葛藤と開き直り
紅茶を飲み終わったころにフリッツが戻ってきた。手にはさっきも持ってた黒い皮の鞄を下げている
「サラ様、休憩は終わりです」
と告げると、セシルが茶器を片付けたテーブルの上に、今度は本ではなく、プリントのような紙の束を出した
「次は計算のお勉強です」
計算あんまり得意じゃないんだよな。どっちかと言えば文系だし。でも、残念姫のことだから、計算のお勉強もきっと進んでないに違いない。それなら私でもイケる。はず…
頭の中で色々と考えていると
「サラ様。聞いていますか」
フリッツが真横に立っていた
「ぼんやりするのはやめてください。集中していただかないと」
私の前に計算問題が書かれた紙を置いた
「では、これを解いてください」
まさか…これほどとは考えてもみなかった。計算問題はすべて一桁の足し算引き算。私がいた世界なら、小学一年生の計算ドリルの最初の方に載っているような問題ばかり。
「サラ様は計算問題が得意ではありませんでしたから、時間がかかっても構いません。最後の問題まで解いてみてください」
計算問題が…っていったい何か得意なことがあったんだろうか。なぜか少し悲しい気持ちになった。
軽く息を吐いてからペンを手に取り、問題を解こうとしてふと思った。
ここで、私があっと言う間にこの問題を解いてしまったら、今までのサラとは別人だとバレるのではないだろうか。ここはわからない振りをしておく方がいいのかも知れない。けど、こんな問題がわからない振りをするなんて、情けない…けど…でも…
心の中で葛藤と戦っている私が、ペンを握ったままうんうん唸っているのを見て、問題が難しくて悩んでいると勘違いしたらしい。
「サラ様。大丈夫ですか?難しいようでしたら、私と一緒に解いてみましょう」
フリッツが鞄の中から小さな袋を取り出し、中身をテーブルの上に並べた。見たことあるよ~。むか~し私も使ってた。まさに小学生一年生が算数の授業で使うおはじきだ
ダメだ。こんなものを使うなんて耐えられない。えぇぃ、もういいよ。悩むのがめんどくさくなった
「フリッツ先生。すみません。それは必要ありません」
私は顔を上げて、フリッツに微笑んでから、問題用紙に向き直った。
「え?」
私があっと言う間に問題を解くのを見て、フリッツの手からおはじきがこぼれ落ちて行った。それを拾い集めるのも忘れ、私の前から奪うように問題用紙を取り上げる
「全問正解です」
フリッツは何故か残念そうだ
「サラ様 こんなにおできになるのに、何故今までちゃんとしてくださらなかったのですか」
それは確かに残念なことだ。けれど、どう答えていいのかわからず黙っていると、フリッツは床に散らばったおはじきを拾いながら、ぽつりとと呟いた
「さきほどのことと言い、この計算問題と言い、以前のサラ様とは別人のようです」
ヤバい。バレたか…いや、姿形はサラなのだから、大丈夫。ごまかせる…はず
「フリッツ先生 申し訳ございません。何度も言うようですが」
私が言いかけたとき、フリッツが集め終わったおはじきを、鞄に片付けながら片手を上げて私の言葉を遮った
「わかっています。サラ様は記憶をなくされて、変わってしまわれました。」
ダメだ。ごまかせなかったか。と観念した時、フリッツは私に初めて笑顔を見せた
「けれど、それは良い変化だったということです。きっと、これが本当のサラ様なのですね」
ポカンとする私に構わずフリッツはなおも続ける
「私はサラ様の行く末を案じておりました。このままでは、お城に上がってもきっと務まらないでしょうし、このスペングラー侯爵家にとって、よくない結果しか想像できませんでした」
ん?今なんか引っかかるワードが出たような気がする
「けれど、今のサラ様なら大丈夫です。きっと立派にお務めを果たされることでしょう。私は嬉しゅうございます」
フリッツはひとしきり1人で盛り上がってから、私の前に別の問題用紙を差し出した。
「サラ様 次はこれです。先程より少し難しくなっております」
お城に上がるってどういうこと?
務めを果たすってなに?
結局、尋ねる暇もないぐらい、私が問題を解く度にフリッツのテンションがどんどん上がり、勉強時間が終わると、
「サラ様 次はもう少し難しい問題を用意して参ります」
と挨拶もそこそこに嬉々として、スキップでもしそうな勢いで帰っていった




