体の一つだ。初めて出会った時に手合わせ、というか本気で戦闘を行ったときは搭乗者であるシンの技量と相まって相当な強さを発揮した。おかげでユウは僅差で負けかけてしまっている。
「連合でもああいった理力甲冑の試作をしているようなんデスが、クレメンテでもそういったのがいくつかあるのをシンから聞きました。連合の技術者が一体、どんな理力甲冑を作っているかを知りたかったので、この前こっそり盗み見てきたんデス!」
おいおい、盗み見って大丈夫なのか。ユウの心配をよそに先生は話し続ける。
「さすがに帝国と違って連合の技術力はまだ未熟で、ステッドのコピー品のようなナニカとか、コンセプトが破綻した機体とかばかりでまともな機体は殆ど無かったんデス。でも、その中にちょっと面白そうな機体があってデスね……。おっと、これ以上は実際に機体が出来上がってからにしましょう。楽しみは後に取っておくものデス」
先生の腕が確かなのはこれまでの実績から知っているが、それでも少し不安になってしまう。先生の面白そうはだいたいぶっ飛んだ方向に突き抜けているのも、これまでの実績から知っている。
「あの、ほどほどにして下さいね? あんまり変な機体だとクレアが怒りますよ?」
「う゛っ……。いや、大丈夫な筈です。ダイジョウブ、ダイジョウブ」
先生はまるで自分に言い聞かせるようにしてダイジョウブを繰り返している。あとでボルツさんにそれとなく先生が暴走しないように頼んでおこう。
翌日も先生は朝から忙しかった。試作段階の人工筋肉を測定用に仕立てて、軍の技術者に引き渡す。試作中、気になった点をまとめたメモも渡し、いくつか製法について意見を交わしたりもした。それが終わるとクレアとボルツを引き連れて技術部の責任者や高官を何人か回っていく。例の試作機体の受領について書類にサインをするためだ。最初は機嫌が良かった先生も、サインする書類が次から次へと出てくるので目に見えて不機嫌になっていく。クレアがどうにかなだめつつ、無数の書類を片付けた終わったのは昼前になった頃だった。
「……。はい、これでサインする書類は全部ですね。機体は工廠の第三格納庫にありますけど、母艦の方まで移送しますか?」
机の上で書類をトントンと纏めた技術部の主任が尋ねてくる。
「いえ、調整は機材の整っているそちらでやりたいのですが、少しの間だけ工房をお借りしてもよろしいでしょうか?」
先生は書き疲れたのか少しぐったりしているため、ボルツが自前のペンを仕舞いながら答える。
「それでしたらこちらから話を通しておきましょう。機体も移動するように手配しておきます。その代わりあの件の事、よろしくお願いします」
「わかってますよ。設計図や仕様書、もろもろのデータは定期的に送るデスよ」
開発途中の試作機とはいえ、タダで譲渡というわけにはいかなかった。そこで先生は連合の理力甲冑開発に協力する一環として、帝国にいた頃の技術やノウハウを教授することを約束しているのだ。連合の技術者達は日々、研鑽を積んでいるが帝国と連合の技術力の差は一朝一夕に縮まるものではなく、苦労と失敗の連続だった。軍の一部では帝国の技術を取り入れることに抵抗を示すものもいるが、技術屋の人間はそんな悠長なことを言っていられる事態ではないと理解している。そこへ帝国の理力甲冑開発の最前線にいた先生の存在は願ってもない僥倖なので、最近いきなり亡命してきた先生の多少の無茶な要求もある程度はまかり通ってしまうのだ。
「さて、とっとと帰るデスよ、二人とも。ユウがご飯作って待ってるはずデスからね」
先生は椅子からぴょんと飛び降りて扉の方へと向かう。ボルツとクレアもそれに続く。




