お勉強と施錠
42歳のOLだった私が、部下に刺されて死亡。なぜか風の精霊に名付けをすることになり、転生したのは『残念姫』の二つ名を持つ14歳の侯爵令嬢。記憶喪失を装っているけど、中身が別人だとバレたらどうしようとひやひやしながらも、もとの世界では私は死んでるんだから、どうせ戻れないしなんとかするしかない。と腹をくくったけど、その覚悟をちょっと後悔することになった。
「サラ様。私は家庭教師のフリッツと申します。今日からお勉強を再開いたします」
私がサラになってから7日目の午後、パリッとした服装で白髪混じりの50歳ぐらいの男性が部屋にやってきた
「勉強?」
今さら勉強?大学を卒業してからかれこれ20年。仕事に関係することは勉強したけど、サラは14歳なんだからきっとマジモードの勉強に違いない。イヤだ~
心底イヤそうな表情をしてしまったに違いない私をちらっと見てから、フリッツは部屋中の窓とドアを閉めて、鍵をかける。そしてちょっと怒った顔で私に椅子を勧めた
「サラ様がまた事故にあわれてはいけませんので、今後は窓とドアに鍵をかけるように、旦那様に言われております」
そうか。サラは勉強がイヤで逃げ出し、崖から落ちた。私を逃がしてしまったことで、フリッツも多少なりともお父さまに責められたに違いない。そう思うと少しは気の毒になった。けど、この状況はちょっと気に入らない
「フリッツ先生?」
またしてもどう呼んでいいのかわからず、とりあえず家庭教師だと言うので「先生」と敬称をつけて呼んでみる
「なんでしょうか。サラ様。」
先生、正解だったみたいだね。よかった
「お聞きいただいているかと思いますが、わたくしには以前の記憶がございません」
「存じております」
フリッツは表情を変えずに答えた
「ですから、以前のわたくしがどうだったか知りません。少なくとも、今のわたくしは勉強がイヤだからといって、逃げ出したりはいたしませんので、鍵を開けてください」
私が言うと、フリッツの眉が少し上がった
「なりません。旦那様に言われております」
ふんぬぅ。なんですと~?
「サラ様。始めますのでお座りください」
フリッツが椅子を勧めるのを無視して、私は続けた
「イヤです。閉じ込められているみたいで非常に不愉快です。お勉強をしなければならないのはわかりますが、このような環境ではお勉強したくありません」
私は立ったまま、フリッツの茶色い瞳を見つめる
そして数秒、ふうっと軽く息を吐いたあとフリッツは、くるっと後ろを向いて、窓に近づいて行った
「わかりました。サラ様。鍵は閉めませんが、逃げ出すのはなしにしてください。崖から落ちたと聞いたとき、私は心臓が止まるかと思うほど驚いたのです。」
鍵を開けながら、フリッツは不機嫌な声で打ち明けた
はい。ごめんなさい。ご心配をおかけしました
私が大人しく椅子に腰掛けると、フリッツは黒い皮の鞄から本を取り出した。そして、部屋の本棚からも同じ本を出してきた。
「実は、全く勉強が進んでいないのです。逃げ出したりしないとお約束していただいたので、今後はみっちりと取り組んでいただきます」
うぇ。あんなこと言うんじゃなかった。ちょっと後悔…
「こちらがサラ様の教材です。」
私の前に積まれた3冊の本には、王国の歴史に基づいた物語が書かれている。この7日間、大人しくしているように言われることが多かったので、3冊とも全部読んでしまった。ギリシャ神話のようで、すごくおもしろかった。
「まだ1冊もお読みいただいてないので、このままでは間に合いませんから、私の解説をお聞きいただきながら読み進めていただくことにしましょう」
間に合わないって何に?ってそれよりも1冊も読んでない?
「フリッツ先生。サラは…いえ、わたくしはこの本をいつから学び出したのですか?」
私がおそるおそる尋ねると、フリッツの眉がまた少し上がった
「もう1年半になります」
嘘でしょ?1年半経っても1冊も読んでないって…私が呆れているのをみて、フリッツの眉がまた少し上がった
どうやら、表情ではなく眉の動きで感情を表しているようだ
「サラ様はお勉強がお嫌いで…私の力不足もあるのでしょうけれど、これからは真面目に取り組んでいただけるように、私も努力いたします」
フリッツが沈んだ声で言うのを見て、申し訳ない気持ちになる
「少しでも興味を持っていただけるよう、私も色々と考えて参りました」
せっかく考えて来てくれたのに、申し訳ないんだけど
「フリッツ先生。わたくし、3冊全て読み終わっております。」
私がおずおずと告げると、フリッツの目が真ん丸になって、固まってしまった
「フリッツ先生?」
瞬きもしないフリッツに、声をかけると、ハッと我に返り
「サラ様?3冊とも…ですか?」
疑るような眼差しで問いかける
「はい」
「内容も理解されたので?」
「はい。わかりやすかったですし、大変おもしろかったです」
私がにっこりと微笑んで答えると、フリッツは、信じられない…とぼそりと呟いた
それはそうだろう。1年半かかっても1冊読めていなかったのに、たった7日で3冊とも読んだと言うのだから、信じられなくて当然だ
「では、いくつか質問をさせていただいてもよろしいですか」
フリッツは、私に、この世界を作ったとされる大神の名前や、恐ろしい魔獣を倒した勇者の名前、その勇者を称えて建築された教会の名前など、次々と質問をしてきた
いくつか、って言ったのに多すぎじゃない?と私が思い始めたとき、質問が終了した。ときどき、ヒントをもらったりしたが、ほとんどの問題に完璧に答えて見せた私に、フリッツは驚きを隠せない様子だった
「素晴らしいです。サラ様。」
フリッツの称賛に、ふふんと得意になっていると
「では、少し早いですが休憩にして、あとは計算のお勉強をいたしましょう。私は準備をして参ります」
ええっ。ちゃんとできたのに終わりじゃないの?しかも計算って…
セシルにお茶を入れるように頼んでから、フリッツは部屋を出て行った




