母の想いと道中のこと
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昨夜、さんざん侯爵、いえ、お父さまの前で泣いたせいで、少し瞼が腫れぼったい気がする。セシルが髪を整えてくれるのを鏡越しに見ながら、昨夜のことを思い返す。
お父さまは、私からお母さまに何かを言う必要はないしこの件はこれで終わりだとおっしゃった。
そして涙が止まらない私に、お父さまは中身年齢を尋ねた。
言えない。言えるわけない。
お父さまよりも年上で、17歳と14歳の子どもがいましたなんて、とても言えない。
瞬時に涙が引っ込んだ私は、できるだけ優雅さを醸し出しながら
「まさかお父さまが女性に年齢を尋ねるような無粋な真似をなさる方だとは思いませんでした」
と大げさに驚いて見せた。
泣きすぎで目も鼻も真っ赤だったろうから、全く優雅ではないのだけど。
「そうか。なんとなくわかった気がする」
お父さまは苦笑いしていた。何がわかったのか、私にはさっぱりわからない。
朝食を食べに行くと私が一番早かった。いつもはお父さまの方が早いのに珍しいこともあるもんだ。
そう思いながらテーブルに着いた時、お父さまとお母さまが揃ってやってきた。
「お父さま、お母さま、おはようございます」
「おはよう。サラフルール」
いつもと同じように挨拶する私に、いつもと同じように返すお父さま。
お父さまが言ったように、昨日のことは昨日で終わり。
まるでなかったことのように振る舞う。これについては、私自身が何か侯爵に意見できるような立場ではないし、このままサラフルールとして生きていくのであれば、何もなかったことにする方が私にとっても都合が良い。
いつもどおりの朝食が終わるとお母さまは、セドリックが待っているため、普段はすぐに自室に戻る。
いつもと違うのは、席を立たれたお母さまが、私のすぐ隣の椅子に座り直したことだ。お母さまは私の手を優しく握った。
「サラフルール」
「はい。お母さま」
「選定の儀に向けての選抜では、遠慮なく、好きなようにおやりなさい。」
「好きなように、ですか?」
私がお母さまの言葉の真意を諮り兼ねていると、
「そうよ。貴女の人生ですもの。貴女自身のために、したいことをすれば良いのです」
私の頭をひと撫でして、お母さまは優しく微笑み、頑張ってねと私を激励してから食堂を出て行った。
部屋に戻り、セシルに出かける支度をしてもらっている間、お母さまの言葉の意味を考える。
色々考えた結果、都合の良い解釈しかできない私は、想像力が貧困なのだろうか。
それとも素直に受け取っても良いのだろうか。
悩みながら玄関へ向かう。セシルが馬車の手配をしてくれているはずだ。
「お父さま?」
玄関で私を待っていたのは、執事や御者ではなく、お父さまだった。騎士服に身を包み、開け放たれた玄関から漏れる光を背に立つそのお姿は、カッコ良すぎて直視できないほどだ。
「私も今から出勤なのだ。せっかくだし、一緒に城に向かおう」
お父さまにエスコートされ、馬車に乗り込む。意外と乗り心地が良い。
馬車が動き出すとすぐに、お父さまは周りに音が漏れないように沈黙の魔術をかけた。
「キャルが、先ほどの言葉はちゃんと伝わっただろうかと心配していたぞ」
「どうでしょう。いくら考えても自分に都合の良いように解釈しているような気がいたします」
「構わない。どう捉えたか聞かせて欲しい」
「はい。サラフルールの人生をなぞるのではなく、自分自身の人生を。と言ってくださったのかなと思いました」
私がおそるおそる口にすると、お父さまはフッと笑いながら正解だと言ってから私の方に向き直った。
「私たちは、キミにサラフルールとしての生き方を押し付けるつもりはない。どんな人生であれ、自分自身で選んで、思うようにすれば良いと考えている。ただし、それは幸せになる前提で、だ。何か困ったことがあれば支援するし、手伝うし、間違ったことをした時はそれを正し、必要があれば一緒に詫びよう。だから、今日も、これからも、キミは自分の幸せのことを第一に考えて欲しいのだ」
そっか。二人とも、私がサラフルールになろうとしなくても良いと言ってくれているのだ。思うように、か。ありがたいことだ。
「お父さま。ありがとうございます。でも、わたくしは自分の幸せだけでなく、皆の幸せを第一に考えたいのです。わたくしの大切な人たちが幸せでないなら、わたくしは絶対幸せを感じることができないと思いますわ」
「大切な人たち」
「そうです。お父さま、お母さま、セドリック、そしてセシルをはじめとした屋敷の使用人たち、みんな大切ですわ。わたくし、わがままで欲張りですから、全員が幸せでないとイヤなのです」
お父さまは一瞬呆気に取られたような表情をした後、突然吹き出した。
「フフッ。あはは。確かにそれはわがままで欲張りでないと言えないセリフだな。だが、そんなわがままなら大歓迎だ」
ただし、とお父さまは表情を引き締めて私に言う。
「いいか、サラフルール。人は手の届く範囲しか守れない。自分の力量や状況を見誤ると、幸せどころかみんなが不幸になることも起こり得る。身の程を知ることは大切だ」
私は神妙に頷いた。仕事でも同じだったからよくわかっている。自分の能力以上のものを抱え込んではいけないのだ。
そうこうしているうちに、馬車が速度を落とし始めた。窓から城門が見える。そろそろ到着するようだ。
「午前中の選抜が終わったら、午後までかなり時間が空くはずだ。騎士団長室に来なさい。一緒に昼食を取ろう」
停車した馬車から私の手を取って降りながら、私をランチに誘った。私が了承の返事をすると、お父さまは手を伸ばして髪をそっと撫でたと思うと、突然私をぎゅっと抱き締める。
「お父さま?」
「心配だ。あぁ私も選抜会場に付いて行きたい」
ぎゅうぎゅう抱き締められながら、幸せだと感じる私がいる。
だからこそ、お父さまには伝えなければいけない。以前のサラフルールも幸せだと感じていたということを。
「お父さま。私は大丈夫ですから」
お父さまの背中をぽんぽんと叩きながら
「昼食の時に、お話したいことがあります。」
私を抱き締めたまま、なんだと問うお父さまに
「以前のサラフルールについて、お話したいことがあるのです。」
そう言うと、そっと体を離し、私を見つめるお父さまの目には、哀しみの色が滲んでいるような気がした。
「わかった。では昼に会おう。サラフルール。健闘を祈る」
お父さまと別れた私は、選抜会場に足を踏み入れた。
いよいよ選抜です。
サラフルールは初めて屋敷の外の世界に触れることになります。




